EX3「草原の支配者」

 その日は千歳にとって最も憂鬱な日だった。あの陰険な家政婦が家にやってくる日。その間だけでも千明の下で遊んでいたい千歳であったが、父との取り決めでそれもできないのだ。しかし今までと違っていたのは、魔導王がいたことだった。


真藤まとうれい?」


『ああ。少し前から雇われてな。なにそっちの給料が差し引かれることもない。仕事が減るだけ万々歳だろう?』


「まあそうだけどね。」


 魔導王が家政婦に名刺を差し出し、挨拶をする。それをいぶかしげにしつつも受け取るが、最後には納得したようだ。これからはたまに様子を見に来る程度に落ち着くらしい。それに聞き耳を立てていた千歳は内心ガッツポーズした。


「あんたも物好きだね。あんな売女の娘なんかの世話係なんて。」


「売女?」


「知らないのかい?まあいいけどね。あの綺麗な顔に騙されるもんじゃないよ。外面がどんなによくても体の奥底は見るのもおぞましい…。蛙の子は蛙だからね。」


 その言葉に千歳は胸が締め付けられる思いがした。自らの罪が公にされるようでそのせいで彼が自分を軽蔑する気がして恐ろしくなった。しかし魔導王はそんな家政婦の言葉を鼻で笑う。


『ふっ何、泥から見つかる宝石もあるさ。』


 千歳は驚いた。同じように家政婦も一瞬呆然とするが、すぐに忌々し気にそうかいと帰っていった。


『なんだ?』


「え?」


 気が付くと千歳の前に魔導王がいた。千歳は動揺し転びそうになるも魔導王の腕に支えられる。


『そそっかしい奴だ。』


「…ありがとう。」


 いつもはこうではないのだ。しかし今日は気が動転してしまってうまくいかないだけなのだと心の中で言い聞かせた。部屋に戻ろうとする魔導王の見えない服を後ろからつまみ一度深呼吸して問いかけた。


「聞かないの?」


『何をだ?』


「私の過去。」


『どうでもいい。』


 千歳はその言葉を聞いてうつむいた。質問してくれた方が幾分ましだと思った。しかし魔導王はそうはしてくれない。下を向く千歳に魔導王はため息を吐いた。


『そもそもお前のような生娘に売女もなにもあるまい。』


「ななななんでそんな断言できるの!?」


『俺は物体を原子レベルで観測可能だからだ。服があろうと何があろうと大した関係はない。』


「見たの!?変態…?変態!」


『見ようとしなくても分かるのだから仕方あるまい。まあそういうことだからあんな言葉を気にする必要はない。売女になるもならないも今後のお前の選択次第だ。』


「なんないから!」


『そうか。』


 大した興味もなさそうに魔導王は部屋に戻ろうとする。千歳は理解した、この男にデリカシーはないのだと。うれしくもあったがむかついたので背中の肉を思いっきりつねることにしたのだった。



そして数日後


『熱海に行くぞ。』


「ぞー!」


 その言葉に何を言っているのかと千歳は渋い顔をする。ゴールデンウィークというせっかくの休みの日、家で静かな時間を過ごしたい彼女であったがそんな気持ちをお構いなしに二人は準備を始める。


「ちょっと待って。いきなり?なんでいきなりそうなるの!?」


「んー前々から話してたぞ。千歳はどっちにしろ渋い顔するから言ってなかったけど。」


 リズの話によるとゴールデンウィークはどこかに行きたいと魔導王にせがんだらしい。その結果彼が計画を立ててくれたのだという。驚いているせいか怒りなどは出てこないが思考が停止する千歳であった。


「…どうやって行くの?電車とか嫌なんだけど。」


『問題ない。レンタカーは手配した。』


「…運転できるの?」


『当然だ。』


 外を見てみるとなかなか高級そうな車が駐車してあった。ここまで準備が完了していれば何も言えないと千歳は観念せざる負えなかった。そして思い返せば最初にこの家に来た時以来お金の請求は全くないが、どこからその費用はねん出されているのだろうと少し怖くなったのだった。


 一時間後、車内


『一度休憩するか。』


「うん…うっぷ。」


『車酔いするなら先に言え。吐きそうか?』


「車乗ることなんて久しぶりだったから。トイレ行ってくる。」


『ああ。おいリズ。起きろ。』


「ふああ。はーい。」


 サービスエリアに停まり、トイレ休憩をした。千歳は車酔いするタイプだったようで、なかなかつらそうだ。魔導王は自販機で緑茶を買うと、トイレから戻ってきた千歳に渡した。


『水分補給はしておけ。幾分か楽になる。』


「ありがと。」


『次は前座席に乗れ。その方が酔いづらいからな。もしくは寝ろ。そうすれば酔わん。』


「うん。…なんか詳しいね。」


『俺も幼少時はよく車酔いをしていたからな。経験則だ。』


「そう。」


「魔導王ー。腹減った。」


『まだ11時だ。我慢しろ。』


「えー。」


『うまい海鮮を食いたくないなら別だがね。』


「食う!」


『なら先を急ぐぞ。』


 一行は再度車に乗り込み、目的地に向かった。


 静岡 熱海


 休憩をはさみながら約三時間で熱海に到着した。大きな砂浜と、海岸に建てられたような広大な温泉街はまさに観光地だ。空は晴々としていて砂浜に立つヤシの木のせいもあってかここは日本だというのに南国にでもいるような錯覚に陥る。


「海!泳ぐのか!?」


『今は五月だぞ?…まあ泳げるかもしれないが今回は想定していない。とりあえず飯に行く。』


「あーい。」


 魔導王は酔いつかれた千歳を背負い食事処に向かう。


「なあ魔導王。」


『なんだ?』


「前から思ってたんだけどさ、魔導王ってちっちゃいよな。こうして外で比べてみると。」


『そうか。』


「魔力抑えるためにそうしてるんじゃないの?」


「あ、そういうことか!」


 すると急に魔導王の足が止まった。そして千歳を背から降ろす。


『動けるなら自分で歩け。』


 そういってまた歩き出した。先ほどより少し足が速い。


「…魔導王なんか怒ってる?」


『怒ってない。』


「え?あ…ごめんなさい。」


『怒ってない。』


 足早に歩く魔導王を二人で頑張って追いかけ、その後海鮮丼を楽しんだ。魔導王はしばらくの間ふてくされていたように見えた。


 昼食をとった後三人はまた車に乗り込んだ。しばらくしてついたのは山を登ったところにあるカクタス動物公園だ。ここが今回の旅のメインの一つである。


『着いたぞ。』


「何ここ?」


「ここにな、草原の支配者がいるんだってさ!」


 興奮した様子のリズの言葉に千歳は首をかしげた。


「草原の支配者?」


 ここは動物園の一種だ。坂道を上り受付で入園料を支払うとすぐ近くに動物の小屋があった。そしてそこにたくさんの動物たちが人間のすぐ横を歩いている。フェンスは存在していない。


「な、何これ?」


 千歳は魔導王の服をつかみぴったりとくっつく。どうやら目の前にいる巨大な生物を怖がっているようだ。対照的にリズはその動物を追いかけようとするので魔導王は首根っこをつかみおとなしくさせた。中型犬ほどの大きさのあるネズミにも似たその生物は桶にたまった水の中をふろでもつかるかのように泳いでいたり、巣箱で干し草をむさぼっていたりしていた。


『カピバラだ。』


「カピバラ?」


鬼天竺鼠おにてんじくねずみなどという名前もあるようだ。カピバラはインディオの言葉で「草原の支配者」という意味らしい。』


「これが…草原の支配者?」


 千歳は恐る恐るカピバラを見る。のしのしと丸い体を揺らせながら歩くその姿はのんびりとしていて俊敏性のかけらもない。ましてこうして手を伸ばせば触れるほどの距離にいるというのに人間への警戒心も皆無だ。


「どこら辺が?」


「知らん。」


 そのあと三人で動物公園をまわった。いたるところに様々な動物がおり、リズはきらきらと笑顔を輝かせてはしゃいだ。最初は渋い顔をしていた千歳ではあったが、孔雀が通路を歩いているところを見たあたりから好奇心旺盛な少女の顔へと変わっていった。


「これがカピバラ温泉。本当にミカンは食べないのな。」


「うん。キャベツにはすっごく群がってる。」


『もっさもっさ…。』


 ペンギンやインコ、アライグマやワラビーなど様々な動物がいるこの公園だが、最終的に見入ってしまうのはやはりカピバラだった。道の動物たちを心行くまで堪能しその後サボテンカレーなどの珍味を試してみたりと充実した時間を過ごした。


 お土産屋を物色していると、千歳がちらちらと何かを見ていた。魔導王がそちらに目を向けると彼女は何でもないと小走りに離れてお菓子を物色しているリズのもとに行ってしまう。


「魔導王ーこれ買っていい?」


『一箱なら構わん。あとあの餓鬼どもにも何か見繕ってやれ。』


「はーい。」


 大きなクッキーの箱を持ってくるリズに魔導王はそう答えた。その後、棚から商品をとる姿を見て千歳は目を丸くした。


「それ買うの?」


『ああ。』


 それは先ほど千歳が熱いまなざしを向けていたカピバラの枕だった。魔導王の背丈の半分ほどもある巨大なものだ。


『持っていろ。』


「あっ。」


 カピバラを投げ渡され千歳はそれをキャッチする。お土産を選び終えたリズを呼び、当然のように会計を行う。自分が欲しいと思っていたからだとわかった千歳はばーかと心の中で彼をこずくのだった。


 日も暮れ始め、旅館に向かう。たどり着いたそこは和風で古風な宿だ。おかみらしき人に案内され着いた部屋は香ばしい畳の香りがする美しい和室だった。


『夕食にはまだ時間がある。その前に風呂に入って来い。ここの温泉は評価の高い露天風呂、サウナも完備されている。なかなか悪くないだろうからな。お前たちは温泉のマナーはわかるか?』


「知ってはいる…けど…。」


『なんだ?』


「千歳はさ、あんまりああいう風呂入りたくないんだって。」


『なぜだ?調べた限りこれほど景色のいい温泉に入らんのは人生の損失だぞ?』


「魔導王温泉好きなのか?」


『お前たちも大人になればその偉大さがわかる。』


「…。」


『まあいい。時間はある少しのんびりするか。』


 座敷椅子に腰かけながら各々のんびりとすることにした。リズがテレビを見はじめ、魔導王が緑茶を入れてくつろいでいるところに千歳が声をかけた。


「ねえ。」


『なんだ?』


「聞かないの?」


『先ほど聞いた。答えなかったのはお前だろう?』


「…怒ってる?」


『別に。理由は気になるがね。』


「だって裸見られたくないもん。」


『そういえば西洋だとこちらが異端だったな。風呂の文化すら希薄だしな。同性同士でもそんなに恥ずかしいものなのか?』


「私は…変だから。」


『何がだ?』


「胸…とか。」


『ふむ。どれ?』


 モニっ


「えっ?」


 すると魔導王はさも当然のように千歳の胸を揉みだした。


『確かにその年の割にはあるが個体差の範疇だろう?俺が知っている中には軽くこれの三倍…ってなんだ?』


 千歳は真っ赤な顔で硬直し数秒動かなかった。そしてその赤さがさらに高まると怒り出す。


「な、何するの変態!変態!!」


『確認しただけだ。なるほど、いつも妙にサイズの大きい服を着ているかと思えばそんなことを気にしていたのか。心配するな、まったく奇形ではない。むしろそれよりない人間もいるのだから内心誇っておけばどうだ?』


「ほんっと!デリカシーがない!信じらんない!」


『叩くな叩くな。心配せずともお前たちに欲情するほど女に困ってはいない。』


「そういう問題じゃない!」 


 千歳を落ち着かせるためにしばらく時間がかかった。その後、千歳はお風呂入ってくると未だ怒った様子で部屋から出た。状況についていけず困った様子のリズもそのあとを追う。


『さて、俺も入ってくるか。露天風呂か…何年ぶりだ?まあいいか。』


 温泉に入った後、部屋は片づけられ御馳走が並んでいた。それを楽しんだ後、旅館の職員たちが布団を敷きに来る。そんな様子に驚きながら千歳とリズはそれを眺めた。


『もふん。』


「もふん!」


「何やってるの…?」


 魔導王とリズは敷かれた布団にダイブし顔をうずめた。しばらくごろごろしていたかと思うとあおむけになる。


『羽毛布団はやはり最初が一番触り心地が良いのだ。日常生活となると管理が面倒だからな。こういう時に堪能しておくべきだ。』


「ふわふわだ!千歳もこっち来いよ。もふもふだぞ!」


「え、うん。」


 膝をついて布団を触ってみると、確かに素晴らしい触り心地だった。千歳も思わず何度もついた手を浮き沈みさせて感触を楽しむ。


「なあ魔導王!」


『なんだ?』


「今日すっごく楽しかった!」


『そうか。』


 リズは魔導王の布団に潜り込むとその腕を枕にして彼に抱き着く。ちょっとと千歳はそれを止めようとするが彼はたいして気にしていないようだった。


「本当のお父様みたいだ。」


 そう微笑むリズの顔は少し寂しげだ。魔導王は彼女の頭をなでるとあくびをしながら言った。


『馬鹿を言うな。俺はお前の父親ではない。』


 どこまでもデリカシーのない言葉だ。千歳は顔をしかめるが対照的にリズは笑う。


「また行きたいな。こういう旅行。」


『せっかちな奴だ。なに夏休みにはまたどこか連れて行ってやろう。』


「うん。」


 リズは遊び疲れたのかもう眠そうだ。魔導王が右手の人差し指を振ると明かりが消える。小さなスタンドのオレンジの光だけが部屋を照らしていた。


「ねえ。」


『なんだ?』


 千歳もリズの反対側から魔導王の布団に潜り込む。温かく強い手だ。触れているとひどく安心感がある。どこか麻薬のようないや、悪魔のささやきのような誘惑がそこにはある気がした。魔導王、魔を導く王、彼が悪魔だというのなら千歳は驚かないだろう。


「貴方にとって私たちって何なの?」


 だというのに彼の二人への接し方はあまりに優しすぎる。これも計画的に動いているのだとしたら、きっと彼は学年一位の成績である千歳の頭脳も超えるだろう。千歳にはわからなかった。どうしてこんなにも暖かいのか。


『決まっている。お前たちはしもべ。俺は王。それだけだ。』


 千歳が魔導王の右手に触れると彼はやさしく握り返した。これが毒だというならあまりにも甘すぎる。私たちを堕落させてこの悪魔はいったい何を望むのだろう?どれほどの価値があるというのかと千歳はまどろむ意識の中考える。


『清志たちは魔力集めに精を出している。お前たちは…そうだな、せいぜい俺の寝具として奉仕でもするんだな。』


「…変態。」


『…俺からすればむしろその年でいろいろと知りすぎではないか?俺がお前の年の頃なぞ…はあ、これが俗にいうむっつりというやつか。』


「違うもん。」


『言っただろう?子供に欲情するほど女に困っていないとな。ほれ、さっさと寝ろ。』


「むう…おやすみ。魔導王。」


『ああ。おやすみ。』


 きっと彼は悪魔なのだろう。堕落させて依存させてそれからどうなるのかはわからないけれど、これほどの魅惑に千歳は出会ったことがなかった。息苦しくない夜はあまりに久しぶりだった。甘い毒にまみれながら、千歳の意識はゆっくりとまどろみ沈んでいった。

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