第18話 告白(2)


「へーてー? ……ってなんだ?」


「んー。悪い奴らを一掃するってこと。それから困ってる人もいないようにするわ。誰も不幸な人がいなくなれば、悪いことする必要もなくなるでしょ?」


 しばしフリーズしたように息を呑んだあとで、マカは盛大に息を吐き洩らした。


「ラ、ランジェはすげえこと考えんな……」


「んふっ。――おほん。まずは八卦炉を使ってこの村を薬師の村にする! それからそれを産業として定着させて、生活を豊かにする! 邪魔してきそうな周囲のいるごろつきを一人残らず叩きのめす! あの三人組にも手伝ってもらいましょ」


 いろいろ知ってるみたいだしね。とランジェは意気揚々と続ける。――マカはいちいち「うん」「うん」と、目を輝かせながら相槌を打っていたが、しかし何かに気づいた様に表情を曇らせた。


「けどさ、ランジェ。街はどうすんだ? あの街の連中は、けっこう、ひどいことするんだ。おれ、何回か一番偉い奴っていうのをやっつけたんだけどさ。その度に別のやつが来て、またひどいことするんだ」


 まぁ、役人というのはそういうものである。たしかにごろつきと違ってやっつければそれで良しとはならないだろう。


「それについても大丈夫。私が言伝てを書くから。そしたら悪いことなんてできなくなるわよ」


「ことづて? ってなんだ?」


「手紙。〝悪いことをせず、善政を敷きなさい。さすればそなたには栄転が約束されるであろう〟ってね」


 ランジェは手紙のジェスチャーしながら、演説めいた素振りを交えて言った。


「ランジェ……姫じゃなくて、王様かなんかだったのか!? それとも神様か?」


 今回ばかりは、マカの驚きはまっとうなものだ。場末とはいえそんな言伝一つで正規の役人を黙らせられるというのは仙崖郷でも普通のことではない。


「違うの……。マカ、私が話したかったのは、そのことなのよ」


 すると、ランジェは力なく膝を抱いた。そして語尾をわずかに震わせる。


「そのこと? って、えーっと、なんだ? やっぱ王様……」


「マカ、私はね。……仙崖郷の最上層。つまり、一番上から来たの」


「一番……上? ってことはやっぱ姫なんじゃねーか!」


 なーんだ。やっぱランジェはすげぇな! と。マカは無邪気に笑顔を見せる。しかしランジェは、どこか色あせたような表情を返すばかりだ。


「その辺、ちょっとめんどくさくてね。……私はその一番上の家の子供じゃないのよ。そこにお仕えしてた使なの」


「なんだそれ?」


 すると、ランジェは己を落ち着かせるようにして、少しずつ、少しづつ語り始めた。初めてマカにあってから今の今まで、胸に秘めてきた己の来歴――否、その恥部を。

 

 かつて最上層の家、つまりこの仙崖郷でも最も高貴な家にお仕えしていた召使の一人が、何を血迷ったか、生まれたばかりの自分の子供を主にもとにおいて姿を消してしまったのだ。


 つまりはランジェは捨て子だということになる。普通ならその赤子を孤児院にでも預けて終わりにするところだろうが、それを見た当主は――なんとこの赤子を見て大感激してしまい、それを自分の娘として育てると言い出したのだという。


 おりしも、その家には年の変わらない赤子がいたため、二人はまるで姉妹のように育てられることになった。


 それがランジェの生涯に影を落とす、歪みの始まりだとは考えもせぬまま。


「なんでだよ? そいつ、スゲーいい奴じゃん」


 マカの率直な反応にランジェはどこか泣きそうな笑顔で応じる。


「……なんていうかね。最上層に住んでる人って、してる人が多いのよ。生きることの労苦を知らずに、ずっと無邪気で、子供みたいっていうか……」


 そこでランジェは愚痴めいた言葉を切ってかぶりを振った。


「……ううん。いい人達なのはほんと。よくしてもらったし。ほんとの家族だと、私も思ってる。〝家の名まえを好きに使いなさい〟なんて言ってくれたから、言伝てこんなことが出来るんだしね。……けど」


 けれど、そうでない人々――周囲の家人、家来たちにとってはそうではなかった。


 ランジェは一変、砂利じゃりみたいに無機質な語調で語る。彼らにとって、ランジェの存在はありうべからざるもの、でしかなかったのだと。


「ことあるごとに言われたの。家令……えっと、召使いの偉い人ね? とかにね。『お前は違うのだ。勘違いをするな』ってね。私を家族だと思ってくれたのは御屋敷のご主人とその家族だけで、その周りの人たちは、私のことを『あるじの一人』だとは絶対に認めなかった」


「なんでだよ!? なんでそんな……」


 言葉を知らぬマカは声に詰まる。ランジェは困ったように、子供を安堵させようとするように微笑んでから続けた。


「だって、ほかの召使いまでおんなじことしたら困るじゃない? みんながみんな、自分の子供を偉い人に預けるようになっちゃうわ」


 そう言われると、マカは押し黙った。


 そう、ランジェはつまりでいなければならなかったのだ。これまでも、この先も。そしてことあるごとに、そのことを指摘された。


 最上層はすなわち、仙崖郷にあって誰もが憧れる桃源の園である。そこに、まんまと入り込んだ卑しい血。


 それを唾棄すべきものと見なす視線。薄ら暗い、そして煮えたぎるような湿った嫉妬の入り混じる憎悪。


 それを意識しないで生きていくことなど、ランジェには出来なかった。


「だから、私は仙鬼になりたいの。不遜かもしれないけど……私には仙崖郷の上澄みは息苦しい」


 はぁ……とランジェは熱く、重い息を吐いた。ずっと降ろしたいと思っていた荷を手放したかのような心持ちだった。


「けど、けどさ、ランジェ! けど……そん、んーっ」


 押し黙ったランジェを前に、マカは何かを言おうとして取りやめ、納得がいかないように押し黙った。


 必死に言葉を選ぶようにして。――ランジェのために、何とか優しい言葉を探そうとして――マカはたまに黙ることがある。それがうれしかった。


 ランジェはそれを見つめ、それからにこりと笑ってそれに先んじる。


「――でもね。それだけじゃない! それで私は奮い立った!」


 ランジェは言って、火のついた様に立ち上がる。宝石のような双瞳をきらめかせ暗く澄んだ天空へ、さらにその先へ手を伸ばす。


「それなら仙鬼になって、自分の力で、誰にも与えられていないもので、身を立ててやる! って。だから私は仙鬼になるって決めたのよ。仙鬼の世界は実力主義。身分も関係なく昇進できるんだから!」


 ランジェは自分に言い聞かせるようにそう言った。その道程が綺麗なだけじゃないことはわかっている。それでも、今は高き星の光を見上げていたかった。


「ランジェ……」


 マカは座ったまま、しばしの間天空を見上げるランジェを呆けたように見つめていた。そして、


「――なれる!」


 ランジェに倣うようにマカも立ち上がり、不釣り合いに巨大な右手を空へ向ける。まるで星をつかみ取ろうとするかのように。 


「なれるさ! だって、ランジェはこんなにすげぇじゃねえか! おれには難しいことはよくわかんねぇけど、わかる! ランジェは、絶対、仙鬼になれる!!」


 ランジェはマカを見つめ、はにかんだ。二人の視線は真正面からぶつかり合い、夜の星空にも勝る火花が舞い上がった。


「なろう、マカ! 二人で仙鬼になろう!!」


「おう!」


 二人はもう一度星を見上げ、二人で競い合いように手を伸ばした。まるで星をつかみ取ろうとするかのように。

 

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