17、焦り

 学府の課題は相変わらず簡単な魔術の応用、これは、すでに基礎を勉強した、というよりは勉強しすぎたドゥランナーにとって、少し退屈で、簡単なものだった。なんといっても、ここでの、このような学習はすでに、二年も続いてたし。

 だがいくら勉強が簡単でも、彼女が気を抜くことはない。

 毎日毎日、ルシフェルの力になりたくて、頑張っている、今日もその通り。

 学校で過ごしたこの時間、ドゥランナーにとって、短過ぎる。彼女は学校にいる時間で遊ばないし、他の人のように他人と交流を深めることもしない、ただただ勉強に耽る。

 しかし毎日の勉強はつまらないものばかり、独学で基礎を勉強したものにはちょうどいい、だが、教師の元で基礎を固めてきた者たちにとって、ただの単調の作業にしかならない。特に、ドゥランナーには天界に名を轟かせた優秀な学者が教師を務めている。

 学校でも、様々な攻撃、および防御の魔術、そして日常生活で使える魔術を教えてくれるが、それでも、彼女の焦燥、欲しいものとは程遠い。

「まだ…」

 彼女は焦る。

 だから、視野を広めるため、ほぼ毎週、この日のような週末、放課後に、彼女は早足で六重天に行く、バアルゼブルの研究室に行く。

 流石にルシフェルの言葉があるから、走らずに歩いて行っているが。

 なんのために行くといえば。

 バアルゼブルが彼女を送り返す前、一度話していた、将来勉強に困ったところがあれば、自分のどころに来ればいい、と。

 だからこそ、といえばまるで彼のせいであると言っているようだが、彼女はもっと勉強できるように、授業のノートをしっかりとっていた。これはクラスの他の生徒、寝てる者とぼうっとしてる子よりはいいとはいえ、頑張りすぎたと、バアルゼブルは思っている。

 そして取ったノートはこうして、毎週に一回、バアルゼブルの研究室で、彼の研究を中断させても、補足になるものの勉強ができる。

「そう、意識を手先、さらに前に移動させろ」

 今月に入ってから、学校の勉強内容は攻撃魔術の中でも、最も難しいと言われている、火元素関係の魔術になった。ドゥランナーは確かに全身全霊で勉強している、素質的にも問題はない、しかしそれでも学校の内容以上のものを把握できない。

 簡単に言えば、実戦では大いに躓いてる。

「ん…そうか…」

 小さな爆発と共に、掌に灯した火玉はかき消された。一応誰も怪我してないから、良いと言えば良い結果だろう、だが、バアルゼブルはそれを見て、黙ってしまった。

 学府の授業内容は、ただ指先に小さく火種さえできれば完璧、実用性は皆無と言ってもいい、しかし、確かにこれは一番負担も危険もないやり方。ドゥランナーの話によれば、次に勉強するものは中範囲の魔術と妨害魔術、すなわち二度とこの火属性の魔術に触れることはない。

 これもしかたのないこと。

 バアルゼブルはゆっくりと考える。

 なぜなら、火の元素といえば、天界では非常に微妙な位置にある。有用と言えばそうではあるが、それを象徴する天使、ミカエルと同じように危険なものでもある。

 ほんとの上級者しか扱うことができないもの。

 だから、七重天に存在するこの『マレー』という名の学府は、上級と下級の二段階に分けている、下級は最も基礎の部分に触れるだけ、上級に入った者だけ、火元素をを操るための勉強ができる、それが一般人から、上級天使になるための試験でもある。

 しかしこの段階に入れる者はごく僅か、だからほとんどの下級天使、加えて一部分の上級天使ですら、火を畏れながら一生を生きるのだ。

 学府に入る機会は一度だけではないが、マレーは極度的に敗者を嫌う、そのせいで、天使の悠久の命の中、ほぼ一度しか、それを学ぶ機会はない。

 まあ、もちろん、バアルゼブルのように、自分の研究や勉強だけでそれを把握する者もいる。それに、魔術を諦めて、戦闘の訓練を行い、天界を守る兵士になる者もいる。

 これは個人の趣味に加え、志願する方向によって決まるものだ。

「は…火元素は元素魔術の中で、最も危険なものだ。きみの努力は素晴らしい、価値のあるものだが、今はまだその時ではない、ということだ」

 長い思考の後に、別に結論などを出してはいなかった、というよりは、彼女に諦めろと忠告する以外の結論は出なかったと言うべきか。

 彼女は今、魔力の出力を完全に掌握できていない、そして操る手段もだ、それが彼女の、来年の課題となる。

 天使の寿命は長い、想像を絶するほど、だから焦ることはない、全てが、日常の中で徐々に身につくもの。彼女がルシフェルの力になりたいのはわかる、だが、それは急ぐべきものでもない、十年後、この学校から出てから考えてもいいこと、それでも遅くはないはず。

 ここまで考えると、バアルゼブルは諦めることを決めた、そして、現実を教えることに決めた。

 なんといっても、今はもう夜だ。明日は確か土曜日で、マレーの教師も、大半はソサエティーかシュンポジウムに属している研究員、学校は教師たちのこの兼職のせいで休むことになる、日曜日は天界の規定で、学校は同じく休み。

 それでも、今彼女が必要とするのは、休息だ。そして何より、早く帰って、ルシフェルを心配させないことだ。

 だから彼は時間を割いて、ドゥランナーの説得に尽力した、早く帰ったほうがいいと。

 ルシフェルは確かに今の彼女の生活を認めている、毎週ここに来ることも許している。だが夜10時になっても帰らないのは、流石に心配になる。天界の治安は、ルシフェルの管理下で、かなり良いものになっているとしても、彼女が遅くまで帰らない理由にはなれない。

 ルシフェルもきっと、彼女の帰りを待っている。

「はい…ごめんなさい、バアルさん」

「おれの研究なら心配はいらん。それよりな、おれが心配するのは、きみだ。先生として、学生の安全を守るのも、おれの責務だ」

 魔術を理解できなかったことが、それほど心残りになっているのは見ればわかる、しかし独学でここまできたバアルゼブルはわかっている、魔術というのは、1日で全てがわかるものでもないし、簡単なものでもない。

 天界で、平凡な生活を送る天使たちの毎日は、いわゆるスローライフ、彼らには永遠とも言える時間がある、毎日の成果を気にする者もいない、だからこそ、50年をかけてようやく卒業できるマレーは、彼らの生活にあっている。

 ドゥランナーは焦る、早くルシフェルの力になりたいと思うその心は決して悪いものではない。だが、あまりにも天界の毎日の過ごし方にあっていない。

 バアルゼブルは彼女の頭をぽんぽんと撫でた。

 彼の困ったような顔を見て、ようやくドゥランナーは先生の真意を理解したようだ、彼女はカバンを拾って、外套を着ると、バアルゼブルに別れを告げた。バアルゼブルも部屋から出て、彼女の姿が見えなくなるまで見送ると、ついに安心して研究に戻った。

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