第15話 秘技「第四の猿」


「ま……まだだ! やるぞ!」


「「応!」」


 背後をぽかんとしたままのマカ、さらには前方を憤激するランジェに阻まれて窮極まった三人のならず者たちは、しかし突如として腰を落とし、奇妙な構えを取った。

 

「秘儀! 『第四の猿』! 喝啊ハッ!! ――見猿みざる!」


 やおら目隠しのようなしぐさをする髭面に続き、今度は手下の一人が耳を塞ぐようなしぐさで続ける。


喝啊ハッ!! ――聞か猿きかざる!」


 衆目が何事かとそろって目を瞬く間に、三人目が口をふさぐようなしぐさをしながらもごもごと唱える。


喝啊ハッ!! ――言わ猿いわざる! からの~」


 と今度は三者がそろいのしぐさシンクロナイズドで、自分の指先を自分に向けるようなポーズを取る。


「「「喝啊ハッーっ!! 触れ得猿ふれえざる!!!」」」


 すると三者の姿は徐々に半透明に薄れていき、もはや目視もままならぬほど希薄になってしまった。


「――これは、遁甲とんこうの技!?」


 ランジェが驚愕の声を上げた。


「バヒヒヒィ! 見たか! これぞ秘境「青蓮洞ブルー・アブドメン」は猿猴王様より授かった絶技よ!」


「もはや何人も我らに触れること叶わぬ!」


「奥の手だよね。ねぇ今どんな気持ち?」 

  

 それぞれに悠々と放言した後、三者は再び駆け出した。しかも今度は村の出口を目指すことさえしない!


 それぞれが別方向へ、しかもまるで重さがないかのように軽やかに、しかも邪魔な岸壁をすり抜けるようにして駆けていくのだ。


「これじゃ……ッ!」


 ランジェは一瞬考え込んだせいで動くのが遅れた。ばらばらに逃げられたのでは捕り逃がしてしまう。


 しかし、今はどいつか一人でも捕まえないと……。

 

 「ぎゃひ!」――という悲鳴が遠くから聞こえたかと思ったのはそんな、ランジェがようやく動き出そうと、駆け出そうとしたその時だった。


 音のした方をうかがうと、今度は反対側から「あひんッ!」という哀れを誘う様な悲鳴が轟いた。 


 

 何が何やらというまま振り返ると、マカはすでに両手に男たちを抱えてランジェのすぐ脇にだった。


「ごめんな、ランジェ? こいつら……そんな悪い奴らじゃねぇんだ」


「マカ……」


「ち、ちくしょう……アラカンめ」


 最後に一人残された頭目の男はヒゲ面に苦渋を滲ませながらも、再び何事かの構えを取る。


「まだだ! 『遁甲の八――土遁どとん石立林せきりつりん』!」


 男はその場に屈みこみ、岩場に己の両掌を叩きつけた。すると、足元の岩場にジグザグ模様に切れ込みが奔り、畳ほどの大きさの岩板が無数に立ち上がる。


 障害物を作り出す基礎的な遁甲の技だ。これと先ほどの隠遁術の合わせ技で逃げおおせるつもりか!


「――チッ!」


 迷っている場合ではない。ランジェは林立する石畳の群れの一足飛びに近づき、その石畳の上から連続で掌底を繰り出した。


 斗々々トトト――トンッ。それは石畳を破壊することもない軽い掌打程度のものだった。


 しかし次の瞬間、その石壁の向こうからは「バヒィン!?」という悲鳴と何かが石壁にぶつかり、ドミノ倒しよろしく転げまわる様な音が聞こえてきた。


「まったく……」


 ランジェはとりあえず一息つく。とにかく、これ以上何かされてはたまったものではない。


「マカ……なんでこいつ等が見えたの? それに、〝第四の猿あのわざ〟は実体を希薄化させる遁甲術よ? 結構すごい技なのに」


「そうなんか? ランジェだってなんかやったじゃねえか。おれは普通に見えたし、普通につかめたぞ?」


 ランジェはマカが突き出してきた真っ黒な両手を見つめた。心なしか昨夜よりもその形状が凶悪に角ばっているように見える。まるで巨大なカニか何かの足のようだ。


「私のは術よ。「刺し氣の術」っていうんだけど。マカには必要ないみたいね。……ほんとに特別性なのね。あんたの身体って」


「そっか? あ、そうだ。それよりランジェ、またこれ着けるか?」


 と、マカは(なぜか笑顔で)破れていない方の血蚕の網を手にしてランジェに差し出してくる。


「つ――着けないわよ! 何言ってるの!?」


「なんだ、着けねぇのか……」


「な・ん・で、ちょっと残念そうなのよ!? ていうかマカ、そこ座って! 話あるから!」


「な、なんだよ……」


 一転、ランジェの鬼気迫る様子に押されるようにして、マカは正座を余儀なくされた。


「えーっと……まずね? 人が苦しがってるのに、綺麗だとか言っちゃダメでしょ? 分かる?」


「ランジェ、好きでやってたんじゃねぇのか? けどさ、さっきの――なんかランジェが、こう、いつもより、すごく……」


「誰があんなこと好きでやるのよ!? もういいから、さっきのは忘れて! いい? 二度とそういうこと言わないように! いい?」


「なんでだ? ほんとにおれはきれいだって」


「あぅ――ッ。だ、だだ、か、ら! そういうのを口に出すのは慎みが」


「ちょ、ちょっと、あんたら!」


 顔を真っ赤にするランジェの脇から声をかけてきたのは、騒ぎを遠巻きに見ていたこの村の村民たちである。


「ああ、マカを呼んできてくれてありがとうね。腹が立つけど私だけじゃ」


「それより――何をいつまでも言い合っとるんだ!? あいつが逃げてしまうぞ!」


 見れば、ランジェにやられて石片の中に埋もれていたヒゲ面の男がそこからはい出し、よたよたとした足取りで駆け出しているのだ。すさまじい執念である。


 その姿を見据えたランジェだったが、彼女は冷静だった。


 取り乱すこともなく、足元に転がされた手下たちを頭目のヒゲ面にしたのと同じように掌底を見舞った。


「――チッ!」


 そしてため息交じりに応える。


「あなた達こそ、こんな輩にいいようにされちゃだめよ。――それにあいつのことなら大丈夫」


 そこで、一目散に逃げていたはずの男の身体が、何かに束縛されたかのように硬直し、わなわなと地に座り込んでしまった。


施術せじゅつは終わってるからね――っていうか、私にあんな真似しといて、ただで逃げられると思ってるのがむしろしゃくよね?」


 目を丸くする村人たちにそう言って、ランジェは壮絶に微笑んだ。

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