第23話 出立(1)

 出立の朝。まだ暗いうちから、マカとランジェの二人は村を出た。


 未だ星々が大地を見下ろし、もやのけぶる茫洋とした薄闇の中、〝薬師の村〟の住人たちは自らもまた星明りのような灯篭の光とともに、二人を送り出した。

 

 その点々とした灯りは、二人の背中が見えなくなっても、ずっと、それを見守るように灯り続けていた。


 最下層のどん詰まりから上へ上へ、二人は風のように道を駆け上った。目指す試験会場は数百キロメートルも上に存在している。


 一度は人の足で踏み固められた山道へ入ったが、その傾斜は次第に次第に険しくなり、またすぐに獣も踏破を断念するであろう峩々ががたる山肌へとなり果てる。


「この先に、仙鬼の試験場に連なる門があるって聞いたわ。そこを抜ければ……」


「おお、あれか? 門って!」


 目のいいマカが先だってそれを見つけた。ランジェも目を凝らす。しかし、その巨大な門の前には、一人の男が立ちはだかっていた。


「よく来たなひよっこども! おれはこの門の門番、モンソンだ!」


 二人が近づいていくと、偉丈夫は大喝するがごとき大音量で名乗りを上げた。


 荒々しき視線は射るように二人を見据え、角ばった顎は今にも襲い掛かりそうだ。


「……知ってるぞ?」


「あんた、居ないと思ったら何やってんのよ」 


 しかしマカとランジェ、二人の反応は平坦なものであった。なにせ、この男はよく知った相手だったのだ。


 この男こそ、先だって龍縛の網でランジェを苦しめたならず者の頭目だったからである。


 今はトレードマークであった髭をそり落とし、簡素だが礼にかなった礼装に身を包んでいる。


「門番だと言ってるだろうが。この門を超えて試験会場へ向かおうって輩を最初に審査する役ってことだ。――ふっ。まぁ昔の伝手でな。この役を融通してもらったんだよ」


「あんたヒゲない方がいいわね。結構見れる顔だと思うわ」


「真面目に聞け! 俺はお前らのためを思ってこの役を買って出たんだ。いいか? そもそもこの場所にはな、本来は門番なんて配置されてねぇんだよ」


 しかし、ここ数か月も一緒にやってきた間柄である。今更厳粛にというのも妙な話であろう。


「他の場所の門には居るのにってこと?」


「そうだ。試験会場へ続く道には全部な。だがこの門を見てみろ、今まで一度だって開けられたことがあるように見えるか?」


 モンソンが背に負うのは巨大な銅板の門であった。分厚く厳めしい構えのそれは、しかし錆びついているのか緑青を吹き、半ば石礫や塵に覆われている。


「こんな門出じゃ、先行きにだってケチが付くってもんだろうよ」


「じゃあ、あんたがこれを開けて通してくれるってこと?」


 ランジェの言葉に、モンソンはニヤリと含みのある笑いを浮かべ、マカを見据えた。


「それでもいいが……それよりもなアラカン、俺はお前に餞別をくれてやろうと思ってな」


「せんべつ?」


「……なぁんか、ただ単純に送り出してくれるってわけじゃなさそうね」


 ぽかんとしたマカの脇で、ランジェはひとり、何かを察したように美しい眉根をひそめた。


「なぁに。簡単な試験だ。誰もが通る最初のな。どんなやり方でもいい。この門をこじ開けることが出来ればそれでいいってだけの話だ。そもそも仙鬼としての力のねぇやつには開けられねぇようになってるし、見ての通り、そうでなくても錆びついて誰にも開けられねえ」


「なぁんだ。そんなんでいいのか?」


「そうとも。お前らには簡単なもんだろ。……まぁ、それでもこの最下層から仙鬼になったやつは今までいないってことなんだろうがな」


「これからは違うわよ」


 ランジェが言った。モンソンはしみじみと苦笑を返す。  


「だといいな。お前らのおかげでこの最下層も最果ての地だのなんだと呼ばれなくなるかもしれねぇ。それは本当に大したもんだ」


「よぉーし、そんじゃおれがッ」


「ただし、俺はここを動かねえ。最後までな」


 巨大な黒拳を握り固めたマカに、髭面改めモンソンは閉じた門の前で仁王立ちしたまま言った。


「へ?」


「あんた何言ってんのよ!?」


「これがおれの餞別だ! 俺を動かさねぇまま、後ろの門に風穴を開けてみ見せろ! それが俺の試験だ!」


 重ねて大喝するようにモンソンは言い放った。唖然とする両者に、モンソンは何食わぬ顔で付け加える。 


「だから言ったろ? こんなもんをただ押し開けて通るってんじゃ、お前らの門出にふさわしくねぇってな」


「何言ってんだかわかんねぇよ! そんなのできねぇ!」


 マカが即座に返した。しかしモンソンはそっけなくかぶりを振るだけだ。 


「そうか? ならアラカン、お前は仙鬼になれねぇ。たとえこの道を迂回して通っても次の試験には参加もできねぇ」


「そんな……」


「なるほどね……冗談や酔狂で行ってるわけじゃないみたいね」


 困惑するマカの横で、ランジェはひとり眉根を寄せたまま納得していた。


「ランジェ……」


「マカ。試験はもう始まってるってことよ。こういう難題はこの先、いくらでも出題されるんだわ!」


「そうだ! 仙鬼の試験てのは無理難題が目白押しだ。この程度で挫けるなら、本番の試験になんて行かない方が身のためだぜ!」


 そう言われたマカは心もとなげにランジェに視線を向けるが、ランジェは腕を組んだまま、突き放すように言う。


「マカ、これは自分で決めないとダメよ。誰かに言われて決めることじゃないわ」


「……ッ!」


 マカは再び拳を握りしめる。モンソンさえいないなら、この異形の拳は錆びついた道の扉など容易に粉砕してしまうことだろう。


 しかし、その拳は力なく降ろされてしまう。


「……そんなの、できねぇよ。おれじゃあ……」


「ふっ。お前はいつもそれだったな。困ると、いつも「できねぇ」それに「おれじゃあむりだ」だもんな。だがな、仙鬼になろうってんならこの先それは通らねぇんだ!」


 嘲るような口調を浴びせられ、マカは再びランジェを見る。ランジェは厳しい視線をモンソンに向けてはいたが何も言わず、またマカの乞う様な視線に取り合おうともしない。


 寂しさと心細さに、マカは打ち捨てられた子犬か何かのように立ち尽くす。そこに、モンソンは容赦のない怒声を浴びせかけた。


「どうした!? お前にはそんなこともできねぇのか? 腕に自信がねぇなら覚悟を見せろ! 俺ごと殴り飛ばすんでも構わねぇ! それでも先へは進ませてやる!」


「そ――そんなことできるわけねぇじゃねぇか! だって、祖父ちゃんは」


「誰も殴ったり、けがをさせるな。だったな。それも何度も聞いたぜ。だがな、それで仙鬼が務まると本気で思ってんのか? 何よりも仙鬼に問われるのは非情さだ! 半魔のお前は常に疑われるぞ! 本当に魔仙ではなく、仙鬼の味方なのかとな!」


「……ッ!」


「わかるか!? お前は誰よりも率先して魔仙を討たなきゃならねぇんだ! だが魔仙が人質を取ったらどうする気だ!? 魔仙が命乞いをしたらお前はそいつを見逃すのか? お前の進む先に、こんな状況は山のように転がってるんだ!」


「けど……」


「そこにはお前の味方はひとりもいねぇかもしれぇ! ランジェも、俺も、当然お前の祖父ちゃんもだ! そんな時、お前は今みてぇに「できねぇ」っていうつもりか!? どうなんだアラカン!!」


 マカはあらん限りに思考した。モンソンの言うことが正しいのはわかる。だがどうする? どうしていいのかわからない時はどうすればいい? そうだ、真似すればいいんだ。

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