第29話 第一の試練(4)変容

「おお!」


 マカが驚嘆の声を上げる。周囲の泥からは無数のわだかまりが身を起こし、それらは瞬く間に彼らがよく見知った人型を形作り始める。


「すげぇ! こんなのもあんのか!」


 人型は速やかにランジェ、マカ、そして優男本人と寸分たがわぬ外見を獲得し、まるで生きているかのように生動し始めた。 


「攻撃の技はからっきしなんだけどね。でも時間稼ぎにはなるはずだよ」

 

 言いながら、優男は指で印を結び「Om/Aumオーン……」と呪文を唱える。


 二重共鳴する声は生動する影のように石畳の隙間にまで深く浸透し、闇に入り混じって虫の翅音のごとく残響する。


 うつらうつらと動き出していた分身たちはその一言でピタリと統制され、命令を待つように従順な素振りを見せる。


「転身法。いわゆる身外身しんがいしんの術ね。やるじゃないの」


 マカと同様にランジェもまた内心で驚嘆していた。こんな石ばかりの場所でここまでの転身法を使うことは彼女にもできない。


 少なくとも土遁に関してはこの優男はランジェをしのぐレベルの技術を身に着けていることになる。


 決して侮っているつもりはなかったが、同じ試験に臨むライバル達もまた自分達に劣らぬ熱意と覚悟を秘めてこの試験に臨んでいるのだ。


 改めてそれを確認し、ランジェ自身も身が引き締まる思いだった。


 ただし、


「――けど、なんで私の分身ばっかりこんなヘンテコなのよ!?」


 泥人形たちは基本的には生き写しともいうべき精妙な出来であったが、なぜかランジェの姿を模したものだけは身体の一部が極端に肥大化された状態になっていた。


 要するに、本来の彼女にも増して胸が大きめになっているのだ。しかもサイズにはバラつきがあり、中には動くのに支障をきたしかねないほどの大きさのものまである。


 そもそも割合もおかしく、三者の姿を模しているはずなのに半分以上はランジェの分身体なのだ。


「いやー、さっきの感触が残ってるせいか術が乱れちゃったね。失敗しちゃったなァ」


「わかる! なんか、離れてもずっとみたいな感じするんだよな。ランジェのって!」


 優男の言葉に、マカもスイカでもなでるようなジェスチャー交じりに強く同意した。男たちは何かが通じ合ったように「へへ……ッ」と微笑み合った。


「変なことで共感しないでよ!」


 しかし、それ以上は男どもに詰め寄る余地もなかった。黒刃はさらに襲ってくるのだ。


「行け!」


 優男が命ずると分身たちはそれぞれが意志を持つかのように前に後ろに駆け出し、自ら襲ってくる黒刃の前に身を投げ出した。


「……見てて気分のいいものじゃないわね」


 大半が自分の身外身であるせいか、ランジェはげんなりした声を上げる。


「それよりランジェ、この後はどうすんだ?」


「こういう時、怪物は迷宮の一番奥にいるってのが相場だけど……、あてにはなんないわよね」


 三者は分身たちの中に紛れる形で迷宮を駆ける。前方からの攻撃はマカのブレードが、それ以外は分身を盾に使い身を護る陣形だ。


「君は怪物を倒すと言ったのに、具体策はないのかい?」


 優男は少々あきれ気味に言った。


「それをこれから考えるのよ! 何かいい案がるなら教えてくれてもいいけど?」


「ま、まぁ、謎を解くのも同じことか……僕の見立ててでは」


 そこで、二人に先行していたマカがビタリと静止した。


「な、なんだい?」


「……マカッ」


「なんか、心配しなくても――向こうから来たみてぇだぞ」


 見れば、進むべき道は塞がれていた。


 それまで機械的に突き出されてくるだけだったはずの黒刃。それが挙動を変え、まるで彼らの前進を阻む壁のごとく屹立しているのだ。


 そして黒く滑る壁のごとく立ちふさがる一枚一枚のブレードが生動するかの如く身を打ち震わせる。そして――


「ひぃッ!?」


「なに、これ……ッ」


 その一本一本の刀身のそれぞれに眼光が瞬いた。目だ。眼球だ。


 この世のものとも思われぬ、赤く禍々しい光を宿した目玉が開き、一斉にぎょろぎょろと蠢きだしたのだ。


 優男は腰も抜けんばかりに悲鳴を漏らし、さしものランジェも二の句を継げずに言葉を失う。


 そして次の瞬間に走った一筋の刺突は、それまでの黒刃のそれとは一線を画す精密さで行われた。


 たった一枚の黒刃が赤い残光を残しながら閃き、三人を守るように取り囲んでいた土くれの分身たちをなで斬りにしたのだ。


 それは刃というよりも、しなやかにうねくる漆黒の蛇を思わせた。


 蛇はランジェ達三者には目もくれず、邪魔な分身だけを狙う。――おそらくだが、いままでこの黒刃の群れは目隠しをしたような状態でランジェ達を狙っていたのだろう。


 だが今は違う。あの赤い、血の色のような眼球を開いたことで、あの黒刃たちは対象を目視してから切りかかるということが可能となるのだ。


 今までとはまるで別モノだ。しかし、今はそんな戦術的な面にまで思考を及ばせることが出来なかった。


 そもそも、は何なのだ? 先ほどからの黒刃もそうだが、これは仙術……というよりも、そもそも仙の所業とは思われない。なにか、もっと別の……邪悪で、禍々しい……。


「おれがやる」


 そこで、マカが静かに言った。


「マカ!?」


「向こうも、みてぇだしな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る