2、捨て子姫と天使長2


 ようやく戻ってきた二階建ての小屋、魔術で灯る橙色の明かり、そして静かに燃ゆる暖炉、その全てが暖かさを与える。男は細心を払って、抱えている少女をソファに、そして絨毯かそれらしきものを探し始めた。なにをどう考えても、一時の保温にはなるだろうが、外側が濡れた外套だけでは、彼女の体調を良くすることはできないのであろう。

 男は考えうる場所を全て見回したが、目的のものが見つからず、仕方ないと二階から布団を引っ張ってきて、彼女にかけた。そしてようやく、机の前に座り、本来の仕事である報告書に向き合った。

 しかし集中するどころか、彼は時々ソファの方に目を向ける、何度も席を立て様子を見に行っている。魔族に普通の飲食はほぼ不要という知識がなければ、今頃は仕事を放っておいて、キチンにある食材を確認した上、お世辞でも上手とはいえないその料理の腕で、何かかろうじて食べられるものを作っていたのだろう。しかし、なにもしないというのも彼には酷なことで、居ても立ってもいられずに、彼は諦めて水を飲ませることにした、コップ一杯の水を、ゆっくりと彼女に飲ませて、その緩やかな呼吸を見たところで、初めて安心感を覚えた。

 それから仕事に取り掛かって3、4時間。

「うぅ…?」

 微かな吐息で、男は筆を止め、書類の束から頭を上げた。

 少女は朦朧とした目を開けて、天井を不思議に見つめていた。その瞳に、男は少し驚いた顔を見せた。

 魔族の目は大体決まった色しかない。嫉妬や負の感情を示す緑、魔性と危険を意味する赤、深淵の黒、特殊的ではあるが、威圧感を与える金。

 だがこの少女は違っていた。

 深く、しかし透明感を失わないアメジスト。

 目覚めの瞳に張っている、涙の水膜越しでもわかる、高貴な紫と淡いアリスブルー、二つの色は美しいハーモニーとなり、この少女はもしや浮世離れの妖精なのではと、錯覚するほど。

 男はビッタリと動きが止め、立ち上がろうとする形で動かなかった、ぼうっとして彼女を見ていた。少女が完全に覚醒し、じーと天井を見つめるようになってようやく、話しかけるべきだと思い至った。

「あ、ああ、起きたのか、何処か具合が悪いどころはないかい?」

 でも正直にいうと、彼は確かに本能に近い衝動でこの子を連れてきたが、子供の扱いが上手くなく、話し上手でもなく、むしろ仕事に埋もれるワーカホリックに属するだろう。だから、どうやって接するかは、目下1番の問題。彼はソファの隣にしゃがみ、できるだけ気をつけて、彼女との対話に臨んだ。

 少女は助かったとばかりに、周りに人いるとは考えていなかった。幼さと衰弱のせいもあり、人の気配を察知できなかったらしい。

「え?あ……」

 少女が視線を向けると、しゃがんでいる男の姿が視線入ってきた。黄金色の短髪は暖炉の暖かさで乾き、それほど手にかけていないが、ふわふわで柔らかく、オレンジの灯りに照らされて、少しキラキラと輝くように見える。外套は今暖炉の前で乾かせているため、今彼が纏うのは淡い空色のシャツと真っ白なスラックスのみ、汚れた裾は全く改善されていないが、それでも不清潔などの印象を与えることはない。表情は柔らかく、自然に浮かぶ微笑みと、青空を思い出すような澄み切った瞳は少し細めている。天界にも童話というものがあれば、彼はまさしくそれから飛び出た王子様だろう。

 少女は驚きのあまりに言葉がうまく紡げないようで、躊躇いながら彼を見つめてた。

 男は困ったなと笑った。

「君の名前は?」

 彼も少女が戸惑ってることを分かっていた、ゆっくりとソファに座らせて、布団をかけ直した。

「えっと、その…ドゥランナー、ドゥランナー・リスライトです」

 その言葉で、男はさらに困惑した。

「リス、ライト?」

 リスライト家、現在の魔界において、知らないものが存在しないと言っても過言ではない。何故ならば、41人目の魔王、歴代最強と謳われながら、歴代最悪と恐れられ、通称レフト公のその男、彼の名前が『レフト・リスライト』であるためだ。

 100年ほど前に、彼は先代の王権をひっくり返して即位。数年後、魔族の中でも最も権勢のある吸血鬼族の、『最も美しい姫』であるカリナロ氏、そしてわずか百数年後に彼女を処刑した。この事件で吸血鬼族の反乱があったが、瞬く間にこれを鎮圧した、暴君の一言に尽きる人物。自分はまさにそんな彼の様々な暴挙、及び天界への挑発の一件で、此度の交渉の任を預かり、この魔界に足を踏み入れた。

 なのにこの子は、自分の苗字をリスライトと?

「不躾な問題で申し訳ないが、あの、リスライト、なのかい?」

 男は慎重に慎重にと、彼女に問いかけた。

 そうであればおかしなことになる。彼女の外見からして100歳近くの、まだまだ幼い子供に見える、リスライト氏ということは、彼女こそ王室唯一の王女に違いない。それならば、王宮の中に、それこそ厳重に保護されているはず、魔物も出現する真っ暗な森の中に倒れているなどのこと、あるはずもない。

「……はい…王室、リスライトです」

 レフト公に他の子女がいないため、この子は正真正銘の、たった一人だけの王女ということだろう...。

 しかし、ここまで考えると、男は思わずに聞いてしまった。

「む…しかし、何故君があの森に?」

 口に出すとわかったことだが、この問題は今聞くべきではなかった。少女は起きてばかり、体も精神の衰弱したまま、このような事実を思い出させるべきではなかった。

「あ、その、そう申し訳なさそうになさらないでください」

 少女に小さな声で言われて、男は軽く首を振り、また困ったような笑みを浮かべた。

「すまない。だが、君の待遇を考えるためにも、事情を知る必要があるんだ」

 少女は小さく頷いた。そして男にとって、とても残酷な物語を語り始めた。

 天界の住民として、男はただ王妃は処刑されたとしか知らず、背後のストーリーを、知る由もなかった。

 レフト公は暴君であることは天界にでも有名で、誰でも知っている。

 暴力と圧力で魔界を治め、慈悲のかけらもない男。だから、たとえ誰でも見惚れるような美しい王妃でも、彼は『見飽きた』の一言で死刑を命ずる。それは血の分けた娘にも同じ。新しい妃を擁する魔王は、娘の外見はあまりにも死んだ王妃に似ているから、見かけただけでも煩わしく感じるため、侍女に殺せと命じた。

 侍女は生まれてからずっと姫を見ていたので、殺すのはとてもじゃないが無理と思った。だからごめんなさいと何度も繰り返しながら、毒薬で昏睡させ、そして巨大な袋に入れて、王宮から近道で行ける、貴族が多く住んでいる第五獄の森に捨てた。

 そこならば、散歩する貴族が多く、運良く誰かに拾われたら、また生きる道があると。

 一週間以上眠らせ続ける強力な薬だったが、少女の体質の問題だろうか、2日くらいで、森に捨てられた彼女は目覚めた。しかし不幸とも言えるだろう、その間は土砂降りがひどく、誰もこの森に来る人はいなかった。少女はヌメヌメとした袋の中で目覚め、回らない頭でずっと考えて、ようやく自分における現状が分かったような気がした。泣きたい気持ちを全力で抑えて、彼女は袋から出た。寒くて湿った環境に長居したことと、毒薬の副作用で力が入らない体を引きずり、木を支えに、歩き出した。

 ついに、体力の限界が来て、男が彼女を見つけた場所で、少女は倒れてしまった、起きる気力もなく、そのまま意識を失った。昏睡の中、また天候が荒れて、雨が降り出したので、体調はさらに悪化し、ここに運ばれるまで、意識が戻ることはなかった。

 もしも二度目の雨も降らず、霧もなかったら、すなわち男が森の小道ではなく、普通に街中を歩いたら、あるいは彼女に気づいていなかったら、彼女はそのまま、誰にも知られずに消えていたのだろう。

 そう考えると恐ろしく感じた。

「そんなひどいな」

 男が彼女の物語を聞いて、眉を顰めて、少女の頭撫でた。考え事に集中したい時ではあるが、一応少女の体調のことを思い出して、彼女に目を向けた。

「そうだね、ずっとソファに寝ているのは良くないし、上に行こうか」

 少女が答えるのを待たずに、彼は毛布で彼女を包めて、二階の寝室に連れて行った、ベッドに下ろした後、少し考えた末に、彼はきめてしまった。

「明日、君を天界に連れて行く」

「てん、かい?」

 少女の疑惑の目を見て、彼は少し微笑んだ。

「そういえば、自己紹介はまだだったね」

 真っ白なスカーフを正し、少し咳払いすると、彼はもう一度少女に顔を向け、真直ぐに見つめた。

「ぼくはルシフェル、天使だよ」

 こうして、大天使長と捨てられた少女は、霧でぼやける黄昏に出会っていた。

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