逃避行の終わり
「……君に、あらためてそう言われると心にくるものがある。どうあっても喰い殺すつもりのくせに」
顔を大きく歪ませたまま、それでも涙は流さずに吸血鬼は蓮花の顔を縋るように見た。
だから蓮花は静かに深呼吸をしてから、自分が今まで生きてきた中で一番非道なものになるであろう言葉を告げる。
「じゃあ、一緒に生きますか? 何もかもほっぽりだして、逃げ出して……こんな出来損ないで死にたがりの超能力者と、二人で生きる気がありますか」
「っ!?」
「あなたがそう望むのであれば……私は死にたいと願うこの心を騙して、生きることができるかもしれません」
世界で一番残酷な言葉を聞いてしまったような、そんな顔で吸血鬼は呆然と蓮花の顔を見下ろした。
ああ、酷い顔。と蓮花は思った。
こんな顔をさせてしまった自分の首を自分で絞めてしまいたかったけど、きっとこれは蓮花が言わなければならないことだった。
「……無理、だ」
掠れた声でそう答えた吸血鬼に、蓮花は静かに応える。
「ええ。私も無理だと思います。きっと遠からず破綻するでしょう」
それが分かった上での問いかけだった、できないことを本当にできないと認識させるためだけの残酷な言葉だった。
例えば蓮花がもっと可愛くて普通の女の子だったら、今の言葉は希望の言葉になったのかもしれない。
二人で生きる気になれたかもしれない。
しかし、現実はそうではない。
蓮花はただの
だから蓮花はどうしたって死ななければならないのだ、それ以外に進める道などなかった。
他に道があったところで、その道に進むほどの気力も体力ももう残っていない。
だからこれは当然の末路で、変えようがない現実だった。
別れを惜しんで続いてしまった逃避行を蓮花達は今度こそ終わらせなければならない。
このまま生きていたって、幸せになどなれないのだから。
「きみは……ひどい女だな」
泣きそうな声で吸血鬼はそう言った。
少し恨みがましい響きが入っているのはきっと蓮花がここまで言うとは思ってもいなかったのだろう。
蓮花だって本当はこんなことを言いたくなかった、それでも自分が言わなければいつまで経っても終わらせることができなかっただろう。
きちんと言葉にして突きつけて、現実に向き合って心の底から無理だと思わなければ、きっと自分達はまた間違う。
そう思ったから蓮花はそう言った。
「……そんな顔をしないでください。最期なんですから……私だって無理矢理喰い殺してもらったと思うよりも、あなたが食べたいと思ったから殺されたと思う方がしあわ……いえ、流石にこれはおこがましいので忘れてください」
今のは無しです、と蓮花が言うと吸血鬼は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「服、脱いだ方がいいですか?」
身体を起こしながら蓮花が吸血鬼に問いかけると吸血鬼は熟考の末、無言で首を横に振った。
「いいんですか? 邪魔でしょう?」
「そのままでいい。いいからそのままで。別の意味で喰ってしまいそうになるからやめて」
「あなたがしたいんだったら、好きにしていいのに」
「やらない……というか黙って」
黙れと言われてしまったが、蓮花にはまだ言っておかなければならないことがあったのでその言葉は無視して口を開く。
「そうですか。では最後に……左腕は私が死ぬまで食べないでくださいね。そうじゃないときっとうるさくしてしまうから…………ああ、それと多分痛みで背中から石がはえてくると思うので怪我をしないように気をつけてください」
そう言って蓮花は黙って吸血鬼の言葉を待つ。
「言いたいことは、それだけ?」
蓮花は吸血鬼の青い瞳を真っ直ぐ見つめながら、彼女なりのとびきりの笑顔を浮かべてつとめて明るい声でこう答えた。
「それでは最期に、私のことを救ってくれてありがとうございます」
そう笑った後に蓮花はいつものように大口を開けて自分の左腕を噛もうとした。
しかし噛みつく直前で左手を掴まれ、抱き寄せられる。
見つめたままだった青色が近寄って、止まる。
蓮花の口に何か柔らかいものが触れていた。
「っ!?」
咄嗟に離れようとしたが頭を片手で固定されて身動きが取れない。
何か生暖かいものが蓮花の唇の隙間から割り入って、舌に絡みつく。
青い瞳が、とても近いところで蓮花の目を観察するような目で見つめている。
口付けされていることに遅れながら気付いた蓮花は逃げようとするが、いつの間にか自分の左手を掴んでいたはずの手で腰を抱かれていて、逃げられない。
柔らかいものが蓮花の上顎をゆっくりとなぞる、ごくりと響いた音は蓮花と彼の唾液が混じったものを彼が飲み込んだ音だったようだ。
再び舌を絡まれる、逃げようとしてもそれは許してもらえなかった
舌を吸われて甘噛みされる、それと同時に蓮花の身体が跳ねる。
呼吸ができない、頭がぼんやりとする。
それでも、それよりもまさる何かおそろしげなものを蓮花は感じた。
それはきっと、一般的には快楽とかなんとか呼ばれるものの類なのだろうと蓮花は思った。
それを自覚した蓮花の眦から大粒の涙が溢れると同時に、ばきりと音が響いた。
自らを襲った激痛に蓮花は声にならない悲鳴を上げる。
それと同時に蓮花の口内から柔らかいものが離れていった。
「……綺麗な色のがはえたよ」
こともなさげに言いながら、吸血鬼は慣れた手付きで彼女の背からはえた石を引き抜いて床に放る。
何故か蓮花の意識は途切れなかった、それどころか背の痛みがいつもよりも軽い。
何故だろうと蓮花は思ったが、快楽とか痛みでぐちゃぐちゃに犯された頭ではうまくものを考えられなかった。
ひょっとしたら、吸血鬼が自分の身体に何かしているのではないかと思いもしたが、それが正解なのか判断がつけられなかった。
床に落とされた石を蓮花は浅く息を繰り返しながら見る。
赤みの強い紫と桃色が混じった色の石だった。
桃色は見たことがないが紫は何度かある、前回はえた時は確か――。
フラッシュバックした恥辱の記憶に蓮花の顔が白くなる、大粒の涙が見開かれた目から溢れて、止まらない。
「この後に及んで何を思い出してるの」
顎を掴まれ、強制的に蓮花は石から視線を逸らされる。
青い瞳が蓮花の顔を見ている、あの暗い地獄から救い出してくれたひとの顔を見上げて、蓮花の顔に色が戻る。
「なんでも、ない、です……」
「なんでもない、って顔じゃないけど……ああ、腹立つ……なんとなく察したけど、だからこそむかつく……」
そう言いながら吸血鬼は蓮花の身体を抱きすくめ、頭を撫でた。
いつも蓮花が悪夢に飛び起きた時と同じように、幼子にそうするような優しい手つきだった。
「……もう、もう大丈夫です。大丈夫ですから」
ぬるま湯に浸るような心地よさを断ち切るために蓮花は静かにそう言った。
吸血鬼は無言で蓮花から離れる。
互いに何も言わずに数秒見つめあって、それから蓮花はゆっくりと左腕を持ち上げて、大口を開けてそれに噛み付いた。
慣れた痛みに少しだけ蓮花は少しだけ安堵する、吸血鬼が小さく自分の名を呼んだ気がしたけど、ひょっとしたら気のせいだったかもしれない。
別にどちらでもよかったのだ。
本当のことを言うと、名前を呼んでくれたのなら少し嬉しかった。
身体が抱き寄せられる、吸血鬼の息が蓮花の首筋にかかって、少しだけくすぐったかった。
吸血鬼が蓮花の首筋に噛みつくその直前、自分のものではない温かい液体が自分の肩を濡らしたような気がしたが、蓮花はきっと気のせいだろうと目を閉じる。
気のせいであればいいと思った。
こうして、母親を死に追いやり、見せ物として甚振られ嬲られ続けた少女の地獄はほんの少しの蛇足を添えた後、生きたまま愛しい化物に喰い殺されるという形でようやく終焉を迎えた。
少女パパラチア 朝霧 @asagiri
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