ある人は必死になっている
人生のほとんどが社会の中で過ごしている。
朝起きて、ごはん食べて仕事や学校へ出かける。
そして夕方になれば家に帰るというものは習慣的なものである。
それは年を重ねれば重ねるほど習慣がしみついてとれるものではないのだろう。
だからなのか、昼間はおとなしく過ごししている施設で暮らす老人たちも夕方になるとそわそわし始める。
日中はおとなしく座っていた人たちが急に立ち上がり、あっちいったりこっちいったりと施設中を回りはじめるのだ。いわゆる徘徊という行動を始める。
「出口はどこですか?」
「家に帰りたいんですけど」
「ねえ。給料はいつくれるのですか? くれないなら辞めさせていただきます」
十人十色の言葉が飛び込んでくるが、だれもが願うことはおうちに帰りたいということだ。
彼らは施設に入っている感覚ではないのだろう。
ただ仕事にきただけの人もいれば、デイサービスにきたという感覚の人もいる。
どこにきたのかもわからない人だっていたりする。
ちゃんと施設に入っていることはわかっているのにいつでも帰れると思っている人もいるし、施設ではなく病院に入院させられているという人もいる。
それも昼間はわかっていたはずなのに夕方になるとわからなくなるケースもあったりとさまざまだ。
「いつ帰れますか?」
そう尋ねられたら、「明日帰れます」という。
帰れないといったら怒るケースがあるからだ。
そして数分したらまた「いつ帰れますか?」
また同じ答えを出す。
それを繰り返す。
とにかく必死だ。
老人も帰ろうと必死になり、職員も帰すまいと必死になる。
夕方はいつも地獄。
いつも戦い。
けれど、日が沈み就寝時間になるころには大概落ち着いてくれるのはとりあえずの救いである。
今日の戦いも勝敗が付かないままで終わりをつげるのだ。
まあ、中には夜中から「帰ります」スイッチが入ることもある場合もありはする。
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