第17話 告白(1)
「……」
髭面男は押し黙った。
「私は……私は別に、そういうのがあるのも、知ってる。別に驚かない! 失望も……しない。けど、マカには言わないで」
だって、仙鬼はみなの憧れなのだから。
〝現実〟が思っていたようなものと違うことがあることくらい。自分にだってわかる。
裏切られたことだって一度や二度じゃない。貴族の家に育ったからと言ってそれは変わらない。それに――
「へッ! アラカンがそんなに大事かよ。――お熱いねぇ? ゲテモノ趣味――ンバヒィ!?」
「そういうのじゃないわよ! 下世話! それに、そもそも私は貴族じゃない。あんたたちの事情は分かったけど、だからって悪行が許される道理はないわよね?」
「はひぃ!?」
「お、おっしゃるとおりで……」
踏みにじられる頭目を横目に手下たちは戦意を失っている。
「……もういいわ。しばらくそこに転がってなさいよ」
言い捨て、ランジェは踵を返した。
「バヒィ……き、貴族じゃねぇ……だと?」
髭面の頭目は不可解そうに眉を潜めた。
「マカ、……
夜になって、小高い岩山の上に居たマカにランジェは声をかけた。
「んや。でもなんか、こういう時は見ちゃうんだよな」
空には煌々と地を見下ろす月が昇っていた。
仙崖郷の月はその軌道と月齢を不規則に変転させ、時としてまるで意志でも持っているかのように巨大に光り輝く。
今宵の月光は一層妖しく
「それでいいのよ。月光は仙の力の源だから」
「そうなんか?」
その美貌を月の光に妖しく輝かせながら、ランジェはマカの隣に腰を下ろした。常よりも愁いを帯びる横顔はこの世の者とは思えぬほどの妖艶な美を湛えている。
「私も、今夜はここがいい。ほんとは一糸まとわぬ、が正しいんだけど……その、
もごもごと言いながらランジェは蓮座した。
するとその姿はまさしく翡翠から削り出された蓮華の花のごとく花開いた。しばしの間、両者はそのまま無言で月を見上げ、満身に妖しい光を浴びた。
「ランジェ、なんかあったのか? まだ怒ってるか? おれが網でギュっとするかって、言ったの」
ふいに、月が雲にかげるように、マカが言葉を発した。
「そんなんじゃないの。――いや、怒ってないわけじゃないけど、今はそんなのどうでもいい」
そして言葉を切り、また何かを言おうとして、また口を噤んで……そしてようやく、切り出した。
「私ね、マカに言っておかなきゃならないことがあったの」
「……おれも、あいつらのこと、ランジェに言わなきゃって思ってた」
マカも恐る恐る、遠慮がちにつぶやいた。
「じゃあ、どっちから言う?」
ランジェは少しだけ微笑んだ。マカもニカっと笑顔を浮かべる。
「おれ!」
笑顔を交した後で二人はもう一度、滴るような真円形の月を見上げた。
「んー、おれさ。実は一回つかまっちゃったことあるんだよな」
「街の
「うん」
ランジェは首をひねった。龍を捕縛する
「おれさ、その時ちょっとうれしかったんだ。檻の中からだったけど、みんなと話ができたし。おれでもさ、街にいていいのかなって思って」
「マカ……」
「うん。でもやっぱそれって悪いことだったんだよな。おれは気にしなかったけど、他の檻に入れられてたやつらはみんな悲しそうにして、泣いてたりして。おれ、どうしていいのかわかんなくてさ」
「……それで? あの三人組とはどうしたの?」
「あいつらも檻の中に居たんだ。隣でさ。最初はおれのこと見ようともしなかったけど、そのうちしゃべるようになったんだ。あいつ、声でっけぇだろ? 声がめっちゃ響いてさ」
「……そうだね」
「そんでさ……そんで、……」
思い出すように笑ったマカにランジェも薄く、どこか悲し気に微笑んだ。そしてマカが言葉を探すのを待った。
「あいつら、役人に逆らったから牢屋に入れられたって言ってた。良いことをしたのにってさ。だからおれ、牢屋から出してやったんだ。そん時一緒に行こうって言われてさ。――おれ、嬉しくてさ」
そこで、またマカは言葉を切った。ランジェは何も言わず、マカが言葉をつづけるのを待った。
「最初はさ、あいつらも〝アラカン〟だったんだ。みんなで〝いいこと〟をしてたんだ。あいつら、仙鬼のこともいろいろ知っててさ。いっぱい話したんだ。祖父ちゃんが死んでから、あんなに話したの、おれ、初めてだった。……けど」
「……〝良いこと〟はいつまでも続かなかった?」
ランジェが言うと、マカはランジェを見た。黄金の目玉で。「やっぱランジェはすげぇな」そう言って、しかしいつもとは違い、力なく笑って。
「あいつ、〝これはいいことなんだ〟って言ってたんだ。けどそのうちにさ、人を殴ったり、ひどいことばっかりするようになってさ。おれ、祖父ちゃんに誰かを殴っちゃだめだって言われてたから、嫌だって言ったんだ。そしたら怒られてさ」
「それで、ケンカ別れ?」
「うん。……そしたらもうついてくるなって言われて、それっきりだ。〝どうせおれたちは仙鬼になんてなれない〟って。〝仙鬼の真似なんかしてもつらいだけだ〟って」
「そう……」
「それに〝仙鬼の話なんかするな〟ってさ。おれ、なんか悲しくてさ。祖父ちゃんが死んだときみたいに、なんか……スゲェ……悲しくて」
マカの目玉から金色の涙がこぼれた。マカはすかさずそれをぬぐい、鼻をすする。
ランジェが鼻を拭いてあげようとすると、マカはそれを突っぱねた。
「いい! おれ、泣いてねぇから! そういうのは!」
「なんでよ?」
「お……男は涙を人に見せないって、祖父ちゃんに言われた! だからおれは泣かないんだ!」
「けど、別にいいじゃないの。それにマカ、私が泣くのも見たじゃないの」
するとマカは困ったように巨大な両手をもじもじとさ迷わせる。
「けど……」
「私だって、人に泣くのを見せたのなんて初めてだったわ? それをマカは見たのよ?」
「ランジェだってあんときは泣いてねぇって」
「いいえ泣いてたわ。マカに泣かされたの」
「ええ? それは……そのォ」
つんと唇を尖らせて意地悪でもするようにいうと、マカは真に受けてしまったかのようで、頭を抱えてしまった。
「……だから、泣くのはいいわよ。私の前では泣いていい。私の前では遠慮しないで」
「ランジェ……」
「それより、……あいつら、仙鬼についてはなんて言ってたの? 悪い奴らだとか、卑怯な奴らもいるとか」
すると、マカはまた大きな両手を振り乱して憤る。
「そんな事ねえよ! 仙鬼がどんだけスゲェのかって、いつもいろいろ話してくれたぞ! ……最後はそんな話すんなって言われたけど」
「そうなのね……」
――言わなかったんだ、あいつら。
どれだけ生活が荒れても、マカには仙鬼の薄ら暗い部分については語らなかったのだ。マカを助けたいというあの時の言葉は、半分は本音だったのかもしれない。
ランジェが酷薄な官吏たちと同じ、卑劣な貴族に違いないと思っていたのかもしれない。本当はこれを機にマカとの関係を修復したいと思っていたのかもしれない。
――本当のところはわからない。けれど、あのごろつき連中にも、ランジェが一口には切り捨てられないような葛藤と変遷があったのは確かだ。
そして、結果がどうであれ、彼らはマカの憧れを守ってくれた。それは事実なのだ。
「わかった。決めたわ」
――だから、仕方がない。本当なら追い出してそれでよしとするところだが、そうもいかなくなった。
「何をだ?」
急に背筋を正したランジェに、マカはまた不思議そうな顔をする。
「この村をどうにかするんじゃなくて、上の街も何もかも全部。つまり、この最下層、ぜーんぶ平定しちゃいましょ。悪い奴らも、悪い官吏もまとめてね」
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