第9話 絶対、なれるから


 やたらと強いくせに、なんだか小さな子供みたい。と、ランジェは目を細めて猫のような笑みを浮かべながら上から見上げてくるマカを同じように見上げた。


 しかしそれは、揺れる灯影のせいであろうか。それは見るものを惑わす、いっそ小悪魔めいた魔性の微笑みを想わせた。


 自分を見上げてくる少年が、怖気けた風に喉を鳴らしたのに彼女は気づいただろうか?


「図星みたいね。あんただってなりたいんでしょ? 仙鬼に」


「お……おれもなれんのか? せ、仙鬼に!」


 マカは天井を後退りながら、同時に食い入るようにランジェを見据えてくる。


 すると、ランジェはぷい、と顔を背けてしまった。途端に彫像めいた白い頬が別人のように焔を受けて輝く。


「どうかしらね? ――ああ、そりゃあもちろん悪い人は成れないわよね? 仙鬼は人を助け、世を正す者なんだから」


 明後日のほうを見ながら、素知らぬ風に語るランジェに、マカは烈火のように反駁した。


「お、おれ! 別に悪いことしたいわけじゃねぇんだ!」


「あらそうなの? でも、街じゃあひどい言われようだったわよ? 曰く――ものを壊した!」


 ランジェは斜めにそっぽを向いたまま指を立てて指摘する。


「違う! お、おれ手伝おうとしたんだ! ……けど、そしたら、壊れちまって」


「曰く――夜道で人を脅かした?」


「違うって! おれのこと話してたから、思わず出てっちゃっただけで……」


「曰く――誰かからものをかっぱらった!」


「……下のみんなが、食い物がねぇって言ってたから……病気でさ。でもおれどうしていいのかわかんなくて…………」


 はぁ……と、ランジェはため息を吐いた。


「おれ……悪いことする気じゃなかったんだけど……上手くいかなくてさ。でも」


「そうね。ね、マカ。こっち来て」


 ランジェは言いながら、ぺたぺたと自分の隣を示唆した。


「……」


「いいから、来て。――ううん、来なさい!」


 語調を強めると、マカは力なく、ぺとりと天井から床に降りてきた。


 そしてもじもじしながら、恐る恐るランジェの横にくる。まだ、少しだけ距離を空けて。


 すると、今度はランジェのほうがマカに対して距離を詰めた。というよりも、密着したというべきか。


「……ツ!?」


「こぉら! 暴れない!」


 いきなりのことに声もないマカを差し置いてランジェは強引にその鉄兜みたいな大きな頭を抱きかかえた。


 冷たくはない――けれど、やはり生き物のそれとは言えない、悲しい手触り。


 だからか、余計にランジェはマカを強く抱きとめた。


「……とっても不器用なんだね、あんた。仕方のない子」


「あう……」


 突然のことに硬直していたマカだったが、押し付けられる柔らかな身体と体温に、揺りかごのような声と優しい匂いに、自然と力を抜いた。


「大丈夫よ。私は怒ってなんかいないし、あんたが悪いじゃないのもわかってる……」


 子供をあやすようにしてランジェは暫くそうしていた。


 少々慎みがない行いだったかもしれないが、そうせずにはいられなかった。まぁ相手は子供なようだし……それに、あまりにもおびえさせてしまったみたいだから。


 なにより、察する事情があまりにも酷薄だったから。


「けど仙鬼になるなら、もうそんなことしちゃだめよ? 特に盗みはダメ。どんな理由があっても……」


「だめだ! そんなのできねぇ……だって、おれ……」


 しかしマカは腕の中からすり抜け、またランジェから距離を取ってしまった。


 一瞬涙目になったその顔は、すぐに丸太のような両腕で隠されてしまった。そのまま卓上に突っ伏すみたいにしゃがみ込み、マカは絞り出すような声を出した。

 

「だって……おれ……ツ!」


「あの、下の村の人たちね?」


 ランジェが確信を込めた声で言うとマカは石みたいに縮こまったまま、ビクりと身体を震わせた。


「なんで……なんでそんなことまで分かんだ!?」


 恐る恐る顔を上げたマカに、ランジェは苦笑して見せる。

 

「だってわかりやすいんだもの。でも聞かせて? あの人たちを置いていけない理由」


 ランジェには大まかな事情というものが見えていた。マカはあの村落の人々を守っている。今夜だけでなく、ずっと守ってきたのだ。


 あそこにいるのは、おそらくなのだ。


 あれは住み家を追われた流浪の人々が作った集落に違いない。もしも彼らが余人に見つかってしまえば、この地をも追われることになるだろう。


「……前にも、上の街から人が来たことがあってさ。下のみんなが怯えてたから、おれ何とかしなきゃと思って、でもどうしていいのかわかんねぇから、追い返しちゃったんだよな」


 マカは観念するように説明し始めた。


「それも悪評の由来の一つなわけね?」


 腕自慢が返り討ち。なるほどそういう事情だったか。


 そういう事情で、期せずしてマカの存在はマカが守った集落の人々にの隠れ蓑となっていたのだ。


 この最奥の地には異形の落とし仔、悪名高き怪力無双の亜羅漢アラカンがいる。だから人々は近づかないし、この集落の人たちにも気付かない。


 だから、マカ自身もあの村に近づかないのだ。村の存在を隠し通すために。――あるいは村人の方でマカを遠ざけているのか。


「あの村の人たちこと、好き?」


 ランジェは身を正してマカに向き合った。


「好きっていうか……よくわかんねぇ。けどさ、たまに食い物とかクスリとかもってくとさ、スゲェ喜んでくれるんだ。あ、もうやんないけどな!」


 マカは忠犬めいて真剣そうな顔つきで言った。約束は絶対に守るとでもいいたげだ。 


「けどさ、あそこのやつらはいつも何かしら困ってんだ。だからおれなんかでも結構できることあってさ。そんでこの前なんか、みんなでまた来てくれよって。――へへっ。それでおれ、調子乗っちゃってさ。上の街にも行ってみたんだけど……」


 心底照れ臭そうに笑い、そして嬉しそうに目を輝かせるマカだったが、陽炎に揺らぐランジェの横顔は悲壮な影を帯びる。


 本当に、どれほどこの孤独な少年は不器用なのだろうか。


 そんなにもあの村落を守りながら、あの人たちに尽くしながら、見返りらしい見返りを求めてもいない。そんなことを思いつきもしないかのように――


「わかったわ」


「あー、うん。だろ? だからおれは仙鬼になれねぇ。そうだよな。そうでなくても」


「そうじゃない!」


 ランジェは強い視線をマカに向ける。マカはまた言葉を失って、その射るような視線に戸惑った様子をみせる。


「あんたがこの最下層から離れられないっていう理由は分かった。でもいつまでもそれじゃ駄目よ。あの人たちが、ちゃんと社会参加して生きていけるようにしないと!」


 どの道、村の現状は危ういものだ。誰かが気づいて騒ぎ立てればそれまでだし、官吏が本気で行動を起こせば、いくらマカが強くてもダメだ。あの人たちはここにいられないし、どうやっても不幸な末路が待っている。


「しゃかい……? よくわかんねえよ。どうするってんだ?」


「それを、明日考えるわ!」


 だから、何とかしなければならない。マカが仙鬼になれて、あの人たちも、自分の力でまっとうに生きていけるように。


 ランジェが何とかしなければいけない。


 強い使命感が、ランジェのか細い身体に満ちていた。


 なぜ自分が、こんなにもやる気になっているのかわからない。罪滅ぼしでもしたいのか?


 それとも……この少年。マカという半魔の在り方に同情でもしているのか?


 自分でもわからない。けれど、どうしようもない衝動のようなものが彼女を突き動かしているようだった。


「でも心配しないで。マカは絶対、仙鬼になれるから!」

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