第21話 修行(3)
「持つ? 抱くんじゃなくてか?」
「だっ!? ……だだ、抱く必要はないの! ほら」
当然抱っこするという意味だが、いきなりの言葉にランジェは取り乱しかける。人生経験がないからか、マカはたまにこうして突拍子もないことを言う。
悪意がないのはわかるが、時々困ってしまうこともある。というか、最初に会った夜にいきなり抱きしめたのはやはりまずかったのではないか?
今更になってそんな羞恥が脳裏をよぎる。
いや、何考えてるのよ!? 意識しすぎ! マカは子供! あの子たちと変わらないのよ! ――ああもう!
「ランジェ。どした? またなんか変だぞ?」
「いいから! はやくやって! ほら!」
やきもきしながらランジェが差し出した手を、その倍以上もあるマカの手が握手でもするみたいに掴んだ。すると、
「お? おお? ……んおお!?」
「変な声出さないの! ――いい?」
取り繕うように言うランジェの身体は、持つどころか、まるで風にでも吹かれて浮かぶかのように、持ち上がってしまった。
まるで風船のようだ。しかし彼女の瑞々しい身体には確かに血肉が宿っている。その存在が希薄化しているなどということも全くない。
なのに、そこからなぜか重さだけが失せてしまっているのだ。
「氣は万象の基本骨子。ゆえにそこへ自在にアクセスすることが出来れば、こういう真似が出来ちゃうってことね。マカ、そのまま持っててね」
「おぅ。――お、おお? おおおおお!?」
マカはそのままランジェを片手で持ち上げていたが、また声を上げて今度は歯を食いしばり始めた。見ている子供たちはが何事かと目を見開いてる。
「なんだこれ? おも、重い……今度はめっちゃ重いぞランジェ!?」
少々聞き捨てならないセリフだが、これは十分に想定内。ランジェは余裕をもって厳かに
「これすなわち、
「ん――んぐぐぐぐぐぐッ!」
マカはとうとう必死になって両手でランジェの足にしがみ付き、掲げ上げるようにして支え始めた。
マカの両足の下では大岩にバリバリと亀裂が入り、砕け始めている。
「さすがね。今は――多分、20トンぐらいにはなってるのに。素の腕力で持ち上げちゃうんだから」
「ラ、――ランジェ! もうやめろ! このままじゃランジェがつぶれちまうぞ!」
このままでは自分よりもランジェ自身がつぶれてしまうと、マカには感覚的に理解できているらしい。ランジェはやはり、と頷きながらも、あえて呆れたような声を上げる。
「んなわけないでしょ。離していいわよ」
「け、けどぉ……ッ」
「いいから。ほら」
マカが言うとおりにすると、当然その五体は直下に下落し、――
「ランジェ……大丈夫なのか??」
「当然よ。なぜなら、今の私の身体は重くなると同時に鋼の何倍にも硬くなっている。これが「
ランジェは当然のように続ける。腰まで埋まった岩場はまるで網目のように無数の亀裂が入り、まるで蜘蛛の巣のような様相を呈している。
何十トンもある人型の何かを岩場に打ち込めば、確かにこうなるかもしれない。ランジェは目を閉じ、胸の下で腕を組んだままさらに下へと埋まっていく。
さらに荷重してるのだ。しかしバリバリと音を立てて崩れていくのは岩石の方で、その、いかにも柔らかそうに丸みを帯びた少女の肢体には痣一つ、傷一つ表れはしないのだ。
「重氣功をやろうって人があんまりいない理由がこれね。マカも言ってたように、もとの強度のまま身体を重くし過ぎると、今度は自重で自分がつぶれてしまうのよね」
「はぁ……なんか、すげぇんだな。やっぱ仙人て……お、おれできんのかなこんなこと」
マカが自信なさげに俯こうとしたとき、足場になっていた岩がひときわ大きな音を立てた。ごりゅっ、とでもいうような、今までとは別種の音だ。
「ランジェ?」
同時に岩に突き刺さっていたランジェの姿が、まるで溶け崩れるようにして消えうせてしまった。
「ラ、ランジェ!?」
「なぁ――に、言ってんのよ!」
ランジェを追ったマカの視線は惑い、そして背後からの声に引き付けられる。
――が、それよりも先に、声の主はべたりと地面の岩場に張り付き、蛇のように伸びてマカの股の間を通過した。当然、人間に可能な動きではない。
「な――なななんだ!? ランジェ!? どこ行った!?」
「こっちよこっち――――っと!」
混乱極まったかのように、三度背後を振り返ろうとしたマカの腕に、肩に、そして首に! 温かいひも状の何かがらせん状に絡みつき、その身体を強引に引き寄せ一回転させる。
「ふぎゃ!」
「隙あり――ッと!」
マカを転がしたそれは! それまで何匹化の蛇が絡み合ったかのようにしか見えなかったそれは、やにわにふくふくしい女体へと帰還した。ランジェである。
「な、なにすんだよぉ……」
「修行中なんだから隙を見せちゃだめよ。それに、なに弱気になってるのよ!」
尻もちをついたまま情けない声を出すマカに、ランジェは覆いかぶさるようにして厳しい言葉を投げ掛ける。
「だって、何が何だかわかんねぇよ。何やったんだ今の?」
「今のは硬氣功と対を成す「
すると今まで人の形をしていたランジェの腕が、まるで骨が入っていないかのようにしなだれ、次いではまるで液体のごとく伸びて地面の上にこぼれ始める。
「す――すごすぎんぞ、ランジェ……」
「だから、な――に言ってんのよ!」
いうな否や、今度はまるで水泳でもするかのように岩場の亀裂に飛び込んだ。するとランジェの五体はまるで嘘のようにそのわずかの亀裂の中に滑り込んでしまった。
これも軟氣功か!? 目で追おうにも、すでにその姿は細い亀裂の中にさえ見いだせない。まるで岩の中に染み込んでしまったかのようだ。
「ランジェ……どこだよラン――――――――――ッッ!!」
さしものマカも危険を感じて飛びのいた。次の瞬間、足場であった大岩は木っ端みじんに砕け散り、粉砕されて宙に舞ったのだ。
まるでダイナマイトだった。それを知る人間がそこに居れば、間違いなくそうだと断定しただろう。
でなければあり得ないと。しかし、その爆発の中心地にいる彼女は確かに生身であり、衣服以上の道具さえ所有していない。
「情けないこと言わないでよねマカ。それに、マカはもう出来てるんだってば、これが」
「これ、って……今度はなんだ?」
ランジェはクレーターめいた穴の中からひらりと舞い上がり、再びマカとおなじ地平に降り立つ。
「今度なんてないわよ。今のはさっきと同じことをしただけ。さっきまでに見せた軽・軟・硬・重の四大氣功術。それを同時に使ったのよ」
「同時?」
マカは、まるで虎か何かがそうするように、ランジェの身体がちゃんと戻っているのかを確認しながら声を返す。困惑はさらに深まるばかりのようだ。
ランジェはフンフンと鼻を鳴らして自分の手足の無事を確認しようとしてくるマカに「はいはい」と掌を見せながら、苦笑する。
氣へのアクセスを取りやめれば人体は大本の状態へと間違いなく帰属するのだから、変形したままになることはありえない。
理を知ってさえいれば、マカの心配は杞憂でしかない。
「そう、同時。それが〝勁〟なのよ」
しかしランジェは説明を急ぐこととした。心配されて悪い気はしないし、細かいことは後でもいいからだ。
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