#1 毒殺における最低限の憶測【事件篇】1

【1】


 あえて言おう。それが例えば俗に中二病と呼ばれる発想であったとしても。いずれ大人になった時、このような考えを抱いていたこと自体が黒歴史になったとしても、あえて言おう。


 この世の中はくそったれである。


 大日本帝国なんていう国自体もくそったれだと思うし、周囲の人間だってくそだと思う。誰も自分のことを分かってはくれないし、分かろうともしてくれない。


 今日も今日とて昼休みの教室はうるさい。いまだにダラダラと食事をしながら、どうでもいい話をしている女子。たまたま彼――安藤の席のすぐそばを陣取り、いくつかの席をくっつけて話をしているものだから、嫌でもその会話が耳に入ってくる。これでは、待望の新作が出た、シリーズ物の推理小説の内容が全く入ってこない。


 安藤は本を閉じると、彼女達のほうに一瞥をくれる。視線の先には3人の女子の姿があった。まだ弁当箱が出たままであるのに、菓子を食べている辺り、どういう神経をしているのか疑ってしまう。


 クラス委員の副委員長、小巻澤友華こまきざわともか。顔はごくごく普通。付き合ってくれと言われれば付き合えるし、彼女としても及第点。性格もそこそこであるが、良くも悪くも平均点を抜けることができないといった印象。何よりも彼女が平均点から抜け出せず、上位カーストに入れないのは、このクラスでいじめに遭って不登校となった郷野郷さとのごうの幼馴染であり、彼のことを気にかけているからであろう。どこかの幼馴染とは大違いだ。


 磯部舞友いそべまゆ。顔はぎりぎりセーフ程度なのであるが、何よりも胸が大きい。本人は意識してやっているわけではないだろうが、ボタンを外したブラウスの隙間から見える谷間は、嫌でも男の本能をくすぐる。彼女が今の地位に留まっているのは、そのような行為をわざとらしいと思っている女子がいるからなのであろう。どちらかと言うと天然で無意識にやっているようにしか見えない。計算してやっているのであれば、大したものだ。


 沼田友希ぬまたゆきは部活動に勤しむスポーツ少女。髪の毛が邪魔なのか、かなりのベリーショート。化粧もほとんどしておらず、化粧さえすれば大化けするのではないかと安藤は思っていた。


 友華、舞友、友希。3人とも同じ漢字が名前に含まれているからなのか、それとも気が合うのか、いつも一緒にいるような印象がある。もっとも、住んでいる場所はバラバラだったはずだし、登下校まで一緒というわけではなかったと思うが。


「いや、絶対に安いって。このケーキバイキング。好きなだけ食べ放題でこの値段だよ? 今度の休みに行こうって」


 そう言ってチラシを片手に2人を誘っているのは舞友だった。甘い物ばかり食べているから、胸に養分がとられるのだ――。口に出したら、それこそ軽蔑の目で見られてしまうようなことを思ってしまう安藤。


「えー、でも太るじゃん。それに、私あんまり甘い物好きじゃないんだよねー」


 嘘をつけ――。クラス副委員長の友華の言葉に心の中で悪態をついた。小学校の時こそ微妙に学区が違ったものの、友華と安藤は中学校では同じ学区だった。同じクラスになることはなかったが、同じ中学校出身だ。ゆえに、高校に通うために乗る電車の駅が一緒で、挨拶を交わしたりはしないが、駅前のコンビニで一緒になることがあった。そして安藤は知っている。その度に友華がお菓子を買い込んでいるのを。


 友華が主に買うのは毎回同じチョコレート。実は今朝もばったり出くわしたのであるが、珍しくミルククッキーの箱と数分ほどにらめっこをした後、それを棚へと戻し、結局はいつものチョコレートを購入していた。カロリーやらが気になったのかよく分からないが、なんだかクッキーに後ろ髪を引かれているような印象があった。だから、甘い物が苦手だなんてのは嘘だろうし、太ることもあまり気にしていないのだと思う。


「大丈夫だよ。その分、運動すればいいんだし。あ、ごめん。友華って確か……」


 実にスポーツ少女らしい発想をするのは友希だ。毎日のようにスポーツをしている彼女からすれば、カロリー摂取は罪ではなく、むしろ体を作るための燃料となるのだろう。そんな彼女の言葉の後半は、妙に声を潜めたせいで聞き取れなかった。あちらの声が勝手に聞こえてきただけであるが、妙に声を潜められてしまうと、なんだか盗み聞きをしているような気になってしまう。


 そんな安藤に追い打ちをかけるかのごとく、頭に何かが当たった。何だろうと床に視線を落とすと、紙をセロファンテープでぐるぐる巻きにした簡易ボールだった。


「おぉ、昼安藤に当たったぞ! これある意味、俺の勝ちなんじゃねぇか? じゃぁ、夕飯は朝陽のおごりな」


 声のしたほうに視線をやると、このクラス随一の暴君、本田一馬ほんだかずまとその親友である坂崎朝陽さかざきあさひの姿があった。本田がほうきを持っている辺り、どうせ野球でもしていたのであろう。時代錯誤なことはしないで、大人しくスマートフォンでもいじっていればいいのに。


「いやいや、勝手なルール作らないでくれる? そんなんで決着とかあり得ないから」


 本田の言葉に対して異論を唱えるのは坂崎だ。そんなことが言えるのは、クラスの中でも坂崎だけであろう。 


 本田は絵に描いたようなヤンキーだった。喧嘩っ早いし手も早い。他校の生徒とも、何度か衝突しているらしい。気に入らないことがあると怒鳴り散らしたりするし、すぐに暴力を振るおうともする。いかにも世間のルールには縛られないとばかりに、その短い毛は金色である。


 そんな本田といつも一緒にいるのが坂崎なのであるが、彼は本田と違って乱暴なわけではないし、むしろ優男というイメージのほうが似合っている。勉強もできる秀才だ。彼ほど黒フレームの眼鏡が似合う男はいないだろう。本田と坂崎では人種が違うように見えるが、幼稚園の頃から一緒の腐れ縁らしく、暴君の本田も親友の坂崎の言うことだけはしっかりと聞くわけだ。


「おーい、昼安藤。悪いけど、ボールを取ってくれよ」


 昼安藤とは、安藤のあだ名だった。安藤と昼行灯をくっつけたものであり、普段からいるかどうか分からない安藤を昼行灯に例えた結果、いつしかクラスメイトの大半から、昼安藤と呼ばれるようになったのだ。名付けの親は、本田の彼女であり、このクラスのギャルグループのボスである真下真綾ましたあやだとか。むろん、安藤自身は全く気に入っていない。ただ、否定するのも面倒だから、そのまま受け入れはしていた。むしろ、よくぞ昼行灯なんて言葉を知っていたものだと、感心すらした。


 安藤は紙で作られたボールを拾い上げると、それを力任せに坂崎のほうへと投げ返そうとした。しかし、勢いが余ってボールがすっぽ抜け、行き先が分からなくなった手が、そのまま自分の机の角へと一直線、強かに手首を打ち付けてしまった。ビリビリとした痛みが脳天まで突き抜けた。思わず手首を抑えながら、しかし何事もなかったかのように振る舞うが手遅れだった。


「――ぷっ。だっせぇ、昼安藤。だっせぇよ!」

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