16、楽園の蛇

「ルシ!手伝えることはなんでも言ってね、ドーンと任せてください!」

 食事中、彼女はずっとその調子、なんというか、バアルゼブルの元での短い生活で、彼女は自分にも、できることがあることに気づいた、だから、出来るだけ力になりたい。

 ルシフェルはそれを誇らしく思っている、まるで自分の子供のように。

 食事を済ませ、ドゥランナーは素早くテーブルの上を片付けた。ルシフェルは彼女があらかた片付くと、テーブルを折り畳んで、仕事に戻ろうとした。

 そんな時だった。

 ドアが開けられる音に気づき、ドゥランナーは洗い物で濡れた手を拭いて、来客を見るために、キッチンから出てきた、だが、その人を見た瞬間に、びっくりしすぎて声を叫びそうになった。

 何故なら、その来客と、目があった。

 あの目は怖過ぎるので、ドゥランナーは震えながら、キッチンに隠れた、そして少しだけ、外の様子を伺ってみた。

「おい、ルシフェル」

 その男はとっても低く、厳しい声をしていた、まるで、晴れ渡る空を覆う、墨のように黒く、鉛のように重い雲ような声だった。

「お前が言っていた軍の資料だ」

「ああ、ご苦労様」

 明るい色に満ちた天界に異議を唱えるような、真っ黒の髪の毛が肩に掛かっている。本人はそれを意識しているかどうかはわからないが、彼はずっと眉を顰めている、顔も十二分に硬い、今の仕事が不満だと言いたげに。

 特に怖いといえば、目だ。彼が今ルシフェルを見ている、ドゥランナーはその側面から見ているとはいえ、先ほど目があった時の恐怖感を忘れられない。本物は見たことないが、あれは間違いなく蛇の目だ、瞳孔は角がない菱形に近い形状、瞳の色は深い黒に近いが、何故か鮮明に赤が浮かび上がっている。

 加えて、鋭い視線と、硬い表情。そうだ、これは物語に出ている鬼というものだ。

 失礼だと思いつつも、ドゥランナーは思わずにそう思ってしまった。

 リヴァイアサンと似ているその制服から、かろうじて、彼は天界の者だと認識できる。それでも、黒いマントは、不吉な感じを与えるものにしか見えない。

 この人、本当に天使なのか?

 ドゥランナーはそんな疑問を持った。

 ルシフェルは隅に隠れているのに気がづき、こちらに来て、と手招きした。彼女はまだ躊躇しているが、ルシフェルがそういうのならば、やはり近くに行った方がいいだろう。

 だから、彼女はそっと息を殺して、足音を消しながら近寄った、その行動にルシフェルは首を傾げたが、万が一、音を立てたことで男を怒らせたくないから、そうするしかないのだと心の中で言い訳した。

「こいつが噂でお前が拾ってきたってやつか」

「うん、彼女はドゥランナー、聡明な子だ」

「ほー」

 相手はまるで彼女の価値を測っているかのように、ジロジロと彼女を見つめた。

 その視線が彼女の緊張に拍車をかけた。

「ひっ!」

 その目に見つめられると、まるで鷹に見込まれたネズミの気分、それとも、蛇に睨まれた蛙とでもいうべきか。

 左目は髪に隠れて見えないが、残された一つの目だけでも、全てを見透かされているように感じる。

 ドゥランナーは小さくそう思った。

「脅かさないでくれ。さ、ドゥランナー、彼はサマ…」

 彼が口に出す発音で、来客の男はすぐさまドゥランナーから目を離した、叱るような目でルシフェルを見た、それを見たルシフェルも、自分の失言だったと気づき、言葉を変えた。

「えっと、サタンだ、元軍隊の責任者、今はミカエルの副官を務めている」

 紹介を聞いて、ドゥランナーは少しだけだが安心した。なるほど、前にも何回かあったことがある、あの勢いがすごく、慌ただしい人の部下だったのか。

 しかしそう割り切れば、逆に不可解なところもあるけど。

「死神よ」

「し、しし死神ですか!」

「チッ、ええい、ルシフェル、俺のイメージを悪くするな」

 しかし、彼らが会話しているどころを見ると、男はルシフェルと対等に話しているように見えて、決して悪い印象ではなかった、むしろ親しく感じる。目と表情はやはりとても怖いが、イメージ的にいうと、あの日のミカエルよりは悪くなかったかも。

「コホン、とりあえず、資料は渡したぞ」

 ドゥランナーも彼らが話していることが気になるが、仕事の話だろうし、邪魔してはいけない、ましてや見るべきではないものを見てしまったら、ごめんでは済ませないし。何より、ルシフェルの仕事の邪魔をしてはいけない、絶対。

 少し考えがこんがらがってたが、やはり、見るべきものではないと、彼女は決まってしまい、何も聞かずにいた。

「……何をするつもりは分からないが、万事、俺に任せてくれ」

 ただ、サタンの最後に放った言葉だけは、耳に入った。

 このサタンという男、すなわち天界の高官とも言えるものですら、彼と少なくとも友情がある者でも、彼がやろうとしていることがわからない。

 それは既定の仕事ではない、加えて、後悔することも叶わないことを意味する、簡単に言えば、何か事情があるということに違いない。

 こうなれば、一層ドゥランナーは気になってしまう。だがやはり、邪魔をしてはいけないと、自分の定位置であるベッドに戻った。

 ドアにノックの音が響くまで、男はルシフェルは長々と話し込んでいた、音を聞くと、彼は少し後ろに振り向いた。

「何があったらまた呼べ」

 そう言って、彼はここを後にした。

 入ってきた若い見た目の女性は、早足で去っていく彼の姿に少し驚いたが、流石に詳しい事情は聞けないし、その上、もう一度正面に向くと、そこには微笑むルシフェルの姿があったので、さっきのことはなんだったとしても、別にどうでもよくなった。彼女はすぐさま笑顔になり、持ってきた資料を渡した。

 どこかの研究組の助手らしく、研究の成果を一度資料館にコピーしたので、持ってきただそうだ。

 しかしこの全てに、ドゥランナーはまるで興味を示さなかった、頭の中は、まださっきの人が気になっている。こっそり資料を渡すわ、人が来たら慌てていくわ、絶対何かがあるに違いない。

 だがそんな背後のこと、彼女は何も知らされていない。

 ただ、先程の人は何やら話しにくそう、そして彼本人も、別にルシフェル以外の人と仲良くなろうとはしていない、それだけがわかった。

 彼女はそれをずっとぼうっとしながら考えてた、晩餐の後もその調子、ルシフェルは彼女の状態が気になって、聞いてみたが、何を聞いても、彼女は笑顔で「なんでもない」と答えてばかり。

 ルシフェルはそれでしょんぼりとした気持ちになったが、子供はいつでも難解で、隠し事をしたがると聞いたので、強引に聞き出そうとはしなかった。

 そして続いてく日常の中、ルシフェルは常に忙しく、その仕事というのも、彼女を連れて行けるものではなく、それで留守番になることが多かった。

 そして一週間後、彼女は天界の入学期に合わせて、ルシフェルの推薦で、七重天の学府に籍を置き、正式的に魔術を勉強し始めた。

 ドゥランナーは新しい環境にびっくりしながら、好奇心をくすぐられた。そして、やはり役に立ちたいので、新たの知識を貪欲に取り入れてく。

 学校では毎日の勉強を大事にして、愉快、そして充実に過ごしていた。

 しかし残念ながら、今のドゥランナーにとって、勉強で得られた知識の使い所も、それがもたらすものも、知らないでいる。もちろん、見えないところで、悲劇の幕上げが、すでに始まっていることも。

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