23、岐路3

 24時間扉の外で待機して、ルシフェルの行動と来訪者を監視する神殿衛士の話では、死刑が本当に執行されるまで、判決が下されるから、まだ一ヶ月もあるだそうだ。

 この期間、ドゥランナーのような子供以外、七大天使、加えて書記官ベリアル以外、誰だろうとこの屋敷に近づくことはできない。

 もちろん、ルシフェル本人の外出は許されない、だからこそドゥランナーという未知数の存在が許された、未知数であるゆえに、機械的な神殿衛士たちが判断できなかった、というのが正しいだろうが。

 彼女の外出は1日に一回だけという制限があるものの、許されてはいる。

 慈悲として解釈しても良い、機械的な執行力によるものと考えても良い。

 天使は食事と水がなくても一ヶ月くらいは生きていけるもの、だからこの現状、どちらというといちいち神に聞いてはならないが、未知数が存在することを神は知らないこの事実によるものだろう。

 しかしそれでも長時間の外出は憚れ、ドゥランナーはマレーに行けなくなった、行動も範囲が規定されている、行ける場所は五重天の市場から天使長の宅邸まで、ここにラファエルの努力もあり、天界の子供は何もできないのが常識で、この常識がもたらす結果でもある。

 この一週間、ラファエルは前回の訪問の後、本当に、二度と来ることはなかった。

 サタンは一度来たことがあるだそうだが、叛逆に加担する可能性があると言われ、七大天使の中、唯一近づくことが許されない者になっているため、ルシフェルと会うことはなかった。

 リヴァイアサンは彼とどこか似ているような女性とともに来ていた、しかし女性が来たのはその一回だけ、それ以来、彼はここに頻繁に足を運んでいるが、一人だけで来ることになっている。

 バアルゼブルもベリアルから情報を得たらしく、一度は訪ねようとした。最初の日、ラファエルが離れて間も無くのことだった。しかしその資格はないと、衛士に阻まれていた。

 ベリアル本人は何か考えがありそうで、一度も現れたことがなかった。しかしドゥランナーはそれをおかしいとも思わなかった、あの人は、誰にも親切そうに接するが、誰とも親しくないように見えるから。

 しかし一つだけ、おかしいと思うことがある。

 あれほどルシフェルを崇拝していたミカエルの姿が見当たらないことだ。

 ルシフェルに聞いても、彼は首を振るばかり、何も教えてくれない。

 だが他のことは置いといて、ルシフェルは決心したと思ったが、ドゥランナーの安全を案じているのも本当のこと。

 ほぼ毎日のように、彼はドゥランナーに「やはりラファエルについて行ってくれ」と言う、それでこそ天界に残り、良き生活を送る方法だと。

 ラファエルがダメなら、これまで会ったことはなかったが、信頼たり得る人物である、死の天使サリエルの助けを求めても良い。彼は確かに人付き合いが下手で、あまり喋らない性格だが、天界で最も安全な人選と言える。

 そうすれば、彼女も自分と同じように、この罰を受けることなく、自由に生きていける。

 だが何回言っても、彼女からは強い反発を受けるのみ。

 これほど自分に反抗的な態度を取るドゥランナーは初めて見た。

 これは喜んで良いのか、それとも悲しむべきか。

 確かに、自分の独断で救った子供が、己すら顧みず、自分の身を心配してくれるのは、親兄弟としては誇らしく思うだろう。

 だが今の状況を考えると、それも自分が招いた結果、彼には、せっかく幸せを手に入れたドゥランナーを再び不幸に引きずり込む資格がない。

 しかしドゥランナーは、自分の幸福より、彼についていくことを選んだ。

 これはなによりもルシフェルを震撼した。

 彼女に一般人にあるべき自由と生活を与える一心で、まさか、そのような非凡な信仰心を育てたとは思わなかった。

 これは彼が求めたものではない、だがドゥランナーはどう思っているだろう、あの子は全身全霊でルシフェルに報おうとしている、彼もそれを知っている、しかし報恩なんて、彼が欲するようなものではない。

 独断でドゥランナーを天界まで連れて戻ったのは、大義のためでも、何かを救うためでもなく、ただ、彼の心の中、魔族でも人類でも、すべてが平等であらねばならないという、極めて個人的な信条。

 魔族であるこの子でも、普通の生活を送る権利があると。

 ルシフェルは椅子に座り、珍しくぼうっと窓の外を見つめる。

「ルシ」

 背後からドゥランナーの声がした、10年近くの天界での生活は何も変えていない、鈴が転がるような声、定期的に、自分がカットするアリスブルーの短髪、アメジストのように深く、透明な色をした瞳。

 すべてがまるで昨日のことだ。

「名前を変えたいと思います」

「?」

 何があった?

 ルシフェルは不可解そうに彼女を見た。

 なんせ名前を変えることはよくあることではない、特に悪魔。悪魔の名前はその力の象徴、その力の源ともなりうる、特に、彼らの世界は貴族が支配する世界、元々あった名前を変えたいものなんて、そうそうない。

 彼が疑問を口に出す前に、ドゥランナーが先に口を開けた。

「わたしはあなたの力になります、だから…過去の自分を捨てたいです」

 彼は一度口を開けたが、何も言い出せなかった。

 ドゥランナーの心は一応わかっているつもりだ。表面は明るく物分かりがいい子だが、それは展開の悠々とした生活がもたらすものであり、彼女はどう足掻いても過去を捨てられない、弱々しい、臆病の性格のままだ。

 自分に恩を返すために立ち上がり、勤勉と努力で己を偽装する子供。

 何を言えばいいのかがわからない。

 しかし彼はわかっている、すでに、自分にできることなど何もなかった、彼女を助けるための学識も力もない。

「…そう、か…ああ、すまない、私ではちゃんとした名前を考えてあげられないな」

 バアルゼブルならばなんとかできるだろう。

 悲しそうに微笑んで、彼はそう言った。

 ドゥランナーは軽く頷いて、外套を羽織り、鞄を持った。

 そして最後一度だけルシフェルを見ると、ゆっくりと出ていった。

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