EX5「ヴァンパイア」
千歳は朝食のいい香りを感じながら目を覚ました。こうしてすっと起きれるあたり質の良い睡眠がとれているのだろう。以前は目立っていた目の下のクマは全く気にならなくなっていた。千歳はいつものように寝穢い同居人を起こすべく隣に寝ているリズに声をかけようとした。
「…え?」
しかしそこには見知った親友の姿はなかった。その代わりに美しいウェーブのかかった長い金髪の美しい少女が眠っていた。その腹部にはお札のような紙がセロファンテープで貼られている。その寝巻は昨夜見たリズが来ていたものと一致するが。
「うん、そうしよう。」
千歳はすぐに起き上がると急いで彼のいるキッチンへと向かったのだった。
「ねねねねえ!リズが…リズがリズじゃなくて、金髪のなんかクルクルの!」
『何をてんぱっているのだ。少し落ち着け。』
魔導王に背中をさすられ一度深呼吸する。千歳が状況を説明すると、詳しい話はあれを起こしてからだと、魔導王は全員分の食事を寝室へ運んだ。
『ほれ起きろ。』
「んーなんか気だるい。」
『飯は持ってきてやったのだ。起きねば食えんぞ。』
「食う―。」
魔導王に抱き起され、金髪の美少女は眠たげに起き上がった。その声はやはり間違いない。
「本当にリズなの?」
「どうかしたのかー?あたしはあたしだぞ。」
千歳は確認をとるために持ってきた手鏡を彼女に渡す。少女は不思議そうに鏡を覗き込んだ。
「あ、母様っぽい。カツラでもつけたのか?」
「地毛なんだけど。」
引っ張ってみると少女は痛そうにやめろーと小さく叫ぶ。これは間違いないこの金髪の美少女がリズであることを千歳は確信した。
「で、どういうこと?」
千歳は魔導王に聞いてみる。彼が何かしたのではないかと疑ったのだ。すると彼は飯を食いながらだと二人に促し説明を始めた。
「リズ。お前には母親側の英語名があるはずだ。覚えているか?」
「もちろん。えーと、エリザベート・ゼクス・ブラッドリーだったはず。ブラッドリーは母様の苗字だって。」
『そうだ。少し前にリズの家へ行って確認をとったが、名前はそれで間違いない。そしてこのブラッドリー一族というのは我々の世界ではなかなか有名な家系なのだ。』
「ブラッドリーってイギリスの苗字でしょ?そんなに珍しくないと思うけど。」
千歳とリズはおじやをほおばりながら頭に?を浮かべた。
『日本でいう
「吸血鬼って血を吸って増えて十字架とか太陽とかが弱点のあれ?」
『おおむねあっている。まあ、太陽も十字架も弱点ではないようだが。』
ヴァンパイア、人の血を吸い巨大な魔力と圧倒的な身体能力を持つ怪物であり怪異の王と称されることもある。魔導王の話によるとリズはその一族の一人でありヴァンパイアの中でも最上位である真祖であるのだという。
「もしかして…前に言っていた盗人が強くなるための何かって。」
『よく覚えていたな。その通りだ。たとえ怪異の王であっても子供であれば殺すのは容易い。芳醇な魔力を持つ弱い獲物ほど素晴らしいエサはあるまい。』
「…ってことは魔導王はあたしを守るために来てくれたってことか?」
「…確かに。」
『馬鹿を言うな。俺の目的は俺の財を盗んだ奴を制裁し財を取り戻すことだ。』
「そっかそっかー。」
リズは甘えるように魔導王へともたれかかる。嫌がる様子もなくなすがままの彼を見て、さすがの千歳もその言葉が正確でないことがわかってきた。
『話を戻すぞ。今後の問題はとりあえず大きく分けて二つある。』
その日は結局学校を休むことになった。夕方になり千歳は一人ある場所へ向かう。
「いきなりすぎ。」
道すがら千歳はそう愚痴をこぼす。ヴァンパイアの真祖は人間と同じ方法で繁殖し、その子供は女子であればおおよそ初潮を迎えるころに大きな変化があるらしい。髪の変化もそういうことだ。眠っていたリズの腹部に貼られていた紙は魔導王が作った痛覚軽減のための魔術札だという話で、これからは生理用の薬の使っていくという話だ。
『以前子供を養育した時はメイドに任せていたからな。俺も確実なことは言えん。』
「え、子供いたの!?」
『俺の子ではない。デリケートなことだからな、とりあえず同性のお前にも手伝ってもらうぞ。』
そんなわけで千歳も初潮や生理について大まかな説明を受けた。多くは学校で習ったことであったが、これから役に立つこともあるかもしれない。
「私には関係ないけど。」
そしてもう一つはリズの吸血鬼としての問題だった。
「吸血鬼ってことは血を吸うの?」
『ああ。それについても調べた。リズの母親が文書にして残していた。ラテン語で書かれていたが、父親にでも読ませるつもりだったのか…そこはわからん。それがこの文書だが、一つ面倒な慣習がある。』
「面倒な慣習?」
そう言って、魔導王は文章について説明した。千歳もリズもラテン語については全くの無知であったが、魔導王の言葉を信じるほかなかった。
『人は搾取すべき家畜ではなく、共に生きるべき隣人である。我々は隣人の血の糧がなければ生きること能わぬ。故に最大の敬意と感謝を持たねばならない。同意なく相手の血を奪ってはならない。必ず口づけを交わし感謝をささげ、同意を得なければならない。之がブラッドリーの掟なり。』
「つまりチューしないといけないってことか?」
『そういうことだな。輸血パックがあれば別に構わんのだろうが、やはり購入は難しい。できれば身近な人間に提供してもらうのが理想的だ。』
「…つまり私ってこと?」
『そうなるな。』
「…ちょっと考えさせて。」
一通りの経緯を思い出し、千歳は道路に落ちていた石ころを蹴った。
「生理の世話しろとかキスして血を吸わせろとか、召使なんかじゃないのに。」
リズが言っていた「魔導王はあたしを守るために来てくれたってことか?」という言葉が千歳の頭にふっとよぎった。千歳はした唇をかむとため息をつく。
「なら私は?」
しばらくすると見知った場所についた。これまで何度も来た、千明の家だ。車酔いでぐでっていた小さな少年を介抱してから不思議と通うようになっていた。家の前の交通量の少ない道路で彼はボールを投げて一人遊んでいた。
「千明君!」
「あ、千歳姉ちゃん。」
彼の柔和な笑顔を見ると、自分の中の暗い感情が溶けて消えていく気がした。千歳は千明とともにキャッチボールをして遊ぶことにした。バスケットボールを使ってキャッチボールをするという何とも奇天烈な遊びであったが、彼と彼の父親とのキャッチボールではこれが普通であるらしい。腕を傷めないか心配したこともあったが、投げることが下手な彼はいつも両手を使っているためそんなに負担はないようだ。その後はサッカーボールを蹴って遊んだりし、疲れてきたので低いコンクリートの塀に腰かけて休んだ。
「楽しかったね。」
「うん。」
あくびをする彼の頭をなでると千明は気分よさげに目を細める。そろそろいい時間であったので千歳も帰宅を考え始めた。しかし少しだけ考えて、彼女は言った。
「千明君はさ、キス…したことある?」
完全な気の迷いだった。小学生になりたての子供にする話などではない。案の定わかっていない様子だったが、千歳は抑えが聞かなかった。
「えっとチューしたことあるかなって思って。」
「あるよ。」
「あるの!?」
「母ちゃんがね、たまにチューってやる。」
「そ、そうなんだ。」
どうやら千明はキスを一つのスキンシップだと思っているようだった。仲の良い親子とは思っていたがそういうこともあるのかと千歳は驚愕した。
「な、ならさ。私ともしてみない?」
いってすぐに後悔した。完全に気の迷いだった。しかし千歳は初めてのキスが同性のリズであることがどうも受け入れられなかったのだ。子供なら大丈夫というあさましい考えだ。そんな彼女の考えを知る由もなく千明はあっけらかんと言った。
「いいよ。」
「いいの!?」
「あいな!」
「じゃ、じゃあ…こっち向いて…。」
その後千歳は初めて感じる激しい罪悪感とともに帰路につくことになった。
家につくとリズはテレビを見ながらくつろいでいた。魔導王も夕飯の調理が終わったようで、こちらに気づくと帰ったかと手を洗うように千歳に促した。
「ねえ。」
『なんだ?』
「いいよ。血位なら、あげてもいい。」
『そうか。』
「…でも怖いからちゃんと見てて。」
『ああ。』
魔導王はリズを呼び、吸血方法について説明を始めた。
『ヴァンパイアの犬歯部分は人間より長く鋭い。また再生阻害と痛覚緩和の効果を持っている。この二本の歯の片方もしくは両方を使って首筋に沿って存在する頸動脈を突き刺し吸血を行う。一方ヴァンパイアの唾液には強力な再生効能がある。つまり吸血でできた傷をなめとることで傷を治すことができるわけだ。』
「よく知ってるね。」
『散々殺しあったからな。ある程度の弱点も特性も理解している。』
「殺しあったって…。」
『リズ、できそうか?』
「んー頑張ればできると思う。」
『そうか。千歳、慣れるまでは痛いだろうがこれが失敗しようとすぐに傷は治療してやる。安心して捕食されろ。』
「捕食言うな。ばーか。」
そして千歳とリズは向き合い互いに正座した。先ほどまで余裕そうにしていたリズもこうして正面に立つとさすがに緊張するようで目をそらしながら口をもにょもにょ動かしていた。
「ほらリズ。最初はキスでしょ。」
「え、あーうんそうだな。えーっと。」
リズが立ち上がりぐいっと千歳へ近づく、互いに顔を紅潮させ息のかかるほど顔が近づいたところで制止した。
『…よく考えればなぜ女児同士の接吻迄見ねばならんのだ。』
「そこっ!水を差さないで!」
不安なので最初から最後まで目を離すなといったのは千歳であった。
「それじゃ、行くからな。」
「うん。」
人生二度目のキスはどこまでの非日常的で一生忘れられないだろう。やわらかい唇の感触と熱いほどの吐息、口を離した後に見えたとろけたような甘く美しい顔。同性愛者でなくとも千歳が赤面して気絶しそうになったのは仕方がない事だろう。そしてリズは千歳の首筋に口を当てる。きっと本能が理解しているのだろう。正確にその牙は頸動脈を突き刺し血を吸い上げ始めた。
「あ…う。」
思ったよりも痛みはなかったむしろ血を吸われるときに感じたどうしようもない服従的な快感があまりに恐ろしかった。意識が飛ばないように精一杯リズの体を抱きしめ血が吸い終わすときをじっと待った。きっと数秒のことだったのだろうが、千歳には何十分も立っているかに感じられたのだった。
「ぷはっ。ご馳走様!」
「終わったの?」
『ああ。上出来だ。』
「あのな、千歳の血すっごく甘くてうまかった。」
「甘いってそんなに血糖値高くないし。」
『吸血鬼になると血に対する味覚も変わるようだ。甘いといっても甘味料成分を感知しているわけではないだろう。…今日やるべきことは終わった。飯にするぞ。』
「はーい。」
「うん。わかっ…あれ。」
千歳が立ち上がろうとすると体に力が入らずよろけてしまう。魔導王はそんな彼女を受け止めるとそのまま抱き上げた。
「あっ。」
『結構な量吸われたからな。一時的な貧血だろう。飯を食えばすぐ戻る。』
「うん。…ねえ。」
『なんだ?』
「疲れて動けない。食べさせて。」
『ふっ。ずいぶんと困ったやつだな。自分で食え。』
「む…私頑張ったもん。」
『…そうだな。なら代わりに買っておいたイチゴのショートケーキをやろう。リズには内緒だ。あれが眠りこけてから…な。』
そう言って魔導王は千歳の頭を撫でた。ショートケーキは千歳の好きなケーキの一つだ。
「ん。内緒ね。」
「魔導王!早くしないと食べちゃうぞー!」
『すぐ行く。おとなしく座っていろ。』
魔導王が現れてから始まった非日常、魔法、武器、怪物、ヴァンパイア。しかし千歳はこの非日常がとても好きだ。見えない彼の頬にキスをする。なぜか大好きなあの子と同じ感触がした。
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