EX4「絵本」
占い師が水晶に手をかざすように魔導王は座っている。その両手は怪しい光をまとい、そのすぐ空中には小さな箱のようなものが浮いている。ぶつぶつと独り言を言いながら指を動かしている。いつからやっているのかは知らないが、千歳たちが学校から帰ってきてからしばらくの間そんな状態が続いた。
『ふぃ…まあこれでよかろう。』
「お、終わった?…魔導王―、昨日の今日で大丈夫なのか?」
『問題ない。』
「本当に?」
そんな不思議な光景を眺めていた二人は背伸びをする魔導王に問いかけた。
「昨日はすごく具合悪かったし。…リズのあれも…。」
千歳は昨日のことを思い出していた。千歳たちが中学校の球技大会を終えて帰宅すると、ソファーで魔導王が横たわっていた。寝ているのかと様子を見てみれば、高熱を出しながらうめき声をあげていたのだ。あたふたしながら二人は看病しようと動き回った。氷枕や薬や水や思いつくものをかき集めた。
『別に風邪ではない。少し魔力を使いすぎただけだ。寝ていれば治る。』
そう言ってはいたが千歳はただ見ていることもできずあくせく動き回ったのだ。しかしとりあえずできる限りのことをした千歳がいつのまにかいなくなっていたリズの様子を見に行くとさらにひどい状態になった。
「…な、なにしてるの!?」
「あ、千歳ー。今な、魔導王におかゆ作ったから持っていくとこだぞ。」
「おかゆ?これがおかゆ!?」
普段冷静な彼女であるが、この時ばかりは動揺せざる負えなかった。あまりに自らの常識とかけ離れていたからだ。リズの手には無数の切り傷があり、大皿に乗ったおかゆらしきものにも割とその血が混ざっている。野菜やベーコンが生米と一緒に煮られた物体だった。引き留めるよりも先にリズは魔導王の元へそれを持って行ってしまう。
『なん…だと…?』
「昔母様が元気になるには肉と米だって言ってたんだ。ちゃんと野菜も入れたぞ!」
「ちょ、リズ!?そんなのあげちゃダメ!」
「なんだよそんなのって。」
冷えピタをつけられ厚い布団にまかれた魔導王がはい出るように起き上がった。
「お米だって炊いてないし、なによりリズの血が入ってるでしょ?そんなの食べ物じゃない。そんなの食べたら具合が悪化するでしょ?」
「え、だって…肉と米は…。」
「いいから捨てる!」
「母様があ。」
『…いい。それくらいにしてやれ。』
泣きそうな顔になるリズの手から魔導王は大皿を手に取った。そして勢いよく書き込むように食べ始める。その光景に千歳は絶句した。すべて平らげると、一つため息をついて魔導王は言った。
『確かに食えたものではないな。生煮えだ。塩辛い。』
「あ、…うぅ。」
彼は唇をかみしめるリズの手を取ると光が現れ、彼女の手傷を癒した。
『しかし、誠意は伝わった。悪くない気分だ。』
そう言ってリズの頭をポンポンと優しくなでる。
「え、えへへ。」
魔導王はそのまま立ち上がる。千歳が止めるも大丈夫だとあしらった。
『とりあえず、おまえたちの夕食だけ作ってからまた寝るとしよう。まだお前たちに台所は預けられんからな。』
そんな感じで今日の朝もずっと眠っていたのだ。帰ってきた二人が心配するのも無理はないだろう。
「本当に本当かー?んー…熱はない。」
『何を言っているのだ。熱がなければ死んでいるぞ。』
「な、なんだって!?」
『試しにお前の熱も奪ってやろう。』
「ひゃあ!冷たっ!」
魔導王に抱き着いて額の熱を測るリズの首元に彼が手をかざすと、ひゃーとリズは小さな悲鳴を上げる。原理は不明であるが、彼の手から冷風がなびいているらしい。以前カピバラを見に行ってからというものリズは前よりも魔導王との距離が近くなった。こうして抱き着くことも日常茶飯事である。さらに魔導王も少し打ち解けたのかちょっとした冗談を口にしたりする。
「…まあ大丈夫か。あ。」
ピンポーンとインターフォンが鳴る。外には黒猫マークのトラックが停車していた。すると千歳が足早に玄関へ向かう。そして戻ってきた彼女の腕には大きな段ボール箱があった。
「何か買ったのかー?」
興味を惹かれたリズは魔導王の膝から降りると彼女のもとに向かった。千歳はカッターナイフを使って段ボールを開けると満足そうに微笑する。
「あ、これ!」
箱に入っていたのは分厚い本が十冊。「親子の世界名作絵本集」とかかれた絵本だ。その名の通り世界のいろいろな童話が独創的な絵とともに収録されている。
『ほう。よく手に入れたな。たしかだいぶ古いものだろう?』
「知ってるの?」
『ああ。これはいい本だ。…手に取っても構わんか?』
「いいよ。」
『ふむ…スウェーデンの童話だったか。あった。ポンペリポッサ。』
「あのね、千明君の家にあったものを見せてもらってね。いいなって。」
「千明たちはいつも母ちゃんか父ちゃんに呼んでもらってるんだってさ。あたしも読んであげたぞ。これこれ。」
「リズ子供用の簡単な方呼んでたけどね。」
『ふむ。これは良い買い物だ。』
三人で本を開きながら話を続けた。魔導王はこの本をよく知っているらしく、いくつかお気に入りらしい話を二人に教えた。
『ミツバチマーヤ。この絵はまねできん。写実的だが鮮やか、これほど手の込んだ絵本を他には知らん。醜いアヒルの子はもはや絵ではなく人形で作った写真だがこれも悪くない。』
「なんか魔導王のほうが喜んでる。」
「確かに―。」
『む…そうではない。』
しかし千歳は魔導王がこうしてこの買い物に好意的に反応してくれることが本を手に入れたこと以上にうれしかった。また彼が絵本なんてものに造詣が深いというのが少しおかしい気もして、同時に妙に納得する気がしていた。
「ねえ。」
『なんだ?』
千歳が魔導王の見えない袖を引く。振り返り質問する彼に彼女は選んだ一冊を見せながら言った。
「読んで。」
『…よかろう。しかしこれから夕飯の準備だ。寝る前で構わんか?』
「ん。」
足りない言葉で心意が正確に伝わることが不思議で温かかった。
夜
千歳とリズ二人で寝ることが多く、購入したダブルベッド。子供二人では広すぎたそのベッドに今度は三人で寝転がる。千歳とリズがそれぞれ魔導王の腕を枕にしながら抱き着き、魔導王はたいして気にすることもなく分厚い本を二人に見えるように広げた。
『「こんなにかわいいじょうとうなお客はめったに来ない。二人をガチョウにして、今夜はしばらくぶりで、ガチョウの丸焼きを食べよう。へっへっへ。」ポンペリポッサは嬉しそうにさっと、二人に魔法をかけました。ガチョウにされた二人はびっくりして…。』
魔導王の低い声、抑揚の少ない静かな声。しかし男らしい力づよさをはらんだ声は心地よかった。千明も父親にこうして本を読んでもらったのだろうかと千歳は思案した。同じように絵に見入るリズは少し眠そうで楽しそうだ。本当は千歳たちのような年齢を対象にした本ではないのだろう。それでもその物語は新鮮で引き込まれるものだ。
どうしよう。かなり幸せだ。
物語が終わるころには自然に眠気がやってきた。明かりが消えると千歳は目を閉じる。しかし温かい感触が彼女を安心させた。この一、二か月彼女に眠れない夜は来なかった。永遠にこうしたいと思ってしまうほど甘い毒だ。
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