06話.[面倒くさい人間]

「全く年上という感じがしませんでした」


 これが昨日のあれを見た彼の感想だった。

 仕方がない、母の威圧感がすごいんだもの。

 仕方がない、下手をすれば門前払いをくらうもの。

 一方的に、かつ短時間でやる必要があったのだ。


「でも、よく頑張りましたね」

「結局、和宏が横にいてくれたからだよ」

「謙太先輩の力になれたのなら嬉しいですけどね」


 なんだかんだ安心した自分がいるのだ。

 年上としては情けなくて恥ずかしいが、やっぱり僕には和宏が必要なんだと分かった。


「和宏、ありがとう」

「俺はいただけですからね」

「迷惑かもしれないけどさ、やっぱり君がいてくれないと無理なんだと分かったよ」


 依存、しているだけかもしれない。

 どちらにしても彼にとっていいことではないことだ。


「ま、特になにか忙しいとかってわけではないですからね」

「あ、別に自由にしてくれればいいからね?」


 あー、なにも答えずに行ってしまった。


「木島ー」

「あ、豪君」


 すっかり暴力系キャラではなくなってしまった豪君。

 寧ろメッセージの内容とかを聞くと可愛いだなんて思えてくるような存在だった。


「あれ、いま町もいなかったか?」

「いたんだけど行っちゃったよ」

「まあいいか、それより木島」


 な、なんだ? やたらと真剣な顔をしているが……。

 やっぱり気に入らなくて殴りたいとかそういうことだろうか?

 もしそうなら慌てて逃げるところだけど、速力でも勝てているとは思えないからなあと、少し諦め気味だった。


「今度、出かけようぜ」

「え、いいよ? どこに行きたいの?」

「バッティングセンターに行こうぜ」

「分かった、それじゃあ今度にね」


 いやでも、とにかく母に比べれば豪君なんか怖くないな。

 無視や悪口などで追い詰めてくる人の相手をすることよりもまだ分かりやすくていいから。


「豪」

「お、良平か」


 あ、名前で呼び合っているんだ。

 実はこのふたりも連絡先を交換して可愛らしい内容のやり取りをしているのかもしれない。

 もしそうなら微笑ましいね。


「また謙太に絡んでるのか? 殴ったりしたらぶっ飛ばすぞ?」

「そんなことしねえよ、俺は木島を気に入っているからな」


 今度バッティングセンターに行くという話をしたら「俺も行きたい」と言ってきた。

 僕としては何人でも構わないから全ては豪君次第だ。


「別にいいぞ、どうせなら町も誘おう」

「そうだね」


 そろそろ学校に行かないと。

 先に行ってしまった和宏のことが気になる。

 ……また余計なことを言ってしまっただろうかという不安がある。


「じゃ、今日の放課後にな」

「「え」」


 ということになってもとりあえずは学校だ。

 幸い、彼のクラスに行ってみたらちゃんと相手はしてくれた。

 放課後のことを話しても了承してくれたため、微妙な関係になるというわけではなさそうだ。

 休み時間もきちんと教室に来てくれたし、今日は良平とも仲良さそうに話をしていたから満足している。

 が、


「謙太先輩になにやってんすか」


 結局、豪君に対してだけは当たりが強くてひやひやした。

 別に特になにかをされたわけじゃない、上手く打てなかったのを少しだけ揶揄されただけだというのに。

 こんなの翠の悪口口撃に比べたら遥かにマシなのにどうしてしまったんだろうか?


「おい町、木島はそこまで弱くないぞ」

「それとこれとは別ですよ、笑っていいわけではないですよね」

「やれやれ……」


 そう、優しいんだけど困ってしまうんだ。

 せっかく良平にも柔らかい態度で接するようになって安心していたのに豪君が相手だとこうなるとね……。


「木島、次は百十キロに挑戦してみようぜ」

「え、八十キロでもあれなのに打てるかな?」

「案外、ある程度速い方が打てるかもしれないだろ?」


 なるほど、挑戦してみるか。

 なんでも自分には無理だと片付けてしまうのはもったいない。


「てりゃっ」

「当たってるな、その調子だ」


 地味に楽しい。

 ピッチャーの前が限界だったとしても空振らないだけ成長しているように思えた。

 でも、みんな僕がやっているところを見ているだけで楽しいのだろうか?

 僕は楽しいけど気になるよ……。


「ふぅ、みんなもやろうよ」

「なんか木島がどんどん打てるようになるだけで満足なんだよ」

「分かるぜ、謙太が楽しそうだとこっちもなんかよくなるよな」


 なるべく見る専に徹して消費金額を減らすつもりでいたのにこれではあんまりだ。

 なにもかも上手くいかないというのは正直に言って寂しいとしか言いようがない。


「町、お前木島より打てるんだろうな?」

「打てますよ」

「じゃあ勝負しようぜ」

「分かりました、でも俺が勝ったら謙太先輩に謝ってください」

「分かったよ」


 良平に聞いてみたものの「いいんだよ」と言うだけ。

 それならばとふたりの戦いを見ていたわけだが、和宏は運動能力が高いから慣れない野球だろうと一切関係なく好成績を残していた。


「くそ、町はなんでも強いな」

「さあ、謝ってください」

「悪かったよ……」

「別にいいよ、寧ろごめん」


 上手にできていなかったのは事実だし、豪君は別に嫌味ったらしく言ってきていたわけではないんだから。


「あと、今日はここで解散にしましょう、謙太先輩はあまりお金を使えない身ですからね」

「そうだな」

「俺もそれでいいぞ」


 少し歩いたところで豪君に謝罪をしてから別れた。


「まったく、謙太が絡むと和宏は駄目になるな」

「馬鹿にしていいわけではありませんよね?」

「まあそうだけどもう少しぐらい優しくしてやれよ」


 確かに、彼を誘ったのは豪君みたいなものだしね。

 今日だって許可してくれていなければ三人だけで遊びに行くことになっていたところだったんだから。


「……すみませんでした」

「ま、謙太のことを考えて行動できるのはいいところだけどな」

「すぐに駄目になるんです。明らかに空気が読めていませんよね、面倒くさい性格ですよね」


 ああっ、彼がどんどんと縮んでいく、ように見える。

 別に責めたいわけでは僕も良平もないわけだ。


「可愛い奴め。ただまあ、これからは気をつけないとな」

「はい、本当にすみませんでした」

「豪に謝ってやれ、それじゃあな」

「気をつけてね」

「気をつけてください」


 この感じを見るに、良平のことはもう気に入っているようだ。

 豪君には悪いが、こういうところが見られて満足している。


「良平には優しくできて偉いね」

「衝突しても無駄に体力を使うだけですから」


 確かにそうだ、いい気持ちはしないしいいことはない。

 折れているだけなのかもしれないが、一緒にいる身としてはそうしてくれた方がありがたいわけで。


「仕方ない……謝っておくかな」

「うん、形だけでもね」


 今日も当たり前のように付いてきたから特に気にせずに飲み物だけ準備して放置する。

 その彼はスマホをいじって恐らく謝罪のメッセージを送っていた、と思う。

 今日はご飯を食べに行ってはいないからご飯作りを始めて、大体三十分ぐらい経過した頃に出来上がった。


「じゃあ食べよ――」


 う、としたときにインターホンが鳴って強制的に中断となり。

 出てみたら、


「謙太」

「うぇ」


 なんと、あの母親が立っていて固まる羽目になった。




「ど、どうぞ」

「ええ」


 和宏は寝室の方に隠した。

 別に変なことをしているわけではないから構わないだろうが、正直に言ってぶつかり合った仲だから心配になるんだ。


「ふぅ、それでどうして来たの?」

「元気にやっているの?」

「うん、この通り元気だよ」


 ご飯もちゃんと食べられているし、寝ることだってきちんとできているから昔よりもよっぽどいい状態と言える。

 そこまで考えたとき、物凄く嫌な予感がした。

 ただ元気かどうかを確認するために母が来るわけないんだ。


「和宏、家に戻ってきなさい」

「え……」


 追い出してくれたのはそっちなのに?

 お互いに嫌な気持ちにならなくて済んでいたのに?

 もうなにを考えているのかが全く分からない。

 大体、家に戻ったところでメリットがないじゃないか。

 また悪く言われるだけの生活になんて戻りたくないに決まっているんだ。

 やられたことのない人はそれが分からないから困ってしまう。


「今月いっぱいでひとり暮らしは終わりよ」


 母は一方的にそう言って家から出ていった。


「違うか」


 僕が内で考えたことをまたぶつけられなかったからだ。

 無言を肯定だと捉え、母は出ていったということでしかない。

 ……でも、いいか、最近は贅沢しすぎていたし。

 返す際に大変になるから実家暮らしの方がその視点で見ればいいはずで。


「戻るんですか」

「うん、そうなっちゃったよ」


 お金を払ってもらっている身ではどうしようもないことだ。

 家賃に生活費、どう考えても軽いことではないことだし。


「ありがとう」

「ま、親には従うしかないですよね」

「うん、それと……ごめん」


 努力を無駄にするようなことをしてしまって。

 いいんだ、もうほぼ二年間は贅沢できたんだから。

 これ以上はわがままというものだろう。




「は? 実家の方に戻る?」

「はい、昨日母親が来てそういうことになりました」


 今回、俺ができることはなにもない。

 お金を用意できるわけじゃないし、謙太先輩も納得しているようだから邪魔をすることはできない。

 まあ、個人的に言えば戻ってほしくなんかないが。


「大丈夫なのか?」

「多分……」


 あの家には入れないことになっているから把握しようがない。

 また謙太先輩が抱え込んだら今度こそ終わりだ。

 気づけないまま時間だけが経過することになる。

 良平先輩が動いてくれるようにも思えないし、……先輩を頼るような謙太先輩を見たくないというのが正直なところで。


「俺は和宏や謙太の意見しか聞いていないから本当のところは分からないけどさ、なんか言われっぱなしになるところしか想像できないんだけど」


 それは俺もだ、またひとりで隠れて泣くんじゃないかって不安になるんだ。

 力ない笑みを浮かべて、大丈夫じゃないくせに大丈夫とか言い続けるあの頃のようになるんじゃないかって心配になる。


「しかも今月いっぱいってすぐじゃねえか」

「ま、高校が変わるとかではないですからまだいいんですけど」


 実家はあんな近くにあるわけだしいつでも会おうと思えば会えるから楽観視し始めている自分もいるんだ。

 しかも追い出しておきながら普通にいい家を契約してくれていたわけだし、もう優しくしてくれるんじゃないかという願望も確かにあって。


「どうしたの?」

「謙太、いいのか?」

「仕方がないよ、お金だって余分にかかるわけだからね」


 そうだ、過去の俺は謙太先輩のために動けているようで無責任なことをしてしまったんだ。

 両親が動いてくれていなかったら住む家すらなくなっていたんだから、無駄に引っ掻き回した分、より質が悪い存在だった。


「困ったらいつでも言えよな」

「うん、ありがとう」


 ああ、嫌だ、またあんな謙太先輩を見るのは嫌だ。

 でも、どうしようもない、俺にできることは本当にない。

 先輩なら……なんとかしてしまえるのだろうか?

 慌ててそれを捨てて、しっかり会話に意識を割いたのだった。




「ごめん、手伝ってもらっちゃって」

「別にいいよ」


 良平が手伝いに来てくれていた。

 無駄に物を買っていなくてよかったと思う。

 捨てるのも大変になるしね、一応謙虚でいられたようだ。


「でも、綺麗だな」

「うん」

「だけどそうか、ここにももう来られなくなるのか」


 愛着も湧いていたから少しだけしんみりとした気持ちになる。

 向こうの生活がいいものだとは思えないから余計に。


「謙太はさ、なにかあっても言わないだろうな」

「え? 言うよ、メンタルが強いわけじゃないし」

「本当か?」


 うっ、い、言うさ。

 これまでだって良平や和宏に頼んできたんだから。

 自ら進んで傷つきたくなんかないし、過去のような自分のようにはならないように気をつけつつ行動をするつもりでいる。

 なんでこのタイミングでなのかは分からないものの、まあそう悪いことばかりにはならないのではないだろうかと願望がある。


「とにかく、和宏を不安にさせないでやってくれ」

「うん、あの子は心配性だからね」

「あとは寂しがり屋だ、謙太がいないと駄目なんだよ」


 それはこっちのセリフなんだよなあ。

 和宏がいてくれないと嫌なんだ。

 良平もそう、いまさら去られたくなんかない。

 あのときの僕は馬鹿だった、相手のことを考えているふりをして自分の気持ちを捨てようとしていたんだから。


「良平もいてよ?」

「いるさ、俺達は三人でいるのが自然だからな」

「破ったら叩きに行くから」

「謙太のそれなんて怖くねえよ、それに破るつもりもないしな」


 もう今月も終わるからご飯を振る舞ったりするのもここでは最後かもしれない、そう考えるとやっぱり寂しいな。


「どうぞ」

「ありがとな」


 まあでも、寂しがったり、怖がっていてもそうなることは変わらないんだから受け入れることにしよう。


「ごちそうさま、美味かったぜ」

「うん」

「じゃ、そろそろ帰るかな」

「気をつけて」

「おう、またな――じゃねえや、ちょっと付き合ってくれ」


 お? これはまた珍しいことだ。

 手伝ってもらったんだからと付いていくことにする。

 目的地は普通に彼の家だった。


「ちょっと待っててくれ」


 と、彼は中に入っていってしまう。

 薄着で来てしまったのでできる限り早くしてくれるといいななんて考えつつ待っていたら、彼が出てきて「ほい」となにかをこちらに渡してきた。


「お守りやるから頑張れ」

「ははは、ありがとう」


 大丈夫だ、昔ほど悪くはならないから。

 翠とだって仲良くしてみせる、それがいまの目標だった。




「ゆっくりしなさい」


 歓迎ムードなどではなかった。

 ただ、部屋は昔自分が使っていたときのままなので、なるべくそこに引きこもっていればいいだろう。


「謙太」

「はっ、……な、なに?」

「お腹空いてないの?」

「うん、外で食べてきたから」


 これは本当のことだ。

 お小遣いとかもなくなる可能性があるから最後にぱーっと、牛丼を食べてからここに来た。

 もちろん使用していなかった全てのお金を返した、だから牛丼並盛一杯分ぐらいのお金を使用は許してほしい。


「み、翠は?」

「部活ね」


 そうか、中学の部活はお昼までだからどうしよう。

 トイレなんかで出た際に遭遇しても嫌だから家から出るか?


「お父さんは仕事だよね」

「そうね、お父さんが頑張ってくれているからこそこうして家に住めているわけなんだから」


 その割にはこの家の最強は母だったわけだが。

 やはり基本的に尻に敷かれるものなのだろうか?


「あ、ちょっと遊びに行ってくるよっ」

「ええ、気をつけなさい」


 いいのか、母の態度が気持ちが悪いぞ!

 昔だったらどこかに行く度に、いや、どこかに行かなくても文句を言ってきていたところなのになんだこれ。

 なのに真っ直ぐ送り出して……風邪でも引いているのか?


「「あ」」


 母よりも強敵な翠と遭遇。

 どうしてこんなに早くにとスマホを確認してみたら残念ながらもうお昼だった。

 ゆっくりしすぎた自分を殴りたい、家に着いてからもゆっくりしてしまった自分を殴りたい。

 まあここは余計なトラブルにならないよう気づかなかったふりをして通り過ぎるだけだ。

 ほら、翠も部活が終わったばかりで疲れているだろうから無駄な体力を消費させないためでもある。


「待ってよっ」

「え、あ、うん……」


 そうでなくても寒いのにどんどん冷え切っていく。

 あのときは冷静に判断できていなかった、母なんか翠に比べれば遥かにマシだったのだということを。


「……和くんは」

「和宏? 今日は家にいると思うけど」

「呼んで」

「あ、うん、分かった」


 和宏のことが大好き少女だから無理もない。

 誠実だしな、好きになってもなんら違和感のない相手だ。

 あ、僕と関わるのをやめてとか言われそうな気がする。

 と、とにかく、和宏を呼ぶことにした。

 そうしたら幸い、すぐに来てくれるということだったのでいきなり口撃されるようなことにはならなくて一安心だ。


「って、翠といたんですね」

「それじゃあ僕は歩いてくるから」


 いられるわけがない。

 いまさら仲良くなんてしなくても生きていける。

 両親の言うことだけ聞いて生きていればいいんだ。

 血の繋がっていない他人同士みたいな距離感でいればいい。


「待ってください」

「あれ、翠は……」

「今度遊びに行きたいと言われただけでした」


 じゃあそこで告白、って可能性もあるか。

 そうしたらいまは犬みたいに来てくれている彼も来てくれる頻度が減るんだろうな。


「告白されるかもね」

「翠からですか? それはないですよ」

「なんで? なんでそう言い切れるの?」

「だってあいつ、好きな人間が他にいますから」


 そうか、いままでも会っていたのかもしれない。

 それで吐いて、彼が応援した、みたいな感じかもしれない。

 兄より兄らしくいられているから、翠的にはまず間違いなく和宏の方がよかっただろうな。

 ただまあ、昔のあれで和宏は家に入れないことになっているから中々難しいだろうけど――って、他に好きな人がいるんだから意味のない話か。


「どうでした?」

「なんかお母さんが優しくてさ、調子が狂うから出てきたんだ」

「で、良平先輩のところにでも行こうとしていたんですか?」

「いや、ただ意味もなく外に出ただけだよ」


 逃げていると言っても過言ではない。

 厳しくされても優しくされても気になるって面倒くさい人間としか言いようがない。


「なるほど、もう逃げているんですね」

「そうなんだよ」


 そんな状態で翠と遭遇、しかもそのうえで話しかけられたものだから心臓が本当に縮んだ。

 和宏を呼ぶって内容でよかったが、もし彼になにかがあって来られていなかったことを考えると……恐ろしい。

 ただ存在しているだけで相手を圧倒できるなんて才能としか言いようがなかったのだった。

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