天使と舞い落ちる
3、魔の子よ、天へようこそ
翌日の朝、外に昇る陽はなく、いつも通りに暗い明け方。男、ルシフェルは机の側で目を覚まし、ひとまず髪を整えるようにと、鏡の前に立った。昨日のことを思い返しながら、彼は外套を羽織った。机に散乱している書類、そしてせっかく書き上げた報告書をまとめ、この類のものしか入っていない、小さなスーツケースに入れて、考え込んでしまった。しかしやらないわけにもいかないので、数分のためらいの後、彼は片手にスーツケースを持ち、二階へと上がった。
軽くドアを叩くと。
「リ、…ドゥランナーさん、起きていらっしゃいますか」
彼なりに考慮した結果、礼を重んじる苗字ではなく、できるだけ彼女を悲しませないために、家族に関係ない、名前の方で呼びかけた。それに、彼女の話によると、この名前は大切な母親が考えてくれたもの、彼女にとって、もはや形見とも言えるだろう。そして、数少ない彼女を支えるものだった。
「あ、はい、ルシフェル様」
数秒後、部屋の中から軽い足音が響いた、それがドアに近づいた。ま、今彼女の気持ちを考えると、多分彼女もそれなりにためらっているのではないか。しばらくの静寂の後、扉がゆっくりと開いた。
ルシフェルは少し困ったような笑みを浮かべた、しかし不安を与えてはいけないので、すぐに朝にふさわしい、朗らかな笑顔で少女を迎えた。
「おはよう」
「はい、お、おはようございます、ルシフェル様」
少女はなんだか落ち着かないように見える。
それも仕方のないことだ、と認めるほかない。
ルシフェルは少女の頭を撫でた、少なくとも、昨日よりは元気になったような顔で、少しホッとした
「さ、そろそろ行きましょうか」
不安そうに、少女は彼を見つめた。その視線の先に、昨日に見た少々汚れたシャツはなかった。予備を持ってたのか、真っ白の制服に泥の跡はなく、清潔感と、儚さを感じてしまうような何かがある。自分とは違う。
「っ、…すまない、女性が着られそうな服がなくて」
視線を感じて、彼は言葉を詰まらせながら、すまなそうに笑う。それを見て、ドゥランナーは慌てて首を振った。
「あ、いいえ!…その、ただ、天界とはどこなのかが、分からなくて……」
なるほど。
ルシフェルは少し驚いたが、大体の予想はしてた。理解できないことではない、この子はこんな目に遭っているのだ、王宮に居ても、きちんと教育されていないのではないかと、三界の構造...いや、そもそも魔界の構造を把握しているかどうかすら怪しい。
しかしさほどの問題ではない
天界で、自分の紹介があれば、彼女を受け入れてくれる学校があるだろうし、信頼できる学士もいる。何が起きようと、彼女の教育が阻害されることはない。
自分に出会うまでの生活が気にならないと言えば嘘だが、少女の顔を見ると、心配そう目で、突然喋らなくなった自分を見つめている彼女の姿が目に入って。
「あ、ああ、大丈夫、行こうか」
眉が情けなく垂れて、複雑な笑みを浮かべて、ドゥランナーにどうぞといったポーズを取った、少女は少し躊躇したが、それでも、その手を掴んでくれた。共に階段を降りて、この貴族の屋敷の真ん中に建てた小屋を後にした。
7つの階層をつなぐ通路を通り抜けて、庶民と商人、そして所属をはっきりとしない者たちが入り乱れる第四獄へと足を運んだ。
上品と言えば違うが、貴族感に満ちた第五獄とは違い、ここでは埃が宙を舞い、開店の準備をする商人もいれば、草むらで身を休む魔獣の姿も見える、まさに混沌という言葉にふさわしい。
ルシフェルは少しため息をついた。それらには目もくれず、ただドゥランナーの手を引いて、まだ静かとも言えるさまざまな店や民家を通り過ぎた。ここに対して、色々と言いたいことこそあるが、嫌悪感がなかった。しかし、それでも、秩序を保つ人にとって、ここの状況は、本気でどうにかして欲しいものだった。
そしてついに到達した。
第四獄の果て。すなわち天界への渡り廊下みたいな場所。
灰と白が混ざった、混濁とした光が、空から降ってくる、まるで色が褪せた太陽が照らしているようで、人を寄せ付けない。事実上、魔界に住む魔族たちの中、ここに近づきたいと思う者もいないのだろう。
ルシフェルは暗い空の下にドゥランナーを残し、一人で灰色の光を浴びた。
ゆっくりと目を閉じる。
瞬く間に、その背後には12枚の巨大な羽がふわっと現れ、ドゥランナーは言葉も出ず、ただただ目を見開き、信じられないという顔で彼を見つめた。
12枚の彩光を飾る白い羽。
あれは魔界では都市伝説の一つだった。
あまり世間のことを知らないドゥランナーでも、侍女の話で聞いたことがあるくらい。
天界より、魔界との交流に臨む使者、天帝の寵臣、魔界住民たちの恐怖の象徴、それでいて無数の者たちの憧れである人物。
彼にはさまざまな称号が当てられている、だが、つまるところ、彼は魔族の天敵でありながら、その魔族たちの憧れでもあったという、謎に満ちた人物...。
「?どうかしたか、ドゥランナーさん?」
「あ…いいえ、その…」
極彩色に輝く真白な羽は柔らかく揺れる。
「大丈夫」
ドゥランナーを大事そうに抱え、彼は少し目を細めて、あの灰色の太陽より、ずっと輝かしい笑顔を見せてくれた。
「すぐに着くよ」
彼女の返事を待たず、12枚の羽は小さな渦を起こしながら羽ばたく。ふわふわとした感覚と共に、二人は色褪せた日光に沿って、天に上り詰める。
無意識に近い時間だった、気づくと、目の前の景色は変わり切っていた。見たこともない青空、眩しい光、まるで、ここは雲の上にある世界。しかし足元を見ると、しっかりと白い石でできた地面がある。
物語にしか存在しない世界だ。
ドゥランナーは周りの景色に、ただ圧倒されていた。
ルシフェルが気づいた時、二人はすでにかなり離れていた。
足を止めて振り返ると、少女がぼうっと立ち尽くしているのが目に映り込む。
「わぁ……あ、ご、ごめんなさい!あの、ここがとても綺麗で、つい…」
実というと、魔界と繋がるこの場所を、ルシフェルは好きになれないでいる。ここには軍の見張りがあり、自由のない監獄を彷彿させる、これも秩序を求めて結果ではあるが、どうにも腑に落ちないところがある。しかし初めて第八獄の王城を出て、外界と接触したドゥランナーにとって、ここがいかに空気が硬くても、彼女が倒れていたあの暗い森よりは100万倍マシだろう。
ここまで考えると、ルシフェルは軽く笑みを浮かべた、彼女の側まで戻り、優しく頭を撫でた。
「君にそう言ってもらえると、治める側としても報われた気がするよ」
そして彼はドゥランナーに自分の羽に隠れるように言いつけて、何事もないかのように、兵士が見張っている門をくぐった。
「おかえりなさいませ!天使長様!」
「ああ、ご苦労様だった。これからも頼む」
「はい!!」
天使長とおしゃべりができたのがよほど感慨深かったのか、兵士たちはドゥランナーに気づかず、そのまま通らせてしまった。そんな兵士たちを背景に、ルシフェルが羽をしまい、再び少女の手を取ろうとすると、少女が一枚の羽根持っているのが目に入る。
頭を上げると、彼女はキラキラした目でルシフェルを見つめる。
「あの!ルシフェル様の羽根がとても綺麗で...その、記念にしてもいいですか!」
「…ふっ、もちろん、いいよ」
少し気恥ずかしいそうに、彼は笑みを浮かべた。
今更ではあるが、腰に下げている佩剣が彼女を傷つけないように気をつけながら、空いてる手で彼女の手を引いて、天界の街へと向かった。
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