第10話 どんな気持ち?


 次の日、日が昇るのを待ってランジェとマカは最下層のさらに下にある集落に向かった。


 そして彼女らを見つけて唖然とする人々を一顧だにせず、ランジェはズカズカと谷相の、決して広くはない領域へ入り込んでいく。


 部外者――それも見るからに高貴な仙である少女の出現に、村民たちは驚き、一目散に各々のの中へと逃げ込んでしまった。


「ランジェ……」


 一方、共に来たはずのマカは村の中へは入らず、入り口の辺りに身を隠している。


「ねぇ。今、どんな気持ちなの? ――誰かの温情でのって!」


 背後からのマカの言葉を取り合うこともなく、ランジェは尊大に胸を張り、開口一番にそんなことを、まるで吠え猛るかのような声量で言い放った。


 よく響く声は明瞭で美しかったが、そこには抜身の刃のような剣呑な響きが添えられていた。


 応答はない。背後ではマカがか細い声でランジェを呼び止めようとするが、ランジェは一向に取り合おうとせず、続ける。


「恥ずかしくない? あなたたちは全部解ってる。解った上で、それを看過してる。甘えてるんだよね? アラカンが――マカが、必死になってこの村を守ってくれてるのを、あなたたちは全部解った上で、それを知らないみたいな顔してる。――ねぇ、それって恥ずかしくないの?」


「な――に、言うんだよ。ランジェ、ひでぇことはしねぇって言ったじゃねぇか!」


 思わず自分の脇まで飛び出してきたマカを、ランジェは一瞥した。


 しかしその表情は硬く、まるで美の根源だけを残酷に削り出した石像のようにも見えた。マカはそれ以上何も言えず、おびえたように首をすくめる。


「仕方がない――って、自分をごまかしてない? いつまでこんなのが続くと思ってる? 仕方がない。どうしようもない。そういって何かをやり過ごそうとしてるの? それは、卑怯者のやることよ!」 


 野放図に方言し続けるランジェの声に、その時、引きつるような、あるいはえづくような微かな応答があった。


「あ――あんたみたいなお人に、何が、……何がわかると……ッ」


 その声に「やめろッ」「バカなことを!」という、こちらもせき込むような叱咤の声が掛かる。


「バカなことじゃないわ。口があるなら答えなさい。声が声があるなら応じなさない。足があるなら自分で立ちなさい! それが人よ。そうして自らの足によって立つ者を、自らの力で己を活かそうとする者をこそ、人は〝我〟と呼ぶのよ! 私が何者かわからないから黙ってるの? 相手の身分を、相手の顔色をうかがって態度を変えるの? あなたたちは奴隷か何かなの?」


 先に声を返した男が、あばら家の中から顔を出した。


 緊張から高揚か、ぶるぶると震えているその顔にはボロ布が巻き付けられている。今巻いたのではない。自らの〝衰〟や〝病〟そして〝老〟を恥じて顔を隠しているのだ。


 仙の住まうこの地において、定命の者モータルのごとく病や老いによって五体を損なうことを、人々は何よりも恐れ、恥じているのだ。


 この人々はそのような理由で、元居た集落を追われ、誰もいない荒野に逃げ延びてきた人々なのだ。


 ランジェは一度、すぅ、と大きく息を吸った。


「あなた方に多くは問わない。今は語るまい。ただ、ともがらよ、我をこそ人と思うならば答えてほしい。――あなた達は、〝己に誇れる己でありたい〟とは思わないのかッ?」

 

 ランジェは初めて目の当たりにするその風貌に内心で怖気を感じた。彼女とはまさしく真逆の境遇にある人々なのだ。当然交流の経験などあるはずもない。


 しかし、今はそれを顔に出すわけにはいかない。

 

「思うさ――思うとも! だが、どうしろというんだ!? 貴族の仙女様よ――好きでこんなところにいると思うのか!? みな家を、村を追い出されて、追い立てられて、どこへも行けずにこんなところまで……こんなワシらに、どうしろというんだ!?」


 次第に表に出てくる人の数は増え、ぼろきれを巻いた、あるいは覆面のようにかぶった、垢と誇りにまみれた人々がランジェを遠巻きに取り囲むようにして、対峙する。


「私が聞いてるのは、現状を変える気があるのかどうかってことよ。どうなの? やる気はある? 行動する気は? もしもあるなら――が力を貸すわ」


 私たち、という言葉を聞いて、一同はランジェの細い身体に身を隠そうとして隠せていないマカを見る。


「なんで……なんであんたみたいなお人が、仙の娘様がそんなことをなさる?」


「私は――『仙鬼』になる!!」


 ランジェの声はピィン――と冷えた早朝の空気を弾くようにして、その場にいた者たちを打ち、そして木霊交じりに谷間へ響き渡った。


「絶対になるわ! そして、この子も、アラカンも一緒に連れていく! 一緒に仙鬼になるのよ!」


 ランジェはこの村に入り込んで以来、初めて感情のこもる視線をマカへと向けた。 


 一方、村人はどよめき、おそらくは初めて明るい場所で直視するのであろうアラカン――マカを見つめ、口々に何かをつぶやいた。


 マカはおずおずとランジェの横へと進み出た。ランジェが励ますような笑顔とともに、それを後押しする。


「この子の名はマカ! あなた達、この子に恩を返したいとは思わない? 思うなら、どうか私の話を聞いてほしい。マカは仙鬼になりたがってる! 私と一緒なの! だから、送り出してやってほしい! この子がこの地を去ってしまった後でも、あなた達が生きていけるように、私が取り計らうから! みんながちゃんと生きていけるようにして見せるから!」


 そしてランジェは、村人が瞠目するのも構わず、桃の果肉色の髪をなびかせる勢いで、頭を下げた。


 仙がそうでない者へ取る礼としては、異例も異例だ。しかしランジェはその必要があるのだと感じていた。


「どうか、私に任せて!」


 自分は今、この人たちからマカを取り上げようとしているのだから。


「どうか!」

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