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「こんな世界で、どうして僕達は未だに生きようとしているんだろう」

 森が消えた。山が消えた。川が消えた。

 草原が消えた。家が消えた。街が消えた。


 人が、消えた。


 この17年間という歳月の中で、直接、あるいは映像などで間接的に見てきた様々なものが消え、目の前にはどこまでも続く砂の大地と、建物が消えたことによってこれまでとは段違いに広くなった空が広がっている。

 それから――ひとりの男の子。

 わたしより年下なのに、わたしよりもよっぽど頭がよくて、でもこういうときは考えてもどうしようもないことを考えてしまうのだろうなと、少し心配になる。

「絶滅危惧種が2匹いたって、その種の絶滅を止めることはできない」

 少年はしゃがんで砂をひとすくい手に乗せる。

 その砂が元々なんだったかはわからない。たまたまこの場所が砂場だったら、以前から砂であった可能性もあるけれど、恐らくそんな偶然はなかなかないだろう。

 この場所は元は大きな都市があった場所だ。それなら、この砂は人類の英知が立てた地上数百メートルの建築物のものかもしれないし、『人』そのものの可能性も十分にある。

「たとえ2匹が生殖活動を行って次代を生んだとしても、数代で遺伝子異常によってまともな子供が生まれなくなる。そうしたらもうその種は終わりだよ」

 絶滅危惧種――それはつまりわたし達のことだ。この地球に今、わたしとこの少年以外の人類は存在しない。

 彼の言葉が正しければ、例えわたしとこの少年が子を成したとしても、人類という種の存続は絶望的だということだ。

「それなら、生きている意味なんてあるのかな」

 もう限界なのだと思う。

 食べ物だって、満足にあるわけじゃない。娯楽なんてものは当然無い。

 もし彼がひとりだけだったらとっくに生を諦めていただろうし、わたしだって気が狂っていたことだろう。

「意味なんてなくてもいいんじゃない?」

「生きている意味がなかったら生きるのが辛くない?」

 どうやらこの少年は生きる意味を常に考えてきたようだった。

 思えばこの少年は自分の存在価値を他人に示していることが多かった気がする。

 そうしないと、怖かったんだね。誰かに必要とされていないと、自分に生きている意味はないと思っていたんだね。

「今はふたりしかいないんだよ。もっと気楽に行こうよ。わたしたちに期待する人なんて誰ひとりとしていないし」

「期待する人が、いない……」

「うん。わたしたちがどんなに頑張ったってさ、人類は絶滅する。もう詰んでる。手の施しようもない。つまり諦めていい。わたしたちは誰かのこととか人類の未来のこととか、地球の未来のこととかなにも考えなくていい」

 少子化とか知らない。

 地球温暖化とか知らない。

 紛争問題も、食料困難も、なにもかも知らない。

 地球が、そしてわたし達人類が抱えていた多くの問題それ自体が消えてしまった。

 というよりもどうしようもなくなってしまった。

 だって、人類はもうふたりしか残っていないし、いろいろなものが砂になっちゃったし、こんな状況をどうにかしようと考えるのがナンセンスだ。

「わたしたちは今、2番目の自由を手に入れているの」

「2番目?」

『1番目の』というわけではない。なぜなら、わたしたちはひとりじゃないから。

「1番目の自由だったら今すぐ裸になってここで踊り狂うかもね」

「ああ、そういうこと。確かに、貴女がいる限り、僕は真の意味では自由じゃないのかもしれないね」

 相手がいるということは相手に気を遣う必要があるということだ。わたしは彼がそばにいる限り、服を脱ぐという自由を享受することはできないだろう。

 まあ、別に裸になりたいわけじゃないけど、ものの例えとして。

 まあ、でも――。

 わたしたちは人類の未来と引き換えに世界で2番目の自由を手に入れた。

 それじゃあ、1番目の自由を手に入れたいかと言われると、そんなことはない。

「生きる意味とか必要性とか、義務とか期待とか、そんなことは考えなくていいから、君はわたしのことだけ考えていればいいよ」

「それじゃあ、貴女は僕のことだけ考えていてください」

 少年が少し照れた顔をしてわたしに笑いかける。先ほどまでの不安そうな表情はもうない。

 わたしたちはふたりで、2番目の自由を楽しむためにまた歩き出した。

 目の前にはどこまでも続く砂の大地と、真っ青な空しかなかった。

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