EX8「最強の父親」

 その日魔導王が本を読みながらくつろいでいると、パタパタとやってきたリズが言った。


「魔導王!今日父様が帰ってくるって!」


『…マジでか。』


 ということで魔導王は仕方なく夕食の準備を早めに始めることにした。リズと千歳も動員する。


『リズ、あの爺…じゃないお前の父親はいつも何をやっているのか知っているのか?』


「知らないぞ。いろんな国をまわってるって母様は言ってたけど、よくわからない。魔導王は父様のこと知ってるのか?」


『ああ。あの姿を見てむしろ忘れようがないがな。』


「ああ確かに。」


 魔導王は忌々し気に、そういった。千歳もその意見に賛成である。


「鳴弦さんってすっごく大きいもんね。フィンリーさんより多分背が高いし。」


「2メートルはあるぞ!それにすっごく強い!」


『まあ確かにあの男は強いな。』


「…もしかして戦ったことあるの?」


『あっちは覚えていないだろうがな。手も足も出なかった。少なくとも俺はあの男より強い存在は知らんな。』


「そんなに?」


「魔導王何か悪いことしたのか?」


『あれは俺に過失はない。絶対にない。』


 絶対うらみがあるんだろうなと千歳は思ったが口には出さなかった。リズの父親、鳴弦雷蔵めいげんらいぞうはリズの言う通り身長2メートルを超えるのではないかと思われるほどの巨体で、さらに筋骨隆々の大男である。いつもは世界各地を回る仕事をしているようで、帰ってくることはめったにない。千歳の父親とも親交があるようで、その縁でこうして二人で生活をしているのだ。


「あっても大丈夫なの?」


『問題ない。むしろ文句の一つも言わねばやってられんというものだ。』


 千歳も何度かあったことがあるが、とても文句なんて言えるような相手ではない。魔導王は魔導王であるからそれも可能なのだろうか。しかし魔導王も勝てる相手ではないといっていた。そこまで思考した千歳は魔導王に聞く。


「リズのお父さんも吸血鬼とか?」


「あ、そうなのか?」


『…そういう話は聞かなかったな。しかしあれを人間とは呼べまい。なぜ日本人のくせにあんな巨体なのだ?…絶対にありえんといえんというのが歴史の語るつらいところだが。存在からして人間離れしているのは間違いない。』


 何か私怨が入っている気がしたが、それは置いておくことにした千歳だった。

魔導王も詳細は知らないらしい。どうして戦うことになったのかなどほかにも聞いてみたくはあったがきっと答えてはくれないのだろう。おとなしく準備の手伝いを続けた。


 リズの家で待つこと数時間、夕方になって彼はやってきた。ドアの開く音がすると、リズは急いで玄関に向かった。


「おかえりなさい父様!」


「ああ。」


 出迎えるリズに一言告げると、雷蔵は家に上がり込んだ。寡黙な彼が話している姿などほとんど見たことがない。その上巨漢が苦手な千歳は居心地が悪くて仕方がなかった。


「あのね父様、今日はリズたちで夕食をつくりました。今一緒に住んでいる魔導王

の手伝いをしただけですけど、一生懸命!」


「魔導王?」


 リズは満面の笑みで雷蔵に話しかける。ダイニングに入ってきた雷蔵は天井に頭が当たりそうなほどで入ってきた瞬間千歳は目を伏せてしまった。


『俺だ。今はこいつらの面倒を見ている。ブラッドリー家につながりが合えれば知っているだろう?』


「貴様のような小僧が名乗るには過ぎた名だな。」


 雷蔵と魔導王が対面するとバチバチと視線がはじける気音がする気がした。けんかになるんではないかと肝が冷えるが、


『すでに用意ができている。席はそこだ。』


「ああ。」


 魔導王がそうしてテーブルの席を指さすと、雷蔵はそれ以上何も言わず席に着いた。緊張してしまって座ったまま動くことができなかったが、料理を運んできた魔導王に頭を撫でられると少し安心した。


 

「父様はいつまでこちらに?リズは明日は学校ですけど、明後日からは…。」


「明日出る。」


「…そうですか。」


 リズは父親に対しては敬語で、いつも笑顔を保とうしている。できる限り明るく振舞おうとしているのだ。しかしそれが一層不自然で、雷蔵とリズとの関係の大きな溝を感じる。魔導王も何も言わず、千歳も何も言えなかった。千歳にはいつもおいしいはずの魔導王の食事が今日は味気なく感じた。


『話がある。お前たちは少し席をはずせ。』


 食事が終わりしばらくして、魔導王がそう告げた。風呂にでも入って来いと、促される。私もリズも心配になってしまう。雷蔵は何も言わず魔導王を見た。魔導王はごそごそとそばに置かれていた、袋をあさり箱を取り出す。その中には純米吟醸と書かれた大きな日本酒が入っていた。


「え、どうしたのそれ?」


『酒の席でしか話せんこともある。別に喧嘩にはならんから安心しろ。肴はほっけの干物だ。』


 そうしてリズと千歳は追い出されてしまった。


「これは…。」


『ずいぶんと酒が好きらしいな。ヒノキのぐい呑み、年季が入っているが良い保存状態だ。』


「人の家を探るのが趣味か?」


『何か月も家を空ける男に言われる筋合いはない。物は使われるだけありがたいというものだ。』


 魔導王はとっくりで雷蔵のぐい呑みに酒を注ぎ、自らのものにも注いだ。二人はそれを一気に飲み干した。


「どうやら酒の味はわかるらしいな。」


『うまいと一言言えんのか。』


 雷蔵はつまみに出されたホッケを一口食べる。そして渡されたとっくりで手酌しまた酒を飲む。ずいぶんと手慣れた様子だ。


「花冷えはないのか?」


『用意はしていないな。すぐに作れるがね。』


 魔導王が右手をとっくりにかざすと右手が青く輝く。光を受けたとっくりは室温よりも冷えていく。


「奇術師ではあるようだな。その腕、光らせる必要が有るのか?」


『パフォーマンスだ。寝ながらでもできる。誤認させれば有利もあるからな。』


「ふん、悪賢いものよ。」


 雷蔵は冷酒を仰ぐと皮肉交じりに笑った。おそらく今日初めての笑いであったのは間違いないだろう。それからしばらく二人で日本酒をあおっていた。


「話の本題は何だ?」


 突然雷蔵がそう切り出すとぐい吞みをながめながら魔導王は言った。


『端的に言えば、お前が何をしているのか知らんがさっさと切り上げてリズのそばにいろという話だ。』


 魔導王が人差し指を立てるとそこに光が集まり結晶質のぐい呑みが現れた。魔導王が使っていた木製のぐい呑みと形は酷似している。


『記憶にはないだろうが、俺はお前と戦ったことがある。俺が本気で死ぬ気がしたのはお前と黙示録の怪物ぐらいだ。今でもその正拳突きの姿は夢に見る。並の真祖真祖を上回る実力を持つほどの男が、何年も従事しなければならん仕事など、大層面倒なのだろうがね。そんなものそれこそあの怠惰なヴァンパイアどもにやらせておけばいいのだ。』


「リズはもう13歳だ。問題ない。」


『たわけ、まだ13だ。戦国時代ですらまだ子供だよ。元服は15歳からだからな。』


 雷蔵は魔導王と目を合わせず、また酒をあおった。


『早くに母親を亡くすということは少なくない、しかし父親とすらほとんど顔を合わせんというのは異常だろう?毎日一度は顔を合わせるなぜその程度のこともできなのか。』


「貴様には関係ないことだ。」


『関係ないわけがあるまい。いまお前の娘を庇護してるのは俺だ。いま娘が置かれている状況を理解していないのか?そうであるなら間抜けだし、そうでないならそれはクズだ。真祖の血族とはいえまだ自衛もままならん子供なんだよ。』


「俺である必要はない。ブラッドリーらとは契約がある。任せておけばいい。」


『奴らがどれほど役に立つ?責任逃れをするな。お前のガキだろう。』


「…。」


『俺のこの体は作り物だ。そう長くはもたない。そばに居続けることなぞできん。お前が守らずだれがあいつを守るというのだ。』


「…話はそれで終わりか?」


『クソ爺…!』


「駄目だぞ魔導王。父様を困らせたら。」


 最初から部屋の外で様子を見守っていたリズが部屋に入ってしまった。いきなりだったせいで千歳には止めることもできなかった。リズは魔導王の袖を握りながら言う。


「父様、リズは大丈夫ですよ。だから心配しないで、お仕事頑張ってください。」


 本当に仕事のためなのかと千歳は邪推してしまうが、リズも魔導王もそれは疑っていないらしい。魔導王はため息をつきばつが悪そうに頭を掻いた。


『吸血鬼は何百年と生きるらしいが、こどものじかんはせいぜい10年かそこらだ。取り戻せない時間がある。やり直せることなどない。よく覚えておくんだな。』


「…。」


 魔導王はそう言って立ち上がると、リズの頭を撫でた。


『一度帰る。今夜は親子水入らず、十か二十発どついてやるがいい。そのぐらいしてもつりがくるだろうさ。』


「別にどつかないぞ!」


『明日いつ出発するか知らんが、朝食の仕込みはできている。…食って行け。』


「…ああ。」


『行くぞ千歳。』


「あ、うん。」


 千歳と共に魔導王は家を出た。残された二人に少しの間気まずい静寂が起きる。


「あ、あのね父様。魔導王は口は悪いけど本当は…。」


「リズ。」


「…はい。」


「ホッケが残っている。お前も食え。」


「…はい!」



 帰路に就く間魔導王と千歳は星を眺めながら話をした。


「初めて見た。」


『何がだ?』


「貴方が感情的になってるところ。」


『相手を説得するには理論と立場、そして感情が必要というのは討論の基本だ。』


「本当にそれだけ?」


 千歳は魔導王の手を握り見上げる。雷蔵は魔導王を見ても驚きもせず、その姿へ言及もしなかった。たんに興味がなかっただけか、それとも普通の人間の姿が見えていたのだろうか。もしそうだとしたら、彼はいったいどんな顔をしていたのだろう。


『…親というものは子供の指標だ。極端に言ってしまえば、それ一つで子供の人生は決まりえる。…いや違うな、別にリズのためというわけではない。俺はあの男をどこか尊敬している。コテンパンにやられて恨みも多いが、なんでだろうな。そういう男が下らんところでろくでもないのが我慢ならんのだよ。』


「よくわかんない。」


『俺も分からん。とりあえず、ムカついたから文句を言った。それだけさ。』


「そ。」


『コンビニでも寄っていくか。』


「私エクレアが欲しい。」


『たまにだよかろう。』



 そして次の日、雷蔵とともに朝食をとった。その後すぐに雷蔵は出かけるようだった。その時魔導王が雷蔵に言った。


『頼みがある。』


「なんだ?」


『気になると確かめずにいられなくてな。なに時間はとらせん。』



 雷蔵が出て行ったあと、魔導王は千歳とリズを連れてある場所に向かった。


「魔導王どうしたんだいきなり?今日は祭りじゃないぞ?」


『うむ、あのじじ…じゃないリズの父親の巨体を見て、ある有名人が連想されてな。比較に来たのだ。』


「…もしかして。これ?」


『よく知ってたなそれだ。』


 千歳が張りてのポーズを決めると魔導王はうなづいた。そしてリズは首をかしげる。やってきたのは諏訪大社、この地域でも最も大きく格式高い神社の一つだ。


「雷電為右衛門、信州生まれで最強の力士だった人。これはその手形。」


「でっかいな。両手よりも大きいぞ!」


『そして今日取った手形と比べると。』


「おーおんなじぐらい大きい。」


「父様のほうが指は太いぞここ!」


『…やはり怪物だな。むう。』


「魔導王はもうちょっと頑張ろうな!」


『やかましい。』


 からかうリズを捕まえて頭皮マッサージをする魔導王それを見て千歳は笑った。雷蔵とはうまくいっているとは言えないリズがこうして笑顔でいられるのはきっと彼のおかげなのだろう。だからこそ千歳にはあの言葉が忘れられなかった。


『俺のこの体は作り物だ。そう長くはもたない。そばに居続けることなぞできん。…』


 一体いつまでこの幸せが続くのだろう。この幸せをなくして自分がどうして生きていけばいいのか千歳にはわからなかった。

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