13、図書館という観光地

 魔界の仄暗い白昼とは違い、暁の輝きはゆっくりと青空を登る。

 本日も晴々としたいい天気だ。

 天界ではほぼ毎日このようになるが、それでも、人生の大半が暗い城の中にいたドゥランナーにとって、どれほど日常的であっても、こんな清々しい空気と青く澄み渡る空は、感謝すべきものである。

 だが、そうだと言っても、外出して、散歩や参観に行くより、この広いがかなり雑乱な部屋で、まだまだ未知が広がっている書籍の海で泳ぎたい。

 それを続けていれば、ルシフェルの力になれるから。

「うむ、午前の授業はここまで」

 お昼の時間。

 料理する時、バアルゼブルは相変わらず簡単な手伝いしかできなく、包丁はさすがに危ないから、と魔術で操り、自動的に野菜や肉を切る包丁の隣で、調味料の準備を手伝う。これぐらいしか彼にやることはなく、献立を考えるのも、買い出しも、炒めたり煮たりするのも、ドゥランナー一人がやっている。

 難しすぎる料理はまだできないだそうだが、普通に栄養も見た目もほぼ完璧と言えるものを作ってくれる。

 二人は小さな丸いテーブルを囲み、他の研究員が送ってきたと言う紅茶を添えて、勉強やバアルゼブルの研究内容について、話しながら食事する。食後には、マンモナースが前に持ってきたデザート。

 ここに来てから、食事はほぼそう言う感じだった。

 それでいいとドゥランナーは思っていた。

 バアルゼブルもルシフェルもそれを否定するが、彼女にとって、これはある意味の恩返しにもなっている。

 家事など小さいことは、そのまま任せてくれれば、少なくとも、自分にもできることがあると実感ができて、できることは少ないが、それでも、少しでも彼らの負担を減らすことはできる。

 だって、ルシフェルでも、バアルゼブルでも、仕事ばかり気にして、自分のことがあまり頭にない人たちだから。

「片付けはおれに任せろ。きみは出かける準備を」

 この言葉に、ドゥランナーの脳内ははてなマークに満ちた。理解できてはいないが、それでも頷いて、言われた通り準備を進める。外出の衣装に着替えて、持っていくカバンの中身を整理した。

 水筒を入れようとすると、彼女は急に昨日を思い出した。「連れて行きたいところがある」と、確かに言われていた。

 確かに期待はしてたが、脳内はただいま勉強したものでいっぱいになって、全くそれどころじゃなかった。

 バアルゼブルは素早くキッチンとダイニングを片付けた、これが魔法使いの特権というものだろうか、ドゥランナーは日常生活の中で常々思っていた。そして全ての仕事が終わると、彼は目立たないように、ライトグレーの外套に着替えて、隣の部屋から出てきたドゥランナーを見た。

「支度ができたなら、そろそろ行くぞ」

「はい!バアルさん」

 しかし外に出てみれば、もしかしたらまだ行っていない下の階層に行けるかもしれない、なんて思っていたが、まさかの逆。

 歩き慣れたはずの階段を登り、七重天に足を踏み入れた、しかし前を歩くバアルゼブルは止まらず、誰かの宅邸に向かう姿勢もなく、最深部に向かって足を動かすばかり。ドゥランナーは慌てはじめた、自分が何か粗相をして、彼を怒らせたから、ルシフェルのところに連れていくのではないのかと。

 だがそれも杞憂で終わった。

 住宅街を出ても、彼は足を止めなかった。ドゥランナーは住んでいたのに、こんな行ったことがない場所がたくさんあることに驚いた、キョロキョロと首を回した。どこも似たような建築ではあるが、大きさも細部も違う、しかも、今しばらく邪魔していた実験棟は、すでに十分規模があると思うが、ここの一番大きい建物といえば、あれの十数倍はある、びっくりってところじゃなかった。

 そしてついに、一つの建物の前に、彼は足を止めた。

「あなたは…バアルゼブル先生」

 守備の係員も別に兵士ではなく、普通の門番のようだ。

 バアルゼブルが来訪したのを見て、彼はきっちり一礼したが、すぐさま困った表情を浮かべた。

「申し訳ありません、ただいまベリアル様が…」

「問題ない、おれたちは参観に来ただけだ、彼に用はない」

 彼の言葉で、門番はさらに困り果てたが、なんと言っても、バアルゼブルは天使長直属の研究員、ここを自由に出入りする権限がある、阻む理由もない。だから仕方なく、重たい扉を開けて、二人を迎え入れた。

 中に入ると、そこにある景色に、ドゥランナーはさらに舌を巻いた。

 玄関の位置に、カウンターのようなテーブルが一つ設置してる以外、その後ろに広がる空間は、どこもかしこも本で埋もれている。高く聳え立つ壁ですら本棚、それぞれの棚には様々の書籍が置かれている、目が丸くなるぐらい、本の世界だった。

「ここは七重天の書庫、特殊の資格がなければ、そもそも来られない場所だ」

「書庫…ですか…」

 ドゥランナーはぼうっとそれを見つめた、視線をいくら上に伸ばしても、そこには書籍に積まれた棚、それ以外何もない。

 棚を細かく見ると、ここの管理員なのか、誰かが本棚に印をつけていた、それで、ジャンルごとに分けられているし、大きいジャンルの下に小さい種類もあり、さらに書いた人物や具体内容によっても分けられている。これで閲覧者がどんな者でも、確実に目的の本を見つけることができるだろう。

 わずかにあった母との記憶の中で、ドゥランナーは魔界の図書館に行ったことがある、一回だけだったが、母が忙しく飛び回っている中、時々自分の様子を見てくれたのは、薄々と記憶に残っていた。

 だからこそ、ここの秩序に満ちた様子が、彼女を震撼した。

「すごいです…」

 驚くのも無理はない、バアルゼブルが使いそうな、天界では珍しい人間に関する本だけでも、普通に3桁あるのに、さらに大きいジャンル、それこそ七重天の人たちが使うシステム運用系の本などは、千冊以上はあるし、近くの高等学府の生徒や教師が使うやつだったら、数え切れないほどある。

 じっくりと一つ一つ見る時間はないが、簡単に見回ってもわかる、ここにある本は、種類も数も信じられないほど多いし、頻繁に整理されていて、完璧に秩序を保っている。

 数十人が管理していると言われても驚かない。

「バアルさん!ここは一体何者が運営しているのでしょうか!」

 考えてもわからなかったので、聞くことにした。

「ベリアルだ」

 門番もその名前を口にしたが、館長みたいな存在だろうと思っていた、管理人だなんて、毛ほども思わなかった。

「うえ?ベリアル様が一人で?」

「む?ああ、ここだけではない、興味があるなら資料館の方も見ていいぞ」

 そんなに驚くことか、と、バアルゼブルはおかしそうに彼女を見た、なんせ今まで、そのように言う者はいなかった。

 それこそ彼の実力。

 研究員だけでなく、上級天使、天使長に至るまで、彼の仕事っぷりに対する評価はいつもそうだ。

 ベリアルというと、その評価は天と地ほどの差がある、過大評価する者もいれば、そもそも作り直すべきだという者もいる。ドゥランナー本人は確かに、世話になったことが多いが、考えが読めないので、警戒している場面もある、どうしても信用できない。

 しかしこんな巨大な建物に中、山になるほどの本が全て、彼が把握している、しかも他にも似たような場所があるとなれば、あまり彼を信じたくないドゥランナーでも、心の中で小さく賞賛した。

「だがまあ、今日の彼はシュンポジウムの仕事があるから、ここにはいないが」

 そんなドゥランナーをよそに、バアルゼブルは背後のカウンターを一瞥して、低い声で言った。

「とりあえず、ここで回ってみて、時間があるなら、他のところにも行こうか」

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