4、淀む光

「おお、ご帰還なさいましたか、天使長様」

ルシフェルはそのままドゥランナーを七重天に連れていた。そして、帰還の時間を計算したかのように、天使長の仕事場でもあり、住処でもある屋敷に戻った時、ルシフェルと似たような服を着た一人の男性が視線に入ってくる。

ドゥランナーは顔を上げて、彼を見上げた。

プラチナブロンドの長髪が胸元にかかり、そこに飾っている赤い宝石と共に、陽の光の元でキラキラと輝く。こうして近づいてみてようやく分かることではあるが、ルシフェルと同じ、と思っていた制服にさまざまな細かい装飾があり、どれも金銀か宝石を飾っており、パッと見れば、どこかの貴族か身分の高いものにしか見えない。

「おや?こちらのお嬢さんは?」

「後で話す。まずは、この子が着れそうな服を用意してくれないかな」

長髪の男は少し疑惑を残す視線でドゥランナーを見たが、手振りで把握したと示し、早足で去った。

男が遠のくのを見て、ルシフェルは少しため息をついた、そんな彼の反応を、ドゥランナーは少し理解しきれずにいる。首をかしげるドゥランナーに、彼は何も言わず、ただ軽く彼女の頭を撫で、建築の中へ連れて行った。

乳白色の暖かそうな屋敷の中、ただの素朴極まった仕事場だった。幅の広い机、本がみっちり詰まった本棚、そういった仕事に使う家具と、短い休息に使うシングルベッド、華やかさがないにも程があるような部屋。

ルシフェル離れた仕草でスーツケースを机に、そしてドゥランナーをベッドに座らせた。何故ならば、用事もなく天使長を訪ねる人はいなく、この部屋に来客を対応するための椅子とソファがないからだ、公の用事で尋ねるものは皆立ったまま話を済ますから、机の前の椅子とこのベッドしか座る場所がない。

ドゥランナーはそんな待遇が不満だというわけではないが、少し不安に思った。しかし実といえば、ルシフェルだって何をいえばいいかがわからなく、居ても立っても居られない。

連れて帰ったものどころか、仕事以外で訪問する人すらいない彼にとって、今回のことは特別事例であり、処理の仕方がわからないと言ったところだ。

何を言って彼女を慰めるのか、それを考えていると、背後からノックの音が響く。

簡単に返事をすると、扉が開けられ、そして入ってきた者は、まさに、先ほどの長髪の男だった。

「て...」

「ベリアル」

男が口を開けると、ルシフェルがため息混じりで叱った、名前を呼ばれると、男はフッと笑って、まるで人が変わったように軽々しく話し出す。

「ハイハイ、だがルシフェル、あれが君の隠し子だろうと、情婦だろうと、魔界のやつはオススメできないね」

彼は言葉と同時に、頼まれた服をルシフェルに差し出した。落ち着いた感覚を与えながら、子ども特有の活発さをなくさない薄紫のワンピースに、短い深い紫のジャケット、二つとも小さなフリルがついており、女の子らしい演出もできるという。ファッションに詳しい、かつ審美眼を持つ者にしかできない組み合わせとでもいうべきか、見ただけで似合うと判断できそうなものを、いったいこんな短い時間内に、どこで揃えたのか、それを疑うほどのものだった。ドゥランナーがこのような服を着れば、一人で天界の街を歩いても、魔族だと思われることはないのであろう。

「何を言っている。彼女は…魔界で拾った孤児だ」

「へー」

信じきれないと言った顔を浮かべ、男はその金とオレンジが混ざり合った目で、じっと彼女を見つめた。ドゥランナーはその視線に少し怖気がついたようで、ルシフェルの外套の裾をぎゅっと掴み、背後に隠れてしまった。

「は…あまり怖がらせないでくれ。さ、上の浴室で着替えてきて」

ルシフェルが服を受け取り、姿勢を低くして少女にそう言った。ドゥランナーが彼の顔を見つめると、そこにあるのは、昨日から見てた柔らかい表情だった、それで少し安心したのか、両手で服を受け取り、そしてそれを抱えて頷いた。

子供らしさを感じるような軽やかな足音を立て、ドゥランナーは二階へ走っていく、そしてルシフェルは目を長髪の男に向けた。

「孤児、か」

男の視線はずっとドゥランナーにあり、その姿が階段の上に消えるのを見届けて、ようやく視線をルシフェルへと移動した。

「ああ、彼女が道端に倒れていたので連れて戻った」

男は信じきれないと言いたそうな顔をするが、どうせルシフェルはそうだと言い張れば、自分なんかじゃ勝てそうにないお硬い天使長様だし、彼は仕方ないと頭を振り、このことに触れないようにした。

「えーっと、とりあえず、話し合いの結果を、聞かせてもらおうか」

ルシフェルも彼が追及することなく、ちゃんと仕事のことを言い始めるのを見て、何も言わずにスーツケースを開けた。中から書類と、自分が帰るまでに書き上げた報告書を取り出す。

「ダメだった……主に上奏した方が良いだろう、戦争の準備をしないと」

「へー、それならば私はまたお留守番か。面白みがないね〜」

厚い紙の束を受け取り、男はすごいスピードで読み始めた。ほぼ読み飛ばしてるのではないか、と疑うほどの速さで大半に目を通して、最後のページだけ何回も読んだ後、不満げな声を上げた。

しかしルシフェルはそれだけじゃないなと、後の発言を待ちながら、彼を厳しい目線で睨みつける。

「リョウカイ。ではシュンポシウムへ連絡する、明日にでも討論会を開く…君の位置は私が引き継ごう、安心して八重天に行きたまえ」

その言葉を聞いてようやく、ルシフェルは少しホッとした、しかしまだ安心の時ではない。色々考えた末に、やっぱり言おうと決めた。たとえ自分の忠告なんて、彼にとっては馬耳東風だろう。

「一大事だから、遅刻するなよ」

「くっふふふふ、私を誰だと思っている。そんな老婆心なんていらないだろ」

この時、階段から足音が響いてきた。男は敏感にその音に反応して口を閉じた。さっきまでの笑みも消え、少し複雑だが明らかに厳しい顔になった。ルシフェルはその変化を理解できていないが、やはり振り返り、少女を迎える。

男が持ってきた服を着たドゥランナーは、すっかり落ちぶれた孤児に見えなくなった。少なくとも、天界の一般家庭の子供と言っても違和感はないだろう。

「…?」

「ん?」

しかし何故か、彼女が階段を下りきると、立ち尽くした、全くこちらに寄ってこない。男はルシフェルに目をやるが、ルシフェルも首をかしげて彼を見た。でもいくら待っても来ないから、いよいよ状況を理解できずに、ルシフェルは困惑した顔で手招きした、彼女はそれを見て、ためらいながらではあるが、ようやくゆっくりと歩み寄った。

「あ、あの、ルシフェル様…わたし、その、お邪魔でしたか?」

これでついに、事情を理解することができた二人。男はルシフェルに何か言ってやれと目配せを交わすと、天井を見つめた。ルシフェルは仕方ないなと、膝をついて、少女の頭を撫でた。

「ドゥランナーさん…いや、ドゥランナーは、今日からここで生活するのに、どうして邪魔になるだろう」

それを聞くと、ドゥランナーはまた戸惑うが、少し安心した顔を見せた。

「それと、様付けはもうやめなさい」

男はその言葉に嫌気がさしたのか、「またか」と小さく顔を顰め、もうこの場にいたくないと言いたげに、簡単な挨拶を残すと早足で行ってしまった。ルシフェルも慣れたのか、見向きもせずに返事をした。

「え、でも…」

ドゥランナーは混乱した。去っていく男に挨拶を交わすべきか、それともルシフェルが言っていることを理解するべきか。しかし当然ながら、彼女が決断する前、すでに男の姿はなく、目の前の人しか視線の中に残らなかった。だが選んだとはいえ、どう、何を答えればいいのか、彼女にはさっぱりわからなかった。

敬称を付けない。

ではどうやってこの高貴な天使様を呼べばいいのでしょうか。

「ん…そうだ。あだ名、ニックネームというもので呼んでくれればいい」

「えっ?」

あだ名?そんなもので彼を呼ぶものがいるのか?

先ほどの人は、すでに相当気軽に話しかけていたが、それでも、流石に名前は普通に呼んでいた。この世界に、本当に彼をそんな感じに呼んでいい人が存在するのか?

「ルシ、でどうだろう」

「ルシ…」

「うん」

ドゥランナーは少し困惑した、自分は知り合ってただ2日の、言ってしまえば行きずりの人。そんなに親切にしてもらった上、敬称を使わずに会話していいだなんて、もはやどうやって話せばいいのかわからなくなってきた。

しかし、状況は待ってくれない。整理がつかぬうち、ルシフェルは外出の準備を整え、彼女を六重天の学府へ連れて行った。まずは自ら管理者と話し、身分不明の彼女の入学資格をもらった。そして彼女の苗字をラフィリルと、天界で普通にありそうなものに偽造し、入学させることに成功した。

この天界で、ルシフェル以外、彼女の本当の身分を知るものはいない。事実上、あの長髪の男『ベリアル』を除けば、それを気にする人もいないのだろう。

だから、学府の校長がビビりながらルシフェルを接待した以外、ドゥランナーは至って普通に天界での生活を始めた。

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