第7話 半魔
「おれ、マカってんだ。名前」
「……ランジェ」
マカ――と名乗った異形、アラカンは憮然としたままのランジェを高台へ連れて行った。
切り立った岩山に囲まれた集落をその真上から見下ろすころには――ランジェにも、なんとなくの事情が呑み込めていた。
こいつが、あの時踏みとどまったのは、ランジェが巻き起こした岩津波から小さなこの集落を守るためだったのだ。
それを知らず、考えもせずにあの人たちを危険にさらしたのがランジェだった。
それを守ろうと、こいつは立ち向かったのだ。
なんて、――バツが悪いのだろう。
「ここ、おれん家なんだ」
へへっ、と。どこか照れ臭そうにアラカンが指し示すのは、切り立った岩肌にぽっかりと口を開けている洞窟だった。――家、と呼べるような場所とは思えないが。
「……あっちじゃないの?」
ランジェは目下の集落に灯る明かりを見下ろす。月の無い夜だ。周囲は暗く、見下ろす小さな集落だけがぼんやりと浮かび上がるように見える。
「んや。みんな怖がるからさ。おれ、こんなだし」
どこか自嘲するように、不器用に冗談めかすように、異形は――いや、異形の少年は、言った。
改めてみるアラカン――少年の身体はまさしく異形であった。
背丈はランジェが見下ろせるほどだが、その頭部は常人の倍ほどもある。
下アゴにあたる部分は常人のそれなのだが、鼻から上がまるで黒い鉄兜……読者諸氏における当世風に例えるなら、ロードバイク用の流線的なヘルメットを想わせる形状をしている、とでもいうべきか。
しかし、彼は何かを頭にかぶっている訳ではないのだ。その歪に肥大化した硬質なそれは、確かに彼の生身の肉体なのであった。
鼻から上――鉄兜のような
巨大に肥大化しているのは四肢も同じで、特に肘から下と膝から下の部分が人のそれとは思えない代物に置き換わってしまっている。
手足は大人の倍ほどもあり、ただでさえ小柄な少年の体には不釣り合いに映る。
手の甲から肘にかけてはつるりとした亀の甲羅のような黒い外殻が備わっており、まるで生まれながらに戦うための手甲をくくり付けられているかのようだ。
足は膝から下が犬のようになっており、
先の戦闘――などと呼んでもいいものか――でも見たが、おそらく踵を上げた状態、つまり四足でこそより素早く動けるようになっているのだろう。
しかし、いまは人間のように踵を突き、その妙に大きな足でべったらべったらと歩いている。どこか間抜け――というか、ユーモラスな姿だった。
そうなのだ。改めてみても明らかな異形。人ならざる魔性であることは疑いないのだが、その動きや、大きな目玉でくるくると表情を変えるを見ていると、なんだか邪悪な生き物とは思えなくなってきていた。
なにより、こいつは――いや、マカ、だったか。
「ちょっといい?」
「んお?」
呼び止めると、再び金色の双瞳がランジェを見上げる。
まんまるに見開かれ、闇夜に輝く眼光は、やはり、とても人のそれとは思われない。
しかしその異形の、とさえ形容されるべき視線はじっと観察するようなランジェの目を見て、不意にそらされてしまった。
まるで俯く幼児がそうするように、恥じ入るように地べたをせわしなく惑っている。
これから叱られるのを恐れるかのように、本当に申し訳なさそうに、誰かの裁可を待つかのような姿であった。
――だから、なんであんたがそんな顔すんのよ!?
ランジェは半ば憤然としながら、マカが胴体にかろうじて纏っているボロきれに手をかける。
「おぉ?」
「胴体は――人間なのね」
強引にぼろきれを剥いでみると、その下にあったのは何の変哲もない綺麗な少年の身体であった。
おそらく膝から上、胴、胸、首から口元、そして両肩から肘の辺りまでが人間のそれで、鼻から上と肘から先、膝から下が真っ黒な異形のそれに置き換わってしまっている。
なるほど、「半魔」なのだ。半分は人間のまま、残りの半分が、人ならざる者のそれに置き換わってしまっている。
こんな身体では――確かに、街中を出歩くわけにはいかないだろう。人の間に入っていくわけにはいかないだろう。
――だが、
「……」
ランジェは、おとなしくなすがままになっているマカのぼろきれを正し、わずかに距離を取って、そこで膝を両手を地についた。
そしてやおら、見るも美しい所作で頭を下げた。
「うぇ!? な、なんだ!? なんだよ!? どっ痛いのか!?」
「正式に――謝罪いたします。わたくしの愚かな行いで、無辜の人々を傷つけるところでした。そして、それを止めてくださったことに感謝いたします」
半魔だろうとなんだろうと、少なくとも今夜、マカはだれかを守ろうとしていた。事情は知れずともそれは動かしようのない事実だ。
そして、手前勝手な理屈を掲げて誰かを危険にさらしたのはランジェの方だ。完璧に、己にこそ非がある。
この上で、それを反故にするほど彼女は無教養な人間ではない。何より自分の無力さも、不甲斐なさも、そのまま受け止めなければならないものだ。
だからこそ、ランジェは真摯に頭を下げた。二度とこんな無様を晒さないために。
一方、マカは仰天して巨大な手足をバタつかせている。
「お、おれ……おれ誰かにそんなこと言われたの初めてだ」
誰にも。
――あっけらかんという少年の言葉に、ランジェは胸を痛めた。憔悴した表情のまま、顔を上げる。
「誰にも? なかったの? あそこの人たちは?」
「んやー、しゃべったりはしねぇんだ。たまに様子見に行くんだけどさ」
「じゃあ、ずっと一人?」
「昔は――じいちゃんが居たけど、死んじまった」
そうか。ここは最下層。人はすぐに死んでしまうのだ。上層では人は死ぬことも老いることもなく、永遠に若いまま生きていくというのに。
わかっているようで、わかっていなかった。
上層で生まれた――それも望外の幸運に見舞われて育ってきた――自分が、物見遊山でこのような場所へ来るということの意味を。
ただ、恥ずかしかった。
自分の有り様が、どうしようもなく。
「どうした? 大丈夫か?」
それに比べて、こいつは――マカは、なんと立派に生きているのだろうか。
ランジェは重ねて己を恥じた。己の行いを、己の浅はかな考えを丸ごと、恥じた。
「ごめん。――本当に、私は馬鹿だった」
「そんな。もういいって。誰も怒ってねぇんだからさッ! な?」
マカは異形の顔で――しかし人懐っこくニヒっと、はにかむように笑った。
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