11、考える教師とはしゃぐ生徒
2日後、すなわちドゥランナーがここに来てから5日目。
バアルゼブルは考えた。
そろそろ最後の難関、結界魔術や祝福、そして呪詛の基礎を教えなければならないだろう。しかし面倒な事に、それらは彼の専門外とも言えるもの、結界ならばリヴァイアサンかガブリエル、あの水を司る双子が適任だろうし、祝福なら、むしろルシフェルが教えた方がいい。呪詛となると、この天界に、それが得意な者など、存在しているかどうかすら怪しい。
午後3時、とりあえずスケジュールの調整で本日の授業はひとまず終わった。ドゥランナーに休憩に入ると伝え、久しぶりに研究資料を整理しようとしたが、やはりこれからのことに思考が飛んでいく。
なんと言っても、ルシフェルに報告できるようにしないと。かと言って、あまりつまらなくするのも悪い。これが教師の難しいどころだろう。
それで一度は考えておきたいが、今はそんな時間がないのかもしれない。
頭を軽く振ると、彼は着替えて外出する気満々のドゥランナーを見た、そしてまた、手元の資料の整理に没頭した。
本日こそマンモナースが送ってきたチケットの指定の日。ドゥランナーは音楽会どころか、芸術展なども目にしたことがなく、こういったものにかなり興味がある。しかしバアルゼブルは、彼自身もそう評価しているように、引きこもりの本の虫。『芸術に詳しくもなければ、さほどの興味もない、行っても馬の耳に念仏、無駄の中の無駄だろう』、と少なくとも彼はそう思っている。だからこそ、毎回毎回頭を抱えるのは、マンモナースが送ってくる、このチケットだった。
一応礼儀みたいなものを説明した、正直自分もそこまでわかっているとは言い難いが。そして戻ってこれば、夜の授業に続くことを確認すると安心して、外出の支度を済ませた。こういう状況も突発ではあるがあるわけだから、色々の場面に対応した着替えを用意してくれたルシフェルに感謝だ。
しかしどちらというと不思議に思う、自分の面倒すら見れない天使長が、急に子供の面倒見が良くなって、こういう細かいことまで気配りができるようになるのは、いささかおかしいかもしれない。だが、そんなことが疑問にならないほど、バアルゼブルもこの子を大事に思っている。飲み込みも早いし、教え甲斐がある、だからこそ、教師として、将来が楽しみと言ったところだ、もちろん、今も充実に過ごしてほしい。
自分に地位と財産さえあれば、こんな気が難しい研究者でも、彼女を育てたいと思うだろう。
今の印象だけでも、少なくとも基礎を学ぶ才能はある、毎年高級学府に受験する天使は多いが、全く才能のないものが多く、入学できるのは一握り、そして学び切るのも、さらに数えるぐらいの人数しかいない。それに対して、ドゥランナーは言った通りに教え甲斐がある、理解できるものであれば、瞬く間に覚えてくれる。
教師としての興味を引き起こすのに十分の才能だった。
バアルゼブルはただの平凡な研究者、少なくとも彼自身はそう定義している、学者ではあるが、教師に適しているとは思ったこともない。しかし最近の付き合いで、知識を伝授する過程を通じて、ドゥランナーの好奇心に満ちた反応は、確かし彼の師としてのポテンシャルを引き出していた。
「バアルゼブル様!」
「ん、む?準備ができたのか。では行こう」
ドゥランナーが五重天に行ったことがないというから、念のためではあるが、昨日、彼女が課題に取り組む時、バアルゼブルはすでに七重天に行っていた。目的はもちろん、ルシフェルの許可をもらうためだった。
しかしそれは杞憂だったとしかいえない、ルシフェルは効率のために何も言わなかっただけであって、別に五重天に行くことを禁止していることも、行かれては困るようなことは一切ない。
むしろ、三重天にある兵営にさえ行かなければ、別にどこに行っても自由だし、なんなら期間限定の美術展や図書館の書庫にも、自分の名前を出して、思うままに参観していいとのこと。
兵営はわかる、どう考えても勝手に入っていいどころでも、子供に参観させるどころでもない。
だがあまり職権を使わないルシフェルがこんなことを言うとは、かなりの親バカと言えるだろう。
「わぁー!あ、バアルゼブル様!そちらの!その、とても綺麗な建物はなんでしょう?」
華奢で優雅、散漫で浪費に満ちたとも言える五重天。
初めて来る場所だから、ドゥランナーは全てに興味津々に見える。
「ん?アレは図書館だ、時間があったら行ってみてもいいぞ」
揺れる指先に視線を移す、軽やかな足取りで進んでいく彼女が目に入ると、ようやくバアルゼブルは自分が感じていた違和感に気がついた。
「ドゥランナー、えーん…その、なんだ」
「はい。どうしました、バアルゼブル様?」
そう、それだ。
彼を様付けで呼ぶものはいない。
なぜならば天使長直属の研究員とはいえ、天界の賢者で有名とはいえ、別に大したものではないし、敬称を付けられるとしても、先生か、さん付けで済む。そんな大袈裟な称呼を使うのは、調査や研究の過程の中に、気まぐれで祝福などを与えてみた、そう、人類。彼らは確かにこのように自分を呼ぶ、自分の名前に『気高き主』という意味を付け、神の一柱、バアルゼブルとして拝めた彼らなら。
「きみに様なんて付けられるのは、いささかおもはゆい…えーっと、これからは、そうだな、バアル、と呼んでくれればいい」
そういう待遇、自分には必要ない、バアルゼブルはそう考えている。彼は導く者でもなければ、なくてはならない万能でもない、そういう尊敬は過剰なものだと。
「え?えっと、じゃ、その…バアル、さん?」
「ああ、それでいい」
彼はその言葉に頷いた。
それでいい。そういうものにこそ、おれはふさわしい。
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