10、芸術に殉ずる守銭奴
「バアルゼブル様」
彼が先日の回想に浸っていると、机の向こう側から明るい声が響いた。
「む…ん?あ、ああ、どうかしたか」
認めなければならない、研究生活から離れれば、これまで溜まった疲労が一気に湧き出したようだった、ここ数日、考え事をしながら、うとうとと居眠りをしてしまう、先ほどはまさにそういうことだった。
「その、お客さんが…」
「客だと?」
流石に彼も今日の予定を思い返した。しかしそれでも、客が来る予定はなかったと思う。そんな時だった、勢いよく、扉が大きな音と共に開けられた。
「バーールゼブルゥ!様子を見にきたぜ!」
来客は上流社会にでも出るような、灰色の毛皮のコートを身に纏い、インナーとして着ているものも、ファッションに詳しくなくとも、質がいいのがわかるクリーム色のベストに、きっちりと整えられた白いシャツ、どこかの優秀人材に見えないこともない。髪は柔らかく膨らんだ栗色の短髪で、前髪が不自然に左に曲がっていて、それが個性とも言えるだろう。
知らない人であれば、バアルゼブルの親戚か兄弟にも思える、まあ、性格はこれっぽっちも似ていないが。
彼の両手には様々な箱と袋、お土産のつもりだろうか、どうやらそれなりに高級のものらしい。
「僕ってば、アンタが気がかりでさー、やっぱり定期的に会いに来なけりゃね」
その騒々しさを肌で感じて、バアルゼブルは手を額に当て、深くため息をついた。
「マンモナース、言っただろ、来るなら事前に連絡しろ」
「もー、僕たちの仲でしょ?あんな堅苦しい…」
男はしゃべりながらコートをソファに脱ぎ捨て、持ってきた袋をドンとテーブルに置いた。そして愛想のいい笑顔で振り向くと、そこに恐る恐ると立っていたドゥランナーと目があった、彼はこれまで、彼女の存在に気付いてなかったようだ。
「え。えっと?この子は?アンタの子???」
先の騒がしい感じが一変して、まるで脳がショートしたかのように、男はゆっくりとバアルゼブルを見た。
「違う」
「どんな思考回路だ」と言いたげに、バアルゼブルは顔を顰めた、もう少し男が近くにいたら、間違いなく殴っていた顔だった。
「んーー!じゃなんだ、天使か!あはは、僕たちも天使だっけ」
彼は大袈裟に目を見開き、ドゥランナーに抱きついた。
「ほわ!あの、マ、マンモナースさん?」
どうやって接すればいいのかが全くわからないので、ドゥランナーもすっかりショートした様子だった。彼女は慌てて腕を伸ばし、逃げようとする。
「あまり困らせるな。彼女は天使長から預かった子だ」
「え?ルシフェル?あーーあんなお義父さんはいらないかも…」
彼らは何言っているのか、もはやドゥランナーには理解できていない。ただ、初対面の男がいきなり自分に抱きついたことへの恐怖が残ってた。
バアルゼブルも男をどうにかできないので、手元の紙を束ねて、マンモナースという男の頭へ振り下ろした、早く離せ、と。
「いーやーだ!この子を連れて帰る!」
「何を言っている…彼女はまだ百歳だぞ、そんなことをしたら誘拐になる」
後ほどの人界とは多少違うが、流石に天界にも法律というものがある。こんな小さな子供を勝手に連れて行くなら、彼は間違いなく巡査治安に勤しむ天使に連行される。ましてやこの子は天使長が保護している子、そんなことをしたら、ルシフェルのファンが激怒し、彼を灰にしかねない。
「えっと、その、冗談だ、はは……」
少し怖気がついた彼はまた愛想を振りまいて笑う、なんといっても、バアルゼブルが本気で彼を兵士に差し出すと言ったら、弁解する余地すらないだろう。それに、本当にルシフェルに説教されることも考えられる。そうなれば、唯一の長所でもある人脈も絶たれてしまう。
そうなるのはどうあっても阻止したい。
「はぁ、で、まだ何かあるのか、ドゥランナーの宿題を見てあげないといけないからな」
バアルゼブルは明らかに彼を歓迎していなく、適当に手を振ると、ドゥランナーの手を引いて、自分が座っていた椅子に座らせた。
「そんなに冷たくしないでくれよぉ!たまにはさ、芸術のいろはを知ってくれればーって思ってな」
そう言いつつ、彼は胸ポケットから二枚の紙を勢いよく取り出して、バアルゼブルの目の前にフラフラさせた。ドゥランナーは興味津々に見つめるが、バアルゼブルは逆に全く興味がないと言った感じで、手を振って返そうとした。
「あとね!ルシフェルにベリアル、それとサマ、あ、いや、サタンのやつも、とりあえずみんなのを準備したぜ」
「きみな…言っただろ、おれのどころで宣伝するんじゃない」
呆れた顔でバアルゼブルは愚痴をこぼす、しかし隣でドゥランナーキラキラとした目で彼を見ているのを気づき、数秒固まったが、結局ため息つきながらそれを受け取った。
「ドゥランちゃんはわかってくれるよね!芸術は人生!それに僕のコンサートなんてレアだぜレアなやっつ!僕ってば、アンタたちのために、わざわざ用意…」
「わかったわかった、観に行く」
話が長くなってきたのを見て、バアルゼブルはテーブルに置いてあった、軽食のサンドイッチを彼の口にぶち込んだ。
「うぅ、むむ!うまい!うわー、まさか暫くぶりで、料理の腕がこんなに上がってるとは!」
知り合いの間で、大体みんなわかっている、流石にルシフェルの壊滅的なものとは違うが、彼の料理もかなり適当、食べれるならなんでもいいってやつ、わざわざ食べに行く者はいないだろう。
「おれじゃない、ドゥランナーが作った」
「ん!?こんなにちっちゃくても飯がうまいんだ!やっぱ…」
今度は本で叩かれた。
そんな劇とも言えるものに、何を話しかければいいのかがわからないが、なんとなく二人のゆるゆるとした関係が羨ましく思う。
バアルゼブル本人は全くそう思っていないが。
「あー、こほん!うん、とにかく、最高の場所を確保したからな、ぜったいきてね!」
言い終えると、さっき言っていた人たちに会いに行く!と言いながら、コートを掴み、来た時と同じように、まるで嵐のように去っていた。
「あの…」
「ああ、アレがマンモナースだ、天界ではそれなり名が通っているハープの演奏者、芸術家の、端くれみたいなもの、かな」
ドゥランナーの声が少し不安そうに聞こえたので、バアルゼブルはため息つきつつも、先ほどの来客の正体を明かしてくれた、そして一冊の本を渡して、授業の続きを促した。
「はぁ…さっき渡した分はもう読んだな、これはアレの補足だ。説明するから、筆記を取ってくれ」
「はい!バアルゼブル様!」
招かれざる客に悩まされる先生と、逆に何かを期待し始めた生徒。二人は、ひとまずコンサートのことを忘れ、長い授業を再開した。
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