第5話 金剛発勁

 ランジェは唸るように呟き、砂山を駆け降りる。


 本来なら砂が彼女の足を絡めとるはずだが、その足取りはまるで石畳をたたくかのように軽快であった。


 明らかに奇異なる挙動である。あるいは高貴なる彼女の存在に砂礫のほうが気を使ったとでもいうのだろうか? それともこれもまた仙たる者のもつ妖術であろうか。


 しかしそれに気を留める存在はこの場に絶無であった。桃色の少女は散乱する石礫を魔魅のごとく渡って急速前進する。

 

 飛悠ヒュウゥゥゥ…………ッ。悠然たる吸気と共に、一気に間合いを詰める。ケダモノは動かない。何やらもよおすようなそぶりは見せるが、その場にとどまったままだ。


 ハオ。ならばそれでかまわない。勝機だ。この大技、まだ動く相手には当てづらい。


 加速しながら、ランジェは全身の氣を大火のごとく燃え上がらせる。流動し、循環する稲妻が活力となって全身を巡り、集約する。


 これは本来、正規の仙鬼にしか許されぬ技。


「〝勁法けいほうの六〟――」


 いわば彼女にとって禁断の大技だ。未だ仙鬼にもなっていない身で、これほどの技を習得している者は多くあるまい。


 そしてこれは彼女にとっての長年の修行の集大成ともいえる。


 一気に間合いを詰め、敵の懐へ。地を這うように低く踏み込み、両手はたたんで固定する。打突部位は右肘。


 左足を前に、半身。左拳は額の位置に、右拳は腰の位置に置く。まるで∞の文字のごとく構えられた両腕は量子加速器のごとく彼女の氣を収束していく。


「〝金剛発勁こんごうはっけい〟――」


 ゴウ! 打突の瞬間、しなやかな身体をあらん限りに捻転し、左肘を振り下ろすと同時に右肘を跳ね上げる。


 円を描くようにして渾身の力と技、そして氣をたたきつけるそれはまさしく、山をも退ける大戦斧がごとし!!

 

「〝退山斧君たいざんふくん〟!!!」


 ケダモノはこの期に及んで逃げようとしなかった。振り下ろされる右肘をその巨大な両手で受け止めようとしたのだ。


 ――無駄! これは紛れもなく、魔仙を討ち倒し、滅ぼす仙鬼の技だ。受け止められるはずがない!


 ゴ――ゴゴゴウン!!! バルバルバルバルバル……! 交差の瞬間、霹靂へきれきのごとき衝撃がほとばしった。


 あまりの威力に、大気は焼け焦げ、大地は融解してクレーターを作っている。


 タン。ランジェは技を繰り出し、残心しつつ後退した。すさまじい一撃だった。手ごたえも類を見ない。まさしく会心の一撃だ。


 案の定ケダモノは大の字に倒れ伏し、うめき声さえ上げない。


 ――うそでしょ?


 だが――それはランジェ自身にとっても慮外の事態だ。


 地平の彼方まで吹き飛ばす、あるいは地の底まで叩き込むぐらいの気持ちで打ち込んだのだ。


 こんなふうにぱたりと倒れてそれで終わりというのは、どう考えてもおかしい。


 先ほどの岩津波と同じだ。こいつは――このケダモノは、今の大技〝金剛発勁〟の大威力の大半を、文字通りとでもいうのだろうか?


「こいつ……何だったのよ?」


 言いながら、吐く息は弱々しい。さすがに疲弊の極みだった。ランジェは膝を屈し背を丸めて懸命に息を吸った。


 悲壮ながらも美麗なその様は、さながら切なる祈りを孕むイコン画を想わせる。


 危うかった。勝てたからよかったものの、もしも、もしも起き上がってこられたなら――ッ!?


 ランジェはそこで視線を跳ね上げた。一瞬、金色の、まるで満月のような巨大な単眼が、彼女を見たかと思ったのだ。


 しかし目など開いていない。ケダモノは倒れたままだ。


 錯覚か? ――そこまで自分は気後れしていたのか?


 うなだれて、身を起そうと華奢な膝に力を籠める。誰もいないからと言って、いつまでも無様をさらせない。


 もう一度視線を上げる。ケダモノは倒れたままだ。しかし妙な違和感がある。


 死んだ――のか? いや、殺す気はなかったのだが、思わず本気で打ち込んでしまった。


 しかしまさかあれを受けて生きているとは――


 そこで、また、視線が合ったような気がした。ランジェはぎょっとして身を固くする。


 倒れたケダモノ――アラカンに近づく。


 覗き込んでみるが反応はない。ランジェはそのまま背を向けた。


「…………」


 二歩、三歩。もはや興味を失ったような足取りで離れ、そして唐突に振り向いた。


 今度こそ、しかと目が合った。「あ、ヤベッ」とでもいうように、アラカンは目を閉じたが、さすがにだまされるはずもない。


「――あんた。実はピンピンしてない?」


 再び近づいてきたランジェに覗きこまれ、アラカンはポン! っと跳び上がった。


「ひゃあ! ご、ごごごめん! もう勘弁してくれ! おれ、悪いことしねぇからさ。もう街にもいかねぇから!」


 そしてそのまま地に這いつくばり、そんな――なんとも的外れな――陳謝を繰り返した。

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