第二章 蛇と黄金の林檎
第62話「夏の強化合宿兼バカンス」
夏がやってきた。外の気温は28度を超え、日差しがじりじりと暑くなってくる。セミはひぐらしの声からアブラゼミのようなやかましいものに変わってしまった。熱中症患者も出てしまいそうな今日だというのに、中学校は部活動や委員会活動でにぎわっているようだった。
「よっこらしょ。ここでいいか?」
「ありがとう瞳ちゃん!助かったよー。」
「なんてことないさ。私もやってみたかったんだよ高跳び。」
「力持ちだし瞳ちゃんマジ男前だわ。」
「それ喜んでいいのか!?」
陸上部の高跳び用マットを女子部員たちとともに運んでいた。夏休みはこうしていろんな部活に潜り込んでは、その部の練習に紛れ込む。これが瞳の休み中の過ごし方だった。一年生のころもこんな感じだった。多くの人間が瞳のことをよく知るようになったのもこれの影響が大きい。孤児院で暮らす瞳は当然お金もなく、手伝いをする必要がないときは絶望的に暇なのだ。長期休みの暇はこうして解消するほかない。髪をくくって高跳びに励んでいると、どこからか話し声が聞こえてくる。来週は家族で北海道に行くとか、友達とショッピングに行くとかそんな話だ。
「旅行か、一回でもいいから行ってみたいな。」
ぼそりと言葉が漏れる。きっとみんなに気後れさせてしまうから誰にも言えないが、そんな願望を持つのは無理もないだろう。
白夜はそのころ雑務に明け暮れていた。多数の中学生高校生が突然失踪し、発見された事件。学校の所有する学生データの改ざん事件。学生たちが失踪していたことに気づいたのが発見されたのちというあまりに不可解な状況に教師も警察も混乱していたのだ。
「今月は休めねえなあ。」
最近居候している麻里佳のおかげで、家事については負担がない。しかしひと月にかかるのは、一人娘の洋子のことだった。洋子が持ってきてくれたインスタントコーヒーをすする。なにやら言いにくそうな雰囲気を醸し出していたことが気がかりだったのだ。
「白夜。これ、洋子ちゃんが置いていったんだけど…。」
麻里佳が持ってきたのは一枚のチラシだった。そこに書かれていたのはリズの義兄であるシド・ブラッドリーが主催する、団体旅行への招待状だった。可能な限り保護者同伴可能という文字を見て、白夜は肩肘をついた。
「8月分はあ、後輩にぶん投げるかー。」
そのチラシをもらっていたのは洋子だけではない。千歳の家にやってきた清志、皆夫、洋子の三人は今回の旅行について話をしていた。
「シドさん。リズちゃんにお兄さんがいたなんて知らなかったよ。っていうかヴァンパイアって話も初耳なんだけどさ。」
「私もさらりと言われて訳が分からなかったのです。なんでリズがそんなかっこいい種族になっているのですか!」
「ふふん。」
「なんか自慢げでむかつくのです。」
「それで俺たちに稽古つけてくれるってわけか。マナ集めはいいのかよ。」
『しばらくは構わん。むしろお前たちの強化のほうが先決だ。今のままでは弱すぎるからな。』
魔導王の話によると、シドは剣術の達人で今回の旅行中に清志と皆夫の稽古をしてくれるという。つまり今回の旅行は清志たちの強化合宿を含むということだ。
「シド兄さまって魔導王より強いのか?」
『…本来の肉体であれば負けることはない。』
リズの何気ない質問に対して、シドはそっぽを向きながら話す魔導王に肩を組んで笑った。
「本当に本当かあ?ほらその太刀筋誰に教えてもらったか言ってみ?」
『…。』
「もしかして魔導王はシドさんの弟子だったの?」
それに対して魔導王は何も言わず嫌そうに舌打ちをした。
『まあ小細工なしの純粋な剣での戦闘において、この男以上の能力を持つものは相違ない。腐っても吸血鬼だからな。』
「もっと正直にほめろって。師匠は世界最強かもしれない!くらい言ってもいいじゃねえの?」
『やかましい。』
「つーかそんなに強いなら、最初から俺たちじゃなくてシドに戦わせればよかったんじゃねえの?」
「いきなり呼び捨てかよ!嫌いじゃねえけど。」
清志の言い分はもっともである。ヴァンパイアはただそれだけでどんな怪物にも恐れられる最強の種族の一つだ。脆弱な人間に任せるよりも目的を達成するのは容易いだろう。その言葉を聞いて魔導王はため息をついた。
『その通りだ。これが一度戦場に出れば、すぐに事は済むのだ。だというのに断られた。この男は肝心な時に役に立たん、腹立たしい限りだ。』
「だってめんどいし、俺は魔導王の配下ってわけじゃないからなー。そういう仕事はお断りなの。」
その言動に魔導王は嫌そうなオーラを全開にしている。それを見て清志たちは散々ウザがらみされて嫌いなんだろうなと心中を察していた。
「でも強化合宿には協力するぜ。この世界の未来のために、なんつって。」
『金もある程度はこの男が負担する。なんせ金持ちだからな。いくらでもたかってやれ。』
「そういうわけだ。俺は厳しいから頑張ってくれたまえよ少年!」
そう言ってシドは親指を上に向けて笑った。どこか軽薄で胡散臭い男だ。しかしどれほどの実力があるのかと、清志たちはどこか期待を胸に膨らませていたのだった。
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