第26話 第一の試練(1)邂逅


 道は万里にも及ぶがごとく、続いていた。


 白い石材を積んで作られた一本道はまるで巨大な白蛇のように黒い山肌を蛇行しながらどこまでも続いている。


 それは古めかしい、そして寂しい景観だった。道のりには枯草の影すらなく、生命の痕跡は絶無であった。この命の絶えた石道にいったいどれほどの乾いた年月が降り積もっているのか、ランジェには検討も付かなかった。


 マカとランジェの二人は、まるで空中楼閣とでも呼ぶべきその道を、ひたすらに進んでいく。けぶる様な乳色のもやに包まれた道のりには、ひたすらに果てがないように思われた。


 無論、たとえ万里の道といえども、ただ長いだけでは仙の歩みを阻む理由にはなりえない。


 しかし、ランジェは自分の胸中が暗鬱に落ち込んでいくのを自覚していた。


 物言わぬ古びた石材は巨大な獣の骨を想わせるアイボリー色の光沢を年輪めいて湛えているばかりだ。


 美しくも気の滅入る様な景観が故であろうか? 彼女には無視できないいくつかの不安があった。文字通りタガが外れてしまったかもしれないマカの力もその一つではあったが、今はもっと差し迫った問題がある。


 今更ではあるが、マカが試験を受けるためには、何とかして試験官に半魔の受験を納得させなければならない。


 それ自体は容易なことだろう。最下層の官吏へ言伝を書いた様に、試験官へも下知げちを下せばよい。「家の名」を出して。


 だが、それが別の意味でよからぬ災禍を招きはしないか?


 今までは考えないようにしてきた懸念が、あまりに変化のない道程のせいで頭をもたげてくるのだ。


 がランジェが家の名を使うことを快く思うわけがない。当然何らかの干渉があるだろう。


 それは、いい。別に構わない。今までだってそうだったのだ。いまさら何かをされてもランジェ自身は何も感じない。――だが、もしもそれにマカを巻き込むことになったとしたら……。


「……」


 もしそうなったら話は別だ。マカを傷つけたくない。ランジェは自分が傷つくよりもそれが恐ろしかった。


「ランジェ。どした? だいじょぶか?」


 先に進むマカを見つめながら、無言で進み続けていたランジェは振り返ったマカの声にハッとして我に返った。


「……なんでも、ない。うん。なんでもないの。ただ……」


『私、そんな顔してたのかな? この期に及んでマカに心配までさせるなんて……』


「ただ、改めて、さ。――マカの頭って、おっきいなって」


「んお? おう! 足もでっけぇぞ!」


 ランジェがマカの鉄兜のような頭をさすりつつ、ごまかすように笑うと、マカも満面の笑みで答えた。


 上機嫌なマカには不安よりも見たことのない場所へ行くのだという好奇心のほうが強いらしい。そうだ。自分は何をくよくよと思案しているのだろうか。


 いよいよ念願の試験なのだ。それを実体のない懸念に縛られて思い悩むなど愚の骨頂。 


 今は目の前のことにこそ、集中しよう。


「そうだね。そうだよね! ――――って、ちょと待ってッ!?」


「んおぉ?!」


 そこで、笑い合いながら進んでいた二人の前に死角から飛び出してくる人影があった。


 相当な勢いで飛び出してきたため、ランジェはとっさにマカを押しのける。


「んぶぅ!?」


 その相手はランジェの胸に頭から突っ込んできた。しかし彼女の胸が豊満過ぎたのか、その男はぱんッっと跳ね返され仰け反りかえった。


「ちょっと、あなたどこから……」


「あわわ……は、はて? これはなんだろうか? なんとも柔らかく弾力のある……素晴らしく感触の良いものだが……」


 それは線の細い優男だった。男は目が悪いのか、目の間にあるものが何かわからなかったようで手を伸ばしてそれをまさぐっていたが……。


「コラ!」


 優男はランジェに突っぱねられて、初めてそれが生身の女人であると悟ったらしい。


「あ、あひぃぃ!? すすすすみません! あまりにもすばらしいものだったのでついいいい! う、訴えるのだけは勘弁を! 我が家はそれこそ吹けば飛ぶような」


 優男は飛びのいて、悲鳴交じりに土下座した。そしてそのまま地にもぐらんばかりに頭をこすりつける。


「別にわざとじゃないなら訴えたりはしないけど……というか、あなた今どから……」


 少々過剰な優男の態度に困惑しつつ、ランジェは誰何しようとする。しかし、


「おお、なんかすげぇいいよな! ランジェのお」


 スパーン! 脇からマカが目を輝かせてのたまおうとしたので、ランジェは勢いマカの頭をひっぱたいた。


「マカも! 余計なこと言わないで!」


「んおぉ……? な、なんでだよぉ? おれ、ランジェのことほめようと思って……」


「それは……だからほめてるんじゃなくて……もっとっと慎みを持ってくれないと私が困るって言ってるじゃない!」


「ランジェは毎回それ言うけど、よくわからねぇんだ。あんま説明もしてくれねぇし……」


「だから、慎みっていうのは、その……」


 ランジェは首をかしげるマカに四苦八苦しながら説明するが、どうにも表現が歪曲的過ぎて真意が伝わらないらしい。


「き、君たちは」


 そこでハハハ……という今にも消えそうなはかなげな笑いが響いた。先ほど胸反むねぱんした優男である。


「君たちは、つまりそういう……ああ、そうなのか。わかっていたよ。短い夢だった。美しい人よ……」


「そういう、ってなんだ?」


 岩壁にへたり込んでいる優男の言葉にマカは首を傾げた。


「訴えないって言っただけじゃないの。へんな夢見てんじゃないわよ。あと、私たちそういうんじゃないから!」


「そういうってなんだ?」


 その優男を容赦なく喝破するランジェの言葉にも、マカは首をかしげる。


「ハハハ……はて? ところでキミはまた妙な格好をしているな? キミたちも受験生じゃないのかい?」


「んや。おれは生まれつきこうなんだ」


「ええ!? じゃ、じゃあ君は半魔じゃないか! ……ひ、ひええええ!? ああ、もうだめだ! き、気絶しそうだ!」


「別になんもしねぇよ! それより、お前、ケガしてるじゃねぇか」


 言葉通り今にも気絶しそうなこの優男は、確かに負傷していた。


 決して重篤なものではないのが見て取れるが、しかし箇所が多い。それも身体のあちこちから出血している。


 どうやったらこんな傷が……。


「ねぇ、ほんとに何があったのよ? しかもあなた、この壁面からいきなり飛び出してきたわよね? 一本道なのに……」


「い、一本道? 何を言ってるんだ? 君たちのほうがいきなり現れたんじゃないか。それに――そうだ。襲ってくるんだ」


 言うや否や、優男はガタガタと震えだした。

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