20、書記官ベリアル
今まで、何度もあったことがあるのに、名前を思い出せないなんて、失礼にもほどがあると言うのはこういうことだろう。とドゥランナーは思った、だから少し気を落とした感じで彼を見た。
彼女はまだ何も言っていないが、男はまるでその態度から、何かを読み取ったかのように、人を馬鹿にするような表情で、ニヤッと笑う。
「へー、なるほど?2年くらいで、この私を『忘れた』ということか?」
ずばりと考えたことを言い当てた。
確かに、ドゥランナーは学校に行ってから、この2年半の間、全く彼と顔を合わせていない、その前に頻繁に会っている、と言えばそれも違う、ただ料理の勉強で週に一度ぐらい、しかもその期間も二ヶ月しかなかった。
確かにバアルゼブルは時々彼の名前を口にするが、顔と名前が全く別に覚えてたので、聞いても顔が浮かんでこない。
だから、彼に会った時、「あ、この人会ったことがある!」って思ったのに名前が出てこない、先ほど口走った時にようやく、顔と名前が結びつき、思い出したのであった。
「えっと、その…あ、はい……」
考えても言い訳が思い当たらず、大人しく認めるしかないのか、と首を垂れた。
しかし男は彼女を責めずに、むしろ愉快に笑った。
「え…あの、怒らないのですか」
「まさか」
男は椅子の背もたれに背中を預けて、まるで笑い話を聞いたかのように、ゲラゲラと笑う。
「この天界において、『私を忘れた』なんて言い出すのは、君ぐらいだろう」
それもそうだろう。ルシフェルといえば皆の心の中の高嶺の花、近寄り難いが、この男の人気は圧倒的である、少なくとも表面は親しみやすいし、容貌も完璧、女性の上級天使の間でも、よく言葉を交わす研究員の人たちの間でも、彼は人気者であり続けた。加えて、仕事の能力がとびっきりに強い、各方面が優秀すぎて、文句のつけところすらない。
だから彼にとって、初対面の人に忘れられないような印象を残すのは、簡単すぎるというところだが、ドゥランナーのように、一目だけ会ったわけじゃないのに、まさか彼を記憶の彼方に忘却した人の方が、むしろ珍しくて面白いだろう。
「で、だ。この資料はルシフェルが前回の会議で起草した、そう、次の研究目標の草案…まあ、もちろん、改良も加えたし、関係する資料も簡単にまとめた。持ち帰ってくれ」
まださっきのことで思考が飛んでるドゥランナーは、全く彼の話を理解できなかった、でも、大事な書類なのはわかった。
とりあえず持って帰るか。
彼女がびくびくしながら、資料を受け取って、ここを離れようとした時、男、ベリアルはまた彼女を呼び止めた。
少し待てという言葉を残して、彼はもう一度扉の後ろに消えた。
数分もしないうち、彼は二つの真新しいファイルと共に戻ってきた。
ここが資料室だから、このファイルも何かの資料だと思うが、具体的に何なのかは、聞いてみないとわからないな、と、ドゥランナーは首を傾げた。
「バアルゼブルと仲がいいと聞いたが」
彼は右手を出して、片方のファイルを差し出した。
「これは彼宛の資料だ、残念ながらここや図書館の整理があるので、最近私は忙しい、届ける時間はない、ついでに様子を見てきてくれ」
ドゥランナーは慌ててそれを受け取って、前の資料と分けるように指を挟んだ。
しかしベリアルは彼女の慌てる様子をさほど気にしておらず、無常にもう一つのファイルを渡した。
「こういうことに悩んでるのだろ?時間があれば読んでみたまえ」
何のことなのか、彼女はさっぱりわからないが、とりあえず受け取った。
全てをしっかり持ったのを確認すると、彼は椅子に戻った。ベリアルは語尾を伸ばしながら、読み終わったら返しにこいと指示した。
そして彼は軽く手を振ると、視線をまた机に置いてある紙の山に戻した。
手に持ったものは少し多くて、持ちきれない感じがするし、男の意図を全く読み取っていないが、とりあえず指定された場所に送る必要がある。
彼女は指でファイルを三つに分けて、その持ってきたやつより量が多い資料を持て、帰り道を辿った。
幸い今回は迷わなかった、来た時の経験を生かしたと言ったほうがいいのか。それでも標準より時間を使ったが、何の問題もなく、結構長く住んでいた屋敷に戻ってきた。
一番多いファイルをルシフェルに渡して、ドゥランナーは彼に事情を説明すると、慌ててまた出ていた、バアルゼブルの研究室に向かっていく。
バアルゼブルは意外の来客に驚いたが、それでも短い会話の後に、あの厚いファイルを受け取った。
そのあと、ドゥランナーは家の置くことすら忘れた、自分宛の小さなファイルを抱きしめながら、家に帰った。
「ルシ!ただいま!」
途中でかなり時間を使ったが、資料館にいる時間は極めて短いため、部屋まで戻っても、まだまだ昼食まで時間がある。彼女は自分にくれた資料が気になって仕方がない、ルシフェルに簡単に挨拶すると、寝室に戻って、夢中に読み始めた。
タイトルを見た時に、彼女は少し戸惑ったが、読み終えると、なるほどと頷ける。これは魔力のコントロールについての文章であり、ある学者が研究を行い、この資料を書いたようだ、だからとっても詳しく書かれているし、なんなら図もついてる、魔力をどのように汲むか、どのように放出するかを、この資料の作者は図を描いて示した。
もう一つの資料は元素魔術についての論文。前半はわかりやすく、各元素の成り立ちやその原理を述べた、そしてその意味も詳しく書いた。後半は細かく各元素の使い方と、主の運用手段を書いた、加えて、元素魔術初心者が注意すべき点も書いてある。
もちろん、両方とも、今彼女が頭を抱えている火元素のコントロールや、運用について触れている。
ドゥランナーは男の、もはや読心術と言っても過言ではない観察力に驚きながら、何度も何度も、ノートを取りつつ、その資料を読んだ。
確かにここでは練習できないが、この二つの資料を読んだだけでも、多くを学び取った気分になる、少なくとも、次の練習に自信がある。
しかし彼女が資料に没頭しすぎて、昼食のことを完全に忘れた。ルシフェルの仕事も一段落ついて、机を片付き、彼女を呼びにいく時、すでに昼食ではなく、アフターヌーンティーの時間だった。
それでようやく食事がまだだったのを思い出し、腹も小さい文句を出した、だから慌ててキッチンに駆け込み、ルシフェルに謝りながら、簡単な軽食を作った。
食事をする時、ルシフェルは彼女が読んでいるものに興味があるようで、「何読んでたの」と聞いてきたが、彼女は照れくさい笑顔で、「大したものじゃないよ」と答えただけだった。
なんせ、これは彼女だけのコンプレックス、今の勉強が招いた『放って置けないこと』、ルシフェルにまで影響を及ぶものではない。それに、自分が食事すら忘れるほど勉強をして、それも最も危険な火元素についてだなんて、知られたら絶対心配される、そんなことがあってはならない。
彼の負担をこれ以上増やさないためにも、教えるわけにはいかない。
ドゥランナーは心の底からそう思った。
初めてのお使いが終わって、意外の成果もあり。こんな平凡な1日は、これだけでも非凡に見えてしまう。
たとえ、こんな日々が、いつか、忘れられし記憶になるとしても。
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