第12話 八卦炉と奇襲
おそらく、この部屋そのものが、あらかじめその構造物のために設えられたものなのだということがわかる。
それもある意味当然だ。その構造体は、極大の炎を内包し氣を持って練り上げる仙たる者の利器。その代表格ともいえる代物である。
「
ランジェは思わず感嘆の声上げた。
上澄み――仙崖郷の上層と呼ばれる場所に住む仙たちの中にも、これほどのものを所有できる者は数えるほどだろう。
それ以外にも、無数の専門的な道具に、数えきれないほどの書物まで。
それは卓越し、広大な知識と技術とを持ち合わせる賢人の住み家であった。村人がある種の畏れをもってここを遠ざけていたのも納得できる。
これは間違いなく高名な仙の居城の一角だ。むしろ……それの一部。必要な部分だけを持ってそのままこの場所に転移させてきたかのような。
いかに高名な仙とはいえ、そんなことが可能なのだろうか? しかしこの設備、そして天然の山間にねじ込まれたかのような屋敷の威容が、それを肯定してくる。
「……そっか。マカのお母さんは仙鬼だったんだもんね。お祖父さんがその道に通じた人だったとしてもおかしくはないんだ……」
ランジェはさらに工房から地続きの書斎に通され(入るときに思わず礼を取ってしまったほどだ)雅な書物や書付けを手につぶやいた。
書物の量は膨大であり、何よりも驚かされるのはその質の高さである。
古書に歴史書、専門書、丹薬の精製の仕方だけでなくあらゆる仙法・勁力の理合・遁甲幻惑の術についての知識が雅な香の薫る飾り紙に、達筆、かつ難解にしてしかし美しい言葉遣いで書き込まれている。
「すごい……専門書のはずがまるで詩集みたい! 一見しただけだと矛盾してるみたいな言い回しが多いけど……これって多分あえて読み解きにくいように暗号化してあるのよね!」
私、こういうの好きよ。――とランジェは喜悦を交えて振り向くが、マカはその後ろで所在無げにしている。
「マカ?」
「あー。おれ、字読めねぇんだ。祖父ちゃんは遊んでくれたりはしたけど、
ランジェは息をのみ、そして恥じ入るように目を伏せた。――ああ、自分は何を無邪気にはしゃいでいたのだろう。
「……ごめん。先に挨拶しなきゃだったね。お祖父さんの……お墓はどこに?」
「ああ、奥にある。祖父ちゃんに言われた通り、岩を掘ったんだおれ」
岩殿の奥に向かいながら、ランジェは悔いた。
マカの祖父はマカ自身を人から遠ざけるために、読み書きを教えなかったのだ。だというのに、自分は……。
巨大な岩戸で蓋をされていた霊廟は小さく、そして簡潔な代物だった。
しかし丁寧にくりぬかれた石壁と石棺が、これを祀った者の念を表しているようだった。
これをマカは一人で、――たった一人でやったのだ。ああ、どうして私はその場にいてあげられなかったのだろう? ランジェは取り留めもなく、ただ、何も言わずに身を震わせた。
『ごめんなさい。
一緒に拝礼しながら。ランジェはマカを見る。
マカは、礼を取った後もじっとそこに座り込み、動こうとしなかった。
「……ランジェ。おれ、祖父ちゃんの部屋だと退屈だからさ、ここ、居てもいいか」
「うん」
ランジェは踵を返しながら、胸を掻きむしりたい思いに駆られて身を折った。
『マカのバカ! 意地っ張り!! なにが、家がなくても平気、よ。あんたずっと――ここに来たかったんじゃないの!!』
懊悩するランジェが書斎ではなく、屋敷の外へ出戻ると、そこには村落の人々が屋敷の前を取り囲んでいた。
「……みんな、どうしたの?」
しかしランジェはそこで当惑の声を漏らした。ランジェを見る人々の顔に浮かんでいたのは新しい生活への決意でもなく、かといってランジェへの拒絶でもなかったのだ。
そこに在ったのは、「怯え」だ。そして恐怖と、罪悪感にも似た緊張。
そろって脂汗を流しながら直立する様は――まるで罪人ではないか。
「――!!」
とっさに横っ飛びに跳んだが、遅かった。
左右の死角からあびせ掛けられた網が、彼女の自由を奪っていた!
「バヒ! バヒヒヒィ! 大漁大漁。獲物は貴族のお嬢様ってなぁ!」
キバイノシシのような下卑た笑いが山間に
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