第22話 修行(4)

 このように、――と重ねてランジェは教示を続ける。


「硬氣功は身体を頑強にしてくれるけど、受ける衝撃が大きすぎればむしろ危険よ。硬いということは同時に割れてしまいやすいということでもある。だから、同時に行うの。硬いと、軟らかい。これを同時に使用することで、人体は金属バネのような剛性と粘り強さを獲得する」


 ランジェは言いながら、さらに稽古場の脇にあるひときわ巨大な、この周辺でも最も巨大な大岩にぺたりと手を当てる。


「そうしてなにものにも破壊されない五体が手に入ったら、今度は〝威力〟。いい? 威力のすいとは、すなわち〝重心〟にあり。人体のあらゆる動作。打突、投擲、走行、跳躍。そのすべてに重心の移動がかかわってくるわ」


 ランジェは手を巨石に押し付けながら解説を続ける。姿勢は微動だにしない。


「重氣功を使用して自重を増すことはできても、その重さゆえに質量をキープしたまま素早い重心移動を繰り出すことは不可能。そこで重氣功と軽気功を同時に使用し、巨大な重心を維持したまま一気に、ゼロコンマ数秒で移動させる!」


 すると、なんの予兆もなく大岩に亀裂が奔る。ランジェは一切動いてはいない。むろん手を打ち付けるような動きもない。


 にもかかわらず、巨大な衝撃がじりじりと伝播していくのが見て取れる。


「わかる? 動いているのは身体ではなく〝重心〟よ。それを、バネのように強靭な皮、肉、そして骨を介して――伝える!」


 次の瞬間、つま先から発した重心の重さが、はたからも見て取れるほどに、ほぼゼロからマックス数十トンにまで一気に荷重する。


 その重心移動のエネルギーが! 全身バネと化したしなやかな五体を通して、一点に収束する!!


 ――怒呑ドドンッ!! ランジェの押し当てていた掌からほとばしった衝撃はとうとう大岩全体を断ち割ってしまった。亀裂だけで数十メートルはあろうか。


「はぁ~」


「――というように、これらの氣功術の同時併用による究極的な力の解放――それがけいなのよ」


 ランジェは引き続き明朗めいろうに語る――が、それを向けられるマカも遠巻きに聞いている子供たちもいまいちピンときていないようで、首をかしげるばかりだ。


「氣功術にはもっといろいろあるから、組み合わせればもっといろいろできるって言われてるわ。今のは最も一般的な「発勁はっけい」ね」


「んー、やっぱりランジェがすげぇ、ってことしかわからねぇよ。おれにもできるっていわれても」  


 ますますしょげ返るマカに、さて、どうしたものか、とランジェも琺瑯エナメル細工のような指先を顎先に添えて思慮にふける。


「――じゃあ、そうね。マカには感覚的な方がいいかもしれない。まずは何も考えないで真似するとことから始めてもいいかも」


 ランジェは閃いたと言外に語るかのように、美貌をひまわりのように花開かせた。


「マネ?」


「そうよ。真似するの。まなぶとは即ち真似まねぶこと。模倣と反復こそが最短の道よ。あれこれ考えるのは後。そういうやり方もあるわ」


 言いながら、ランジェはストレッチでもするように、飛び立つつるのごとき優雅な表演を行う。最大威力の勁を放った後遺症を残さぬための動作である。


「って言われてもなぁ?」


 一方マカは亀のように身体を縮めて「うーむ」と唸りを上げる。


 先ほどのランジェの挙動を真似るといってもますますピンとこない。亀裂にもぐって見せたのは本当に奇術めいて参考にならないし、今の掌打に至ってはランジェは微動だにしていないのだ。


「最初に会った時に見せたじゃない。「金剛発勁」。覚えてる?」


 すると、今度はマカのほうがパッと曇っていた顔を輝かせた。


「おお! 覚えてるぞ! びりっと来た! えっと、たしか……」


「あはは、びりっとねぇ……。まー、まずは形だけでいいのよ。それを反復するうちに意味はついてくるもの……」


 ランジェは苦笑いしつつも滔々とうとうと文言を続けようとしたが、マカが記憶を頼りに取った構えを見た途端――絶句した。


「えっ!? ちょ――――、あ、あんた達、もっと下がって!」


 そして後ろに跳び退り、遠巻きに見ていた子供たちに呼びかける。


 それほどに、見るものを危惧させるほどに、マカが取った構えは堂に入っていた。


 まるで天を突くような身の丈の巨人が、満身に湛えた金剛力を今まさに炸裂させんとしているのを目撃したような心持ちにさせられたのだ。


 これは――まずい! と本能が警鐘を鳴らし、理性が悲鳴を上げた。


「〝勁法けいほうの六〟――」


 マカはすさまじい集中を見せ、記憶の中のランジェがそうしたのと寸分たがわず、動きをトレースする。


 異形の五体でぎこちないながらも――地を這うように低く踏み込み、両手はたたんで固定する。打突部位は右肘。左足を前に、半身。左拳は額の位置に、右拳は腰の位置に置く。まるで∞の文字のごとく構えられた両腕は量子加速器のごとく――


「〝金剛発勁こんごうはっけい〟――」


 轟轟ゴゴウ!!! 打突の瞬間、いびつな量のかいなを振り乱し、左肘を振り下ろすと同時に右肘を跳ね上げる。


 円を描くようにして渾身の力と技、そして氣をたたきつけるそれはまさしく、山をも退ける大戦斧がごとし!!

 

「〝退山斧君たいざんふくん〟!!!」


 インパクトの瞬間、影が満ちる。遮るものないはずの陽光が不条理によって遮られ、足場となる岩山は融解し、大氣の、空気の、そして光彩の壁が一気にぶち抜かれる!


 巨石の岩肌に肘打ちが達するよりも前に、引き裂かれた大気と空間とが絶叫し、もはや目視さえもかなわぬ虹色の極光が奇怪なスペクトルを伴いスパークする。


 それは本来目撃してはならぬ世界の裏側であり、眼下に晒された禁忌そのものであった。


 ――漣々ザザァァァ。


 いったんは床にぶちまけられた油膜のようにゆるゆると波打った空間と光彩の余波は、ランジェ達の目の前でようやく常道へと帰還し、荒ぶる颶風ぐふうを伴って逆巻いた。


「おおーッ! やったぞ! 出来た! な、できたよな!? ランジェ!」


 マカは無邪気に飛び上がり、「すげー!」「すごーい!」と駆け寄ってきた子供たちと一緒に喜んで見せる。


「大斧、山を退けるがごとし。とは言うけど……」


 ――が、一方でランジェは呆然と、このを見上げるよりほかない。


 マカが技を打ち込んだ大岩は退くのでもなく、砕けるのでもなく、極光と捻じれた空間の向こうに〝消失〟していた。


 世界が強引にめくり返されるのを目撃してしまったようなものだ。勁の力が強すぎるのだ。――ある意味で、無駄が多すぎるということでもあるが。

 

 しかし今はそんなことに言及すべきではなく、なおかつそんな気も起らなかった。


 ランジェはただ一言、


「なんていうか、……あんたに喧嘩売った私がほんとにバカだったんだなって。改めて理解できたわ」


 そう、つぶやくように言った。

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