第53話「裏切りのシーカー」

 目を覚ますと、そこは先ほどまでのダンジョンではなかった。光のほとんど入らない薄暗い密林、初めて清志たちが異界に入ったときに目にした森に酷似していた。


「気が付いたっすか先輩?」


 以前歯の治療をしたときに使った麻酔のように体の感覚がマヒしていた。かろうじて動かせる眼球を動かし自らの腕を見ると、ロープのようなもので縛られている。そしてこの場にいるのは環と、


「物騒な世の中だよねえ。この国でも毎年少なくない人々が行方不明になってるっていうけど、まさか女の子が誘拐しちゃうんだもの。おじさん怖くて怖くて。」


「いやあ、建物全部なくなったときは焦りましたよ。ナイスフォローっす。」


 火縄銃の男、団がいた。


「どういうつもりだ環!?」


「そんな睨まないでくださいよ。ぞくぞくしちゃうっす。」


 環は自らの唇に指で触れながらつやっぽい表情を浮かべる。一つ確信しているのは、この状況を創り出した張本人が環であるということだ。そして団と協力しているということは清志の敵であることは明白だった。


「心配しなくても先輩以外は無事っすよ?ちょっと眠ってもらって放置してきましたけど、それで死ぬことはないはずっす。」


「お前のその風、隠してやがったのか。」


「情報は切り札っすからね。私のエピックウェポンの能力は「風」ではなく「風邪」っていうのはなんかまた違うんすけど、要するに「毒の風」っす。」


 環の周りを巡る風、それは今まで見たものよりも毒々しく不気味な紫色をしていた。おそらく今までは弱毒状態にしていたのだろう。そう考えるのが妥当だ。


「すごいっすよねエピックウェポン、最初はすべて同じものなのに所有者によって全く別のものになるんですから。まるで心を反映しているみたい…それでも似通るのは似たような人は結構いるからっすかね?その中でもなかなか強い能力だと思うんすけど先輩はどう思いますか?」


「今動けたらお前の頭ひっぱたいてるよ。」


 東との戦闘中、清志は全く毒の気配に気づかなかった。無味無臭の毒というものもあるらしいが、それを使いあのダンジョン内にいた全員を眠らせた制圧力は確かに強力だ。


「勝負の邪魔しやがって…あと少しで…。」


「そっちすかあ?確かに見事な戦いぶりだったっす。最後までやれば先輩の勝ちだったでしょうね。でも先輩も、あの東って人も本気じゃなかった。先輩が刀の峰ばかり使っていたのはそのいい証拠っす。」


「…。」


「理由はわかるっすよ先輩。人を殺したくない、瞳先輩や洋子ちゃん、私にも死体を見せたくない。先輩のトラウマですものね。」


 その言葉に清志は目を見開いた。


「お前が何を…。」


「ほぼ全部知ってるっすよ。情報通ですからね。自殺した先輩の妹さん、桑田聖くわたひじりのことも。」


 桑田清志には一つ年の離れた妹がいた。どちらかといえば内気で奥ゆかしい子供だったが、負けず嫌いで清志とのゲーム勝負では一度負ければ二度勝たなければ気が済まない性格だった。洋子とは親友で幼少期は三人でよく一緒に遊んでいた。


「しかしおよそ四年前、先輩が小学五年生だったころに事件は起こった。クラスメイトからいじめを受けていた妹さんは学校の屋上から飛び降りて自殺した。ひどい話っすよね。その落ちた目の前にいたのが先輩だったんですから。」


 赤い記憶がよみがえる。何度も何度も繰り返し、鮮明で色あせないあ紅い記憶だ。

生々しい熱気、つんざく鉄の香り、消えた音何もかもがフラッシュバックする。奥歯をかみしめ口から血が出るほどの憎しみが湧き上がってくる。


「先輩。もうやめましょう?全部捨てて楽になってください。私と逃げましょう?」


「駄目だ。殺すんだ。俺は奴らを全員…!」


「そうっすね。いじめの事実を知った先輩は主犯格に対して暴行事件を起こした、それ以降その人たちはバラバラに転校した、だから不可能っすよ。学校がすべて隠ぺいしたんすから、見つけようがないっす。」


「ふざけんな絶対に見つけ出して!」


「先輩は頑張ったっすよ。」


 環は清志を抱きしめる。そのまま頭をなでて、いつくしむように言った。


「先輩はやさしいっすから、罪を起こしてでも復讐したいと思ってるんすよね。でもそれをしたら誰も幸福になれないですよ。先輩も周りの人も誰も。」


「知るか!聖を殺したんだ!あいつらは蛆の出来損ないにも劣る下種の分際で聖を!そのせいでみんな…みんな壊れちまった!」


「先輩のせいじゃないっすよ。先輩が手を汚さなくていいんです。」


 清志の脳裏にあの罵倒がよぎる。「あんたのせいよ!」壊れた母親は聖が自殺した責任を清志に押し付けた。子供心にひどい責任転嫁だと思った。親だというのに娘の異変に気付かなかったというのにだ。だからといってその言葉をただの戯言と割り切ることなどできるはずもなかった。だが環の言葉に心が揺れた。自分のせいじゃないといってほしいと心のどこかで思っていたのだ。苦しんでいた心をやっと誰かがわかってくれたと思った。


「だから逃げちゃいましょう?誰も責めたりしないっす。煩わしいものすべてを捨てて私と生きてくれませんか?」


 その時やっと環の言葉が冷静に聞き取れた気がした。本当にうれしかった。だからその言葉にもついていきたいと思う自分がいた。


「ごめん環。それでもだめだ。壊れても煩わしくても…まだ残ってるんだ。少しずつでも取り戻せるかもしれないんだ。だから…。」


 その言葉の意味を環が理解できたとも思わない。清志にはこれ以上うまく自分の心を言葉にできなかったのだ。体を離した環は「強いっすね」と清志に微笑む。


「でも先輩。私ひどい女っすから、無理やりでもやるんです。先輩の足を切り落として、拘束して連れて帰る。それが私の願望っすから。」


「どうしてだ?」


「…内緒っす。」


 環は双剣のひと振りを振り上げる。


「ごめんなさい先輩。痛くはしないっすから。」


 未だ清志の体はうまく動かない。よけることは不可能だった。どうしようもないと悟り力を抜き目を閉じた。それに環は少し悲しげに笑った。そして剣を振り下ろす。


『それは困るな。これは俺の駒だ。』


 この場にいるはずのない声を聴き目を開く。その時すでに体を拘束した縄は切れ、環とは距離が離れていた。上を振り向けば、真っ黒な古フェイスの男が抱きかかえていたのだ。


「魔導王!」


『間抜けをさらしたな清志。まあ偶には助けてやるさ。』


「来たっすね魔導王!」


『ああ面倒だが、下僕のしりぬぐいも上司の務めだ。』


 きっと見えない仮面の下は馬鹿にしたように笑っているのだろう。現れたのは複数の札を持ってやってきた魔導王だった。



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