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 思いがけない出会いというのは普段なかなかに起きないもので、それは結局のところ人というのは知らず知らずのうちにルーティンを形作っており、意識して行動を変えたり、よっぽどの運が重なるようなことがなければそのルーティンからなかなか外れることがないからだと思う。

 では今日、期せずして彼とあの場所で遭遇したのは意識した行動なのか、運なのかと言われると答えは後者であった。

 別になんてことはない。たまたま雨が降っていて、たまたま傘を忘れて、たまたま図書館で本を読みふけってしまって、そんないくつもの偶然が、言ってしまえば〝運命〟がわたしと彼を引き合わせたのだろう。

「なんでまだいるわけ」

 昼間から降っていた雨は夕方頃まで降り続いていたものの、空から夕焼けの色が消える頃には止んでいた。

 外はもう暗い。春になって大分日が長くなってきた物の、流石にこの時間にもなると辺りは夜の暗闇に支配されている。

 傘を忘れてしまい、雨が止むまで図書室で時間を潰していたのだが、気付けば寝落ちしており、先ほど図書委員の女の子に追い出されたのだった。

 本当はそのまま帰るつもりだったのだけれど、折り悪く宿題をするのに必要な教科書を机に忘れてしまい、こうして取りに来たのだ。

 そしたら、わたしの他に先客がいて、机に突っ伏して寝ていたのである。

 わたしは迷うことなく彼に近づいて行く。

 というと、まるでわたしが彼に近づきたいように聞こえるかも知れないが、そうではない。

 単純にわたしの席が彼の席の目の前なので、必然的に彼に近づくことになるのである。

 そして、寝ている彼が気付くかどうかはわからなかったが、先ほどのような言葉を投げかけたのだった。

 彼からの返事はない。どうやら完全に寝入ってしまっているらしい。

「寝てるときは可愛いんだよねぇ」

 忘れ物を鞄に入れてから椅子に腰掛ける。彼の頬を指でつんつんと触れるとまるでマシュマロのようにわたしの指を沈める。もちろん、指を離せば彼のマシュマロはすぐさま元の形を取り戻すのだった。

「つんつん」

「う~ん」

 あ、ちょっと嫌そう。

 ならもうちょっと触ってやれ。

「つんつんつん」

「ん~……?」

 日頃の鬱憤を晴らそうと、わたしの指は何度も彼の頬に沈み込み、その度に彼のうめき声が変わるのが少し面白い。

「ゆう……か」

 ん? 今、わたしの名前読んだ?

「……」

 なにかもごもご言っているっぽいんだけど、声が小さすぎてよく聞こえない。

 わたしは彼の寝言を聞こうと更に耳を彼の口元へと近づけた。

「寝ている人間にいたずらをするのは関心しないと思うね」

「うひゃあ!?」

 突然、耳を襲った彼のはっきりとした声に、思わず声を上げてしまう。

 彼の声がいつも以上に大きく聞こえて、しかも口のすぐ近くに耳を寄せていたからか、空気の擦れる振動が直接耳に伝わってくるようで、ぞわぞわとしたどこか不思議な感覚が耳から背中の方へと突き抜けていった。

「ね、寝てたんじゃなかったの?」

「ああ、寝てたさ。誰かがやたらと頬をぶすぶすと突き刺すものだから起こされてしまったけどね」

「『ぶすぶす』って……。そこまで強く刺してないわよ」

 なかったと思う。多分。

「それにしても君は耳が弱いのか」

 わたしが耳を押さえているのを見て、彼がニヤリと笑った。未だに耳にぞわぞわとした感触が残っているし、やたらと耳が熱い気がする。

「言っとくけど、次同じことやったら大声で叫ぶ」

「さっきも割と大きな声を出していたじゃないか。君があんな女の子らしい声を出すとは思わなかった」

 こ、この男は……!

『女の子らしい』ってわたしのことなんだと思ってるのよ!

「お、もう雨も止んだんだな。君はまだ何か用事があるのか?」

「別に。わたしももう帰るわよ」

「用がないのに僕をいじっていたのか。どんだけ暇人なんだ君は」

 いちいち勘に障ることを言う男である。本当にさっきの寝顔とは段違いだ。可愛くない。

「ほら、行こう。暗いし、送るぐらいはするよ」

 そう言いつつすくっと立ち上がると、わたしに向かって手を差し出してくる。

 わたしは耳を押さえていた手を離し、彼の手を取って立ち上がる。

「やっぱり、耳、弱いんじゃないか。真っ赤になってるよ」

 思い出したかのように指摘され、またすぐに彼の手を離して耳を隠す。

 も、もしかして、耳を確認するためにわざわざ手を差し出した!?

「可愛くない」

「まあ、男だからな」

「可愛い顔してるくせに」

「君に言われても、それが本当なのかどうなのか疑問に思うんだが」

 彼のその言葉が意味するところを悟り、耳に貯まっていた熱が頭の顔の方へと移動してくる。

 う~~!

 やっぱり可愛くない!

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