EX7「笑顔の練習」
人のたくさんいる浜辺でさらに白昼堂々、さらわれるなんて経験があるだろうか。少なくとも私は初めてであったし、こんなことが起こるなんて思いもしなかった。ガスマスクをつけた筋骨隆々の大男に体を拘束され、その仲間である水着の少女が高笑いをあげていた。
「なーはっはっはっはっは!ついに捕まえたぞ!日本の美少女ちゃまを!」
口も押えられて声が出せない。同世代に比べて筋力はあるつもりだったが、こんな大男にあらがえる力なんてあるわけもなく身動き一つできなかった。なにが起きているのかもわからない。どうしようもない恐怖が心を支配した。
「マジかよおい。」
シドおじさんが大男に切りかかるが、簡単に防がれ吹き飛ばされた。砂浜を削るように激突した彼はぐったりと倒れ込んだ。
『助けて…!』
頭の中であの人に助けを求める。しかし何の反応もなく私は連れ去られた。
もうどうしようもない。これから何をされようと私に抵抗しようはない。そう諦め力を抜いた。結局こうなるのかと失望した気持ちもある。しかしいつも通りなのかもしれない。
「ごめんね―千歳ちゃんいたくなかった?ミーカちゃんが臨場感出したいって聞かなくて。」
急に聞こえてきたのは低い男のオカマのような声。口から手が離れると景色は砂浜からホラー映画にでもありそうな薄暗い洋館の前に来ていた。
「にょほほほ。べつによかろ。わたちのかわいい姪のため、できる演出は大事よ。」
「本当にごめんねエ。魔導王ちゃんが待ってるからまずはそっち行きましょうか。」
ガスマスクの男は、私をやさしく地面に降ろすと洋館のある一室に案内した。途中でヨロイムシャのような置物や、リズが好きなゼルダの伝説に出てくるような仕掛けのある部屋を通った。扉を開けると、大きなソファーに頬杖を突きながら退屈そうに本を読むあの人がいた。
「魔導王ちゃん連れてきたわよ。」
『ご苦労。こちらも準備は終わっている。あとは起動後様子を見るだけだ。』
「分かったわ。シドちゃんが来たらあたしも暇だから、何かあったら何でも言ってちょうだいね。ちゅっ♡」
『…そうか。』
「千歳ちゃんもまたね。そこのおかし隙に食べちゃっていいからくつろいで頂戴。」
「え…あ…はい。」
そう言ってオカマ言葉のガスマスクはどこかへ行ってしまった。いまだ何が何やら全くわからない。
『どうした?突っ立ってないでこっちに座れ。』
「これどういうこと?」
わからないことは聞いてしまえば手っ取り早い。私は彼の隣に座り問い詰める。いったいどうして自分がこのように拉致されここで待機する羽目になったのか。今日はいったい何をしていたのか。彼は面倒くさそうに一つずつ答え始めた。
『あのちっちゃい女はリズの叔母、ミーカ・フュンフ・ブラッドリー。オカマのほうはその眷属…いや眷属といっていいのか微妙だが部下のフィンリー・ブラッドリー。誕生日と吸血鬼としての覚醒の祝いにサプライズに来たらしい。いわゆる…赤飯みたいなものか。』
「なんか一気に低俗になった気がする。」
『この洋館もあれらが用意したおもちゃ箱のようなものだ。パズルのような巨大ギミックを解かせて姫を救いに来るというのが筋書きらしい。俺はその調整を丸投げされた。朝から働きづめだ。』
「へー。」
吸血鬼の一族であるブラッドリー家、彼らの手によるものだというのならたとえ洋館内が任天堂になったとしてもおかしくないのだろう。超常現象に遭いすぎて感覚がマヒしてきた気がした。
「でも怖かった。」
『そうか。』
相弱音を吐いても彼は受け入れてくれるだろう。すがるように服をつかむも抵抗せずされるがままだ。
『まあフィンリーは…俺も苦手だ。ブラッドリーにしては人格者ではあるんだが。…なんともな。』
「苦手とかあるんだ。」
『むしろ苦手なものの方が多い。別におかしくあるまい。』
何に対しても傲岸不遜といったふてぶてしさを持つ彼でも苦手なものはあるらしい。私が大きな男の人が何となく苦手なように、彼にも言葉にできない苦手意識があるのだろう。それにしてもミーカというあの少女のほうが立場としてうえというのも何ともおかしな話だ。フィンリーとセットで親子といわれても納得できそうなものだが。
「ねえ眷属って言ってたけど、やっぱり吸血鬼は眷属をつくれるの?」
フィンリーは眷属(?)ということらしいがその口調から察するに吸血鬼には眷属が存在することになる。
『ああ。まあ滅多に作れることはないらしいがな。真祖一人に対して一人、たまに二人以上作れるものもいるらしい。よほど相性が良くなければ難しいという話だ。』
「…吸血で?」
『そうだな。』
「私もリズの眷属にされていたかもしれないってわけ?」
『…何か問題あるのか?』
「あるに決まってるでしょ馬鹿。」
リスクを隠した契約がご法度なのはこの国において常識だ。詐欺で訴えられても仕方がない。どうやら幸い眷属にならずに済んだわけであるが、リズの下につくなんてなんか嫌だ。
『ずいぶんなしかめっ面だな。』
「貴方に言われたくない。」
『俺の顔なぞ分かるまい。』
「見てればわかる。絶対しかめっ面。」
『む…仕方ない。たまには教育してやるか。』
そういうと彼は私の顔に触れた。突然触れてくるものだから顔が熱くなるのも仕方がないだろう。彼はそれを気にする様子もなく私やリズが千明君にやるようにグニグニと両頬を触った。
『笑顔というものはなかなか重要なコミュニケーション技法だ。笑いではない。あれはどちらかといえば攻撃的な側面があるが、一方微笑みというのはより柔和だ。相手の警戒心をそぎ、好印象を与える。常日頃から鍛えておいて損はない。』
「いきなり何?」
『これから先必要になる技術の話だ。人とかかわることが避けられない人生においてどんな相手にも好感を持たせられることは大きな利益になる。』
「自分は全く笑わないくせに。」
『有象無象なぞ俺には必要ない。』
言っていることが矛盾していると思うがどうやら彼は私に笑顔の練習をさせたいらしい。しかしいきなり笑えと言われてもどうすればいいのかわからない。
『とりあえずは模写してみろ。…こんな感じか。』
すると急に魔導王の姿が変化しだした。光に包まれたかと思うと、彼の体は少女ほどに小さくなり、光が消えると黒髪黒目の和風美少女へと変化した。
『なんだ?』
「かわいいね。」
『そうか。』
驚くまいと思えどやはりびっくりする。声も全く変化しているようだ。一致しているのが雰囲気だけというのも変な感じだった。どこまで何でもありなんだろうか。
『まず目元の力を緩め若干細める。リラックスしていると相手に感じさせるためだ。次に口角をあげる。あげすぎると不自然だ慣れるまではほんの少しでいい。アルカイックスマイルというのは少し強引だが、その程度の口元の差で印象は大きく変わる。こんな感じだ。』
そう言って見せてきた彼(?)の微笑みに圧倒された。まるで恋人に向けるかのような柔和な笑顔がその美しい顔から放たれ、心がドキッとする。リズもよく笑っているがそれとも違う大人びながらも純粋さを感じるほほえみだった。
『覚えたな。やってみろ。』
そしてすぐに無表情になった。やっぱりいつもそんな表情してたんだなとため息をつきたくなる。さっきみたいな笑顔ならすごくかわいいのに。…これが彼の言いたかったことなのだろうか。
「こう?」
『力みすぎだ。』
「むう。」
『…ほれもっとリラックスだ。』
「えあ!?」
まるで当然であると言いたげに彼は私を抱きしめ背中をさすった。
『脱力脱力。そうだこのままやってみろ。』
「顔見えないでしょ?」
『俺は目がなくとも大抵のものは観測可能だ。前に話しただろう?』
「…セクハラ!」
『自意識過剰だたわけ者。このまま圧死したくなくばほれ笑え。』
「ぱ、パワハラ!」
そんなこんなで彼が満足するまで笑顔の練習が続いた。
『奴らもついたようだな。…起動も問題ないか。』
彼は素の黒い姿に戻りモニターを眺めていた。どうやらシドに連れられ清志たちがこちらに来たようだ。変身した彼らはここに来た時見た武士のようなロボットと戦っている。
『では仕事も終わった。寝るか。』
「大丈夫なのこれ。なんか瞳先輩たち苦戦してるけど。」
『苦戦しなければ意味がないだろう。なにヴァンパイア二人が監視しているんだし人は出るまい。リズたちのほうは真祖が見ているわけだしな。』
別の画面ではリズと洋子が洋館に用意された様々な謎解きギミックに苦戦している様子が見えた。電流が流れ閉ざされた道や、巨大な鉄球が落ちてくる坂、失敗したら本当に悲惨なことになりそうだ。見ているとハラハラしてしまいそうなのでそっと見ないふりをすることにした。とりあえず彼の仕事はこれらの調整と起動迄だったらしい。つまりリズたちが来るまでの暇つぶしに私は遊ばれただけなのだろう。
「本当に…もう。」
しばらくすると彼は完全に眠ってしまったようだ。真っ黒な古フェイスからは何も見えないが、寝息を立てている気がする。そういえば、前にリズが魔導王の顔が見れたと自慢してきたことがあった。なんでもこの触ることのできない幻覚を超えて近づくとぼんやりその奥が見えるのだという。
「すこしくらい…いいよね。」
せっかく無防備なのだから、ちょっと近づいて顔を見るくらい構わないだろう。そう思い私は彼に近づいた。さっきのお返しとばかりに抱きしめて、ゆっくり顔を近づける。幻覚を超えて、本当の姿を…。
「ああー!千歳がチューしようとしてる!」
そこに無遠慮な声が聞こえてきた。驚いた私はのけぞってソファーから転げ落ちた。
「なななな!?」
無様に床を転がった先に見えたのは扉から入ってきたリズと洋子。もうすべてのギミックを解き終わったのか。時計を見ればすでに一時間以上経過していた。
「…千歳…いえ何も言いません。ただ倫理的にちょっと問題なのではないかと老婆心ながら…いえやはりいいのです。」
「千歳がさらわれたっていうから頑張ってきたっていうのに、魔導王と遊んでたのか?それに相手が寝てるのに勝手にチューは良くないぞ!」
「違うから!別にキスしようとしてたわけじゃ…。」
『なんだ終わったのか。…17時前ちょうどいいか。』
私が必死に弁明するも、結局誤解を解くには今日だけでは足りなかったのだった。
その後私たちは車に乗ってバーベキューの会場に向かった。もちろん全員着替えた後である。白夜先生と麻里佳さんが準備してくれたようだ。お金はシドさんが出してくれたらしい。名目は頑張って私を救出したご褒美、ここまでは彼らの筋書きだったとみていいだろう。リズは車を降りてから彼にべったりくっついて離れない。一日離れて寂しかったのかもしれない。彼は慣れた手つきでいろいろな食材を焼いている。私はちょっと怖いので逃げてきた。いいやリズがおかしいのだ、まだぴくぴくと動いている貝や真っ二つの伊勢海老が焼かれる様子を見ながらうまそうと喜んでいる。おそらくおいしいのだろるけれど。
「千歳。こんなところでどうした?」
「先輩。…いいえちょっと海を見ていただけです。」
夕日に照らされた湘南の海、山に囲まれた私たちの故郷では見ることなどできない景色だ。あちらの夕日も美しいが、ここもまた違う良さがあると思う。
「ここに来るなんて夢にも思わなかったので。」
ここにくるお金がないという話じゃない、きっと来ようとすら思わなかっただろう。私の世界はずっと閉ざされていた。彼が現れなければきっと今も家の一室でただ文字を見ていたはずだ。
「私もだよ。こうしてみんなで、こんなきれいな場所で、楽しく笑い合えるなんて、本当に夢みたいだ。本当にこれてよかった。」
「…はい。
世界がキラキラしているなんて私は想像さえできなかった。未来は真っ暗でどんよりとしてて夢も希望もない。ずっとそう思っていたというのにたった一度の出会いでこうもあっさり変わってしまった。なんておかしなものだろう。本当に困ったものだと思う。
「その笑顔最高にかわいいな。」
「え?」
すると先輩はそう私に言ってきた。笑っていたのだろうか。まったくそんな気はなかったのだが、
「ふふふ。来てよかった。本当によかった。」
「どうしたんですか先輩?先輩?」
よかったと繰り返しながら何度も先輩は私の頭を撫でた。よくわからないしなんだか恥ずかしい。けれど嫌ではなかった。いい香りが漂ってきた、食材がいい感じにやけてきたのだろうか。とりあえずまずは、あの伊勢海老から試してみよう。
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