第41話


 探すのに夢中なあまり、ご飯を食べていなかったのだ。

 空腹の胃袋を満たそうとお店を探していれば、定食屋を見かけてそこに入った。


 夫婦経営のお店らしく、定食にカレー、お寿司とメニューは豊富だ。

 悩んだ末に、カレーライスを注文する。


 咲以外にお客さんはいないおかげか、すぐに注文したカレーが提供される。


 モグモグと口を動かしながら、沙仁のことを思い浮かべていた。


 子供舌のあの子はカレーが好きで、作ってあげるといつも嬉しそうだった。


 いまもまだ、味覚は変わっていないのだろうか。

 咲はあの頃好んでいなかった珈琲が飲めるようになったが、沙仁はどうなのだろう。


 「お客さんごめんね、ちょっとお醤油切らしちゃったから買ってくるわ」

 「じゃあ、先にお金払っときますね」

 「しっかりしてるわね、ありがとう」


 エプロンを付けたまま、店員である中年女性は足早に店を出て行ってしまった。


 ポツリと残された店内で、メニューを見やる。喉が渇き始めたため、何か飲み物を注文したくなったのだ。


 「すみません」


 呼ぶ声を上げるが、一向に店員が来る気配はない。

 

 もう一度呼ぼうとすれば、一人の女性店員が厨房からひょこりと顔を出した。


 「なんですか」

 「……え?」


 互いが、驚きで目を見開いていた。

 どうして、何故という疑問符が浮かぶ余裕もなかった。

 驚きで頭が真っ白になって、何も考えられないのだ。


 厨房から顔を出した彼女は、あの頃よりどこか大人びた雰囲気を纏っていた。


 言葉で言い表せない愛おしさが込み上げて、気を抜けば人目も気にせず抱きついてしまいそうだった。


 エプロンを付けた、およそ5年ぶりの沙仁の姿が、そこにはあったのだ。


 「沙仁…?」

 「咲、何してんの」

 「こっちのセリフ…え、なんで」


 互いが驚きの声を上げていれば、ガラリと扉が開く。

 室内に入って来たのは、先程買い物へ行くために店を出た中年女性だった。


 「あら、沙仁ちゃんはホールに出なくていいのに。バレたら大変でしょ」

 「すみません、お客さん呼んでたから…」

 「そうなのね……沙仁ちゃん、今日はもういいわよ」

 「え…」

 「もうラストオーダー過ぎてるから。締め作業はやっておくから、お友達と一緒に帰りなさい」


 二人の雰囲気から、何かを察したのだろう。

 返事を聞かずに、女性はグイグイと咲と沙仁の背中を押していた。


 「気をつけてね」


 沙仁が腰に巻いていたエプロンは、女性によって手際良く奪われてしまっていた。


 強制的に店を追い出されて、チラリと沙仁の顔を見やる。


 「荷物とか、いいの?」

 「財布も鍵も全部ポケットに入れてるから、平気」

 「そっか……」

 「とりあえず、歩こう?」


 先に足を踏み出す、彼女の後を追う。

 そっと左足を見ても、長いジーンズにスニーカーを履いているため、一見変化があるようには見えなかった。


 どこか気まずい空気感の中、二人で紫陽花が咲き誇る道を歩いていた。


 「あそこで働いてるの?」

 「うん…ダメ元でお願いしたら、働かせてくれた。私がモデルってことも知ってるから、キッチンでだけど…」

 「沙仁、お仕事できるの?」


 冗談めかしで言えば、沙仁は自信満々の様子でピースサインを向けてくる。


 「食器洗い専門だよ」


 かつての彼女に比べたら大きな成長だ。

 昔は、洗い物をするだけでも食器を割って大変だったというのに。


 テレビでは、左足の膝より下が失われたと報道されていたが、やはりあの頃の彼女と何も変わっていない。


 たとえ足が無かったとしても、咲が大好きな沙仁のままだった。


 「この島に住んでるの?」

 「うん…マンスリーマンション借りて」

 「南さん、探してたよ」


 彼女の名前を出せば、沙仁は罪悪感を滲ませた表情を浮かべていた。


 足を止めた彼女に釣られて、咲も歩みを止める。


 「いなくなってごめんね」

 「ううん…」

 「どんな顔すればいいか分からなくて…足なくなって、本当にショックで…」


 声が続くにつれて、彼女の声が震えていく。

 複雑な感情の中で、必死に言葉を紡いでくれているのだ。


 「スーパーモデルになって迎えに行くって言ったのに…約束守れなくて……」


 沙仁の大きな瞳から、涙が一粒零れ落ちる。


 ひとつ、また一つと溢れるそれは、止めどなく彼女の頬を伝っていた。


 背伸びをしてから、沙仁の頬を掴む。


 およそ5年ぶりにそっと唇を重ねれば、堪らなく愛おしさが込み上げた。


 いまだ泣いている沙仁の涙を、親指で拭ってやる。

 そして、会ったらずっと言いたかった言葉を口にした。


 「迎えに来なくて良いよ。私が沙仁の所まで行くから」


 体を抱き寄せれば、背中を丸めながら沙仁が抱きついてくる。


 側から見たら咲が抱きしめられているように見えるだろうに、実際はその逆だ。


 今までひたむきに走り続けた彼女を安心させるように、優しく背中をさすった。


 「…沙仁は、頑張りすぎたんだよ」


 色々なことを我慢して、血の滲むような努力をしてきた。


 同年代の子供が味わえる普通を引き換えに、頑張り過ぎたのだ。


 「少し、ここでゆっくりしよう?」


 何度も、沙仁は頷いていた。

 肩がじんわりと濡れ始めて、今まで彼女が堪えて来た想いを感じ取る。


 腕に回される力が、また一段と強くなる。


 ずっと触れたくて堪らなかった、愛おしい人の温もりを感じて、咲も釣られるように涙を流してしまっていた。

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