EX10「別れの準備」
「うあああああああ!」
朝日も登り始めといった午前4時ほどに、千歳はその悲鳴にたたき起こされた。声の主は同じベッドで眠っていたリズのもので、まだ同じように床に就いていた魔導王がのっそりと起き上がり彼女を抱きしめた。
『こんな早くからどうした?』
「魔導王が…炎が…!あああ…えぐ…うわあああああ!」
『…ほれそれは夢だ。落ち着け。』
リズの背中を撫でながら、しばらく魔導王は彼女を落ち着かせた。夜泣きというのだろうか、こんなことは初めてであったので千歳も混乱した。
『千歳、タオルとこれの着替えを持ってこい。』
「え?」
『漏らしおった。』
「あー、わかった。お風呂も沸かしとくね。」
『ああ頼む。』
千歳が用事を済ませる間も、リズの泣き声は続いていた。いったいどんな夢を見たのかわからないが、彼女があそこ迄取り乱すならばよほどひどい内容だったのだろう。だがそれ以上にあそこまで無様に泣きつきながらやさしく抱きしめられるリズに、千歳は嫉妬のような感情を抱いていた。
『風呂に入って来い。』
「魔導王も一緒に入る。」
『たわけ。そこの千歳も付けてやるからさっさと行けい。』
「やだあ。魔導王も一緒に入る!」
『はあ…これが俗にいう幼児退行というやつか?』
結局リズのわがままに負け、魔導王は彼女たちとともに風呂に入ることになった。以前江の島で千歳と笑顔の練習を行った時のように、その姿を少女に擬態し面倒くさそうにリズの髪を洗っていた。その姿は以前とは少し異なり、髪は白と黒が入り混じり特殊な文様のように見える。それに加えてその深紅の瞳が特別美しさを強調していた。千歳はというと裸は恥ずかしかったが、魔導王はどうやら服を着て用が来ていまいが全てを観測できるという。躊躇しても仕方ないとあきらめた。
「髪、洗ってあげる。」
『別にいらん。』
「いいから。」
体を洗い終わった三人は湯船につかった。民家にしては広い風呂であったが、なぜか千歳とリズは魔導王に引っ付きとても窮屈になっていた。やはり魔導王は気だるげだが、嫌がることもなくそれを受け入れていた。
「魔導王なんで女の子の姿になってるんだ?」
『コンプライアンスを考慮した結果だ。』
「コンプライアンスってなんだ?」
『そのくらい自分で調べろ。』
魔導王が姿を変えることなんてリズにとっては大しておかしなことではないのだろう。驚きもせずその状況を受け止め、その腕に抱き着いている。先ほど泣いていた原因の夢についても聞いてみたが、どうやらもうとっくに忘れてしまったらしい。
「魔導王。」
『なんだ?』
「だーい好き!」
『そうか。』
「むう。もうちょっとなんかあるだろ?」
『しら…むぐ!』
魔導王が言葉を発そうとしたと同時に立ち上がったリズは彼(彼女?)の首に両腕を回し、そのまま唇を重ねた。吸血のために自分とするもの以上に濃厚に舌を絡め、むさぼるようなキスに千歳は呆然とした。しばらくして動きが止まり、強く抱きしめたのちにゆっくりと唇を離した。
「…前より柔らかい。」
『これは女の体だからな。』
大したことはないかのように目を閉じ答える魔導王とは対照的に、リズは妖艶な笑みを浮かべた。湯船に漂う檜の香りを思い出し、千歳はハッと我に返る。
「…ちょっと待って、前って何?」
「え、…あいやそれは…。」
「リズ前に、無理やりキスはいけないとか言ってなかったっけ?」
「それはそのお…。」
「ちょっと話を聞かせてくれる?」
「…はい。」
それから千歳はリズに事の詳細を問い詰めた。魔導王はくだらないと、その間に風呂から出て朝食の用意を始めた。
それから数日はいろいろなことがあった。家の家事を一通り練習させられ、進学などの手続きが必要になった場合に参考にする資料の説明、また異世界の森人たちとのコンタクトなど魔導王は様々な活動を行っていた。学校がないときはそれにまるで親鳥についていく雛のようにリズはついていった。それがわかれの準備であると、わかっているかのように。
「ほおおおお!」
『サイズ調整も問題ないようだな。』
その日リズは魔導王から清志たちと同じように魔導具を渡した。いままであまり催促しなかったリズであるが、やはりうれしいのか雄たけびにも似た歓声を上げている。それは赤いグローブで、リズの手にはめた瞬間彼女にちょうどいいサイズへと形が変化していた。魔力を込めると起動するようだが、リズ自身の姿は変化しないようだ。
「このグローブはどんな能力なの?」
『うむ、まずはそうだな…リズ、それをはめてこの板を殴ってみろ。』
そうして魔導王がどこから持ってきたのか出してきた板は無数の頑丈なとげのついたまがまがしい鉄板であった。こんなものを殴ったら確実に手を貫通して、R18になってしまう。
「ちょ、ちょっと待って…こんなの魔道具はいいとして、からぶってほかの場所が刺さったりしたら…。」
「いっくぞー!」
千歳が止めようとするも、単純なリズは一切の躊躇なく拳を放った。嫌な想像が駆け巡り、目をそらす千歳であったがもう掃除のような悲鳴が聞こえることはなかった。
「え…。」
「すごーい!全然痛くない!」
『魔力を通すことで、耐久力と内部への衝撃吸収を行う魔道具だ。たとえヴァンパイアであろうとも容易く破壊できん。物理耐性が高い相手でも、殴り飛ばせるという代物だ。まあ、お前自身の実力が伴わなければ意味がないがな。』
「これ使えば清志たちも勝てるか!?」
『それはお前次第だが、これの性能を最大限引き出せれば瞬殺だな。』
「マジでか!」
無邪気に喜ぶリズ。危険な鉄板を一瞬で消滅させ、魔導王はソファーへと腰掛けた。当然のように横に腰掛けるリズ。それに対し千歳は正面から彼に抱き着いた。
『…なんだ?』
「別に。」
『そうか。』
これであの日、異界へと巻き込まれた6人全員に魔道具が渡された。約束通り、全員に。今まで引き延ばされてきた約束だったから、彼がまだここにいるという安心感があった。それも今日で終わりだ。ならいつ、その日は訪れるのだろうか。そんなことは聞きたくなかった。
「大丈夫だぞ。一人じゃない。」
背後から暖かいぬくもりを感じる。そして聞こえた少し大人びたリズの声。それがまだ一年もたっていないというのに時間の流れを感じさせた。
土曜日になった。今日はどうしようか。せっかくの休日なのだから、出かけるのもいいかもしれない。千歳が休日にこのような思考になるようになったのも、彼の影響だろう。その時、チャイムが鳴った。
「はーい。」
リズが扉に向かいカギを開けた。するとあたりがシーンと静まって、急に血の気が引いた。駆け込むように、玄関へと向かった。
「初めましてミス。今日はお日柄がよろしいですね。」
そこにいたのは古代ギリシャのキトンのような衣服に身を包み、その背中からは一対の純白の羽が生えている。ウェーブのかかった薄茶色の髪を持つまるで天使のような男だった。彼は笑顔を携えこちらを見下ろした。その隣には無表情で虚空を見つめるリズの姿があった。
「リズに何をした!?」
魔導具を起動し、弓を構えた。至近距離から狙いを定めているというのに、天使は笑みを崩さずこちらを見下ろしていた。それが不気味で、冷汗が流れた。
『わざわざ休日に出てくるとは律儀だな。そちらの準備もできたというわけか。』
魔導王はゆっくりと歩きながら玄関に現れた。それを見た天使は首を傾け言った。
「はい。これですべてのピースがそろいました。不用心でしたね。簡単に扉を開けてはいけないと、お母様に習わなかったのでしょうか?」
そう言って天使はリズの頭を撫でようとする、しかし触れた瞬間天使の顔から笑顔が消えた。
「これは…?」
『リズの持つ膨大な魔力を盗みに来たというわけか。しかし俺が対策を練っていないと?』
天使がリズに触れたというのに、リズはまるで石像のように髪の一本すら動かない。
「なるほどこれは厄介だ。」
『それの魔力を奪いたければ、俺を殺してみるんだな。貴様程度には不可能ではあるがね。』
「ふふふふもともと見当違いですよ。私が彼女を連れて行くのは、貴方が逃げないようにだ魔導王。もちろん、ここで自死すれば彼女を開放しましょう。」
『それは俺も懸念事項だった。なら場所はどうする?それを伝えに来たのだろう?』
「セントラルの中心電波塔へ。あなたと私、その命を持って決着をつけましょう。」
『よかろう。』
「それでは、彼女は連れていきます。」
そうして天使はリズの肩に手を触れた。そして二人の体が光を発しながら消えていく。
「待って!」
千歳が叫ぶも魔導王は何もしなかった。天使は振り返りながらこちらへ笑いかける。
「あの子供たちでは勝てませんよ。神の力の前にあなたの魔道具など通じるわけもない。最後の時をどうぞ噛み締めてください。」
そう捨て台詞を吐いて天使は消えていった。
「リズ…。」
『心配いらん。俺がいる限り奴には何もできんからな。さて、清志共を集めるか。』
リズがさらわれたというのに魔導王は動じることもなく、くくくと笑い声を静かに上げた。なんて薄情なんだと、一瞬思ってしまったが千歳はすぐに気が付いた。彼の声色にすべてを焼き尽くさんばかりの怒気が隠れていることを。
『最終決戦だ。あの羽虫を地獄の業火にくべてやろう。』
最後の戦いは突然とはじまったのだった。
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