殺意と忘却

「だって、なんで。確かに僕は死んだことになっていた……吸血鬼になったその時に、自由に弟を探すためにと人間として生きていた僕は殺してしまったから……あの女が弟を見つけたところで僕になんの連絡もしてこないのは当然だ、できっこない」

 嘆くような声色で吸血鬼はそう言った。

「それでも、なんで? なんで僕じゃなくてあの子が僕よりも先に弟の隣にいるの? そもそもなんであの子あんなところにいたの? 新都の高校に進学するって言ってたのに、なんで古都で高校生やってんの?」

 なんで、なんでと今目の前にいる蓮花の姿すら見えていないような顔で、吸血鬼はそう独白する。

「だって、あの子は……いや、あの子だって被害者だ。あの子は傍観者でも加害者でもなかった……ある意味では僕達よりも心を踏みにじられて壊されてしまった可哀想な子だった…………それでも、どうしても許せなかった」

 蓮花は彼の独白をただ黙って聴く。

 口を挟むことはできなかった。

「だから、死んでもらうことにしたんだ」

 そう言った吸血鬼の視線が、そこで蓮花に戻る。

「そう決意した時……君のことは、もう覚えていなかった、すっかり頭から抜けていた。ただただあの子への憎悪と殺意しかなかった」

 結局僕は、この程度のことで君を忘れてしまったのだと、詫びるような口調で彼は小さく呟いた。

 蓮花は少しだけほっとしていた。

 自分のことを忘れられるくらいの何かがこの人にあるのだと思うと、ほんの少しだけ気が楽になったのだ。

「……君のことを忘れられていた期間は気が楽だったよ。自分の醜さを忘れられていたからね、忘れていることすら気付いていなかったし……ごめんなさい」

 許しを乞うような口調で彼はそう言った、蓮花は何もいわずにほんの少しだけ笑みを浮かべて小さく首を横に振った。

 吸血鬼はそんな蓮花を見て小さく目を見開く、そして少しだけ悔しそうな顔をした後、話を再開した。

「一人きりの時を狙って、あの子に近寄った。その時になってはじめてあの子が超能力者になっていることに気付いた…………当然だ、考えればすぐにわかる。あの子があの時何をしたのか思い出せば簡単に推測できる。むしろそうでない方がおかしい……きっとずっと前からそうだったんだろう」

 憎しみと、それから憐みの混じった表情で彼は静かにそう言った。

 超能力者がどういった存在であるのかは蓮花も身に染みてよくわかっている。

 だからきっとその幼馴染の少女も何かおそろしい罪を犯してしまったのだろう。

 自分を殺してしまいたくなるようなほどの罪を。

「僕はあの子を直接殺そうとは思っていなかった。だってあの子に死んでほしいのなら、本当のことを言えば済むってわかっていたから…………知っていたんだ。知っていてずっと黙っていた。あの子はね、監禁されていた時の記憶を一部失っていたんだ、一番辛くて、一番酷い記憶を……一番の罪を。そうでなければ、きっとどうしようもなかったんだろうね」

 そう言う吸血鬼の声にほんの少しだけ嘲るような響きが加わる。

「だからそれを思い出させれば済む話だったんだ」

 にこりと笑いながら、吸血鬼はそう言った。

「僕はあの子の罪をあの子の耳元で囁いた。たったそれだけであの子は死を選んだ」

 その時のことを思い出しているのだろうか、吸血鬼はくすくすと笑う。

「あの子の超能力は血を脆くて伸縮自在な透明な腕に作り替えて身体中の至るところからはやす、っていう感じので……その腕は血に聡い吸血鬼である僕には赤く見えるけど、普通の人どころか本人ですら目視できないらしい」

 本人にすら見えてないって知ったのは後にわかったことなんだけどね、と吸血鬼は付け足した。

「死んだはずの僕が突然現れて、警戒していたあの子はもともと二本の透明な腕をはやしていた。僕には見えていないと思っていたらしいから、何かあったらその腕で僕をちょっと脅かして逃げるつもりだったんだろう……本物かどうかすらも疑っていたみたいだしね…………でも僕から罪を告発され、本当のことを思い出したあの子はその腕を地に叩きつけた。透明な腕は硝子細工みたいに呆気なく砕けて、あたり一面に血と肉の欠片が飛び散った……それすら、僕以外には見えていなかったらしいけど」

 柄にもなく綺麗だと思ってしまったんだと吸血鬼はぼんやりとした声で呟いた。

「それだけでは止まらず、あの子は背から何本もの腕をはやして、その全てを地に叩きつけて、砕き続けた……そうやって腕を砕きながら、ただごめんなさいと狂ったように繰り返すあの子に僕はこう言ったんだ……償いをさせてあげる、って……僕達兄弟の前から、この世界から消えてなくなってくれ、って」

 吸血鬼は薄く人形のような薄ら笑いを浮かべていた。

 蓮花はその顔を直視できなくて、少しだけ視線を逸らしてしまった。

「ほどなくして、あの子は顔を真っ白にして力なく倒れた」

 そんな蓮花の様子に気付いていないのか、気付いた上で放置しているのか、吸血鬼は話を続ける。

「完全に死ぬまで見届けたかったけど、遠くから弟の匂いが近づいてきているのがわかったから、僕はその場を離れた…………僕が殺したとは出来るだけ思われたくなかったんだ。だってあの子は弟の大事な子だったから……兄である僕よりも、ずっとずっと大事にしている子だったから」

 泣きそうな声でそう言って、蓮花が視線を逸らしていることに気付いたらしい。

 むっとしたような表情をしてから吸血鬼は蓮花の顎を指先で掴んで無理矢理視線を合わせてくる。

 蓮花は吸血鬼のされるがまま、彼と視線を合わせさせられる。

「でも、あの子は死ななかったんだ。生き残りやがった…………僕はもう、あの子が生きていることが許せないくらい怒っていたから……どうしても殺してしまいたくて、もう一度あの子を殺しにいった、今度は自分の手で仕留めるつもりだった……君に話したら心底軽蔑されるような小細工を色々と仕掛けて今度こそ邪魔されないようにして、万全の状況で」

 蓮花は古都に辿り着いて、そこで偶然出会った吸血鬼の弟から彼が何をしたのかを思い出す。

 ――あいつは、僕の一番大事な人の手足をぶつ切りにしたんだ。それだけじゃない、殺そうとした。

「それでも殺せなかったんだ。小細工も結局無駄に終わった。あと少しのところで、邪魔が入った。弟本人と、それから弟の仲間達が……本当にあと少しだったのに」

 悔しそうな顔でそう言う吸血鬼の顔を蓮花はただ見ていることしかできなかった。

「弟は激昂していたよ。本気で僕に対して怒り狂い、憎悪を向けた。殺してやる、とも怒鳴られた……本気で僕の死を望んでいた。……だから僕は弟に殺されることにしたんだ。あの子を殺すのはもうそこで諦めていた、ちょっとした誤解もあってね、それでもういいか、って……それでも最愛の弟が僕の死を望むのなら、その望みを叶えるのは兄として当然のことだろう?」

 急にゾッとするような艶っぽい声で譫言のように言った吸血鬼の声に、蓮花は血の気が引いていくのを感じた。

 無理矢理合わせられた青い目からは狂気が滲み出ている、おそろしくて目を逸らしたかったが、それをしたら最後何をされるかわかったものではないと本能が蓮花の動きを制御し止めた。

 おそろしげな青い目は、そんな蓮花の顔を数秒見つめる。

 そして、ふとその目から狂気が消えた。

「……けど最後に君のことが頭に過ぎった。すっかり忘れていたくせにね、馬鹿みたいだろう? それで考えたわけだ……僕が死んだ後、生きたまま眠り続けるであろう君のことを」

「……え?」

 ここに来ていきなり自分の話が出てきたので、蓮花は目を瞬かせる。

「ねえ、そうなったらどうなると思う? 極力あの博物館の汚らわしい人間は殺し尽くしたし、あそこにはかわいそうな君の事を守ろうとしている人間も少なからずいたけど、それでも僕というストッパーが消えればどうなるかな? こんなに愛らしくて無垢な顔のまま眠り続ける君に、劣情が向けられないわけがないだろう? 汚らしい人間共が蛆みたいに君の身体を這いずり回ると思うと」

「愛らしくはないと思います」

 蓮花は吸血鬼の言葉を遮って、ほとんど反射でそう言った。

 余計な口を効いた蓮花に吸血鬼の顔が般若のように恐ろしい形相になった。

「うるさい、黙れ!!」

「ご、ごめんなさい……でも、その、あ……あい…………とか自分が表現されるのはそのなんというか……きもち、わるくて……ごきぶりとか、なめくじとかそういうのが褒めそやされてるようなきみのわるさが」

「……………………」

 吸血鬼は何も言わずに蓮花の顔をじとりと見据え、身体を起こした。

 そして蓮花の身体に馬乗りになり、唐突に蓮花の口の中に指を突っ込んだ。

「むっ……!?」

「君はかわいいよ」

 蓮花はすぐに否定しようとしたが、吸血鬼の指のせいでそれは言葉にはならなかった。

「日にあたってない肌は不健康だけど白くて綺麗だし、身体は薄いくせに柔らかい、髪は真っ黒で艶やかだからいつまでも触っていたくなるし、手も小さくてすべすべしていてずっと握っていたいと思う」

 反論もできずにただそれを聞くことしかできない蓮花はただ吸血鬼の顔を見ることしかない。

 それに気を良くしたのか吸血鬼は笑みを深める。

「泣き顔も魅力的だけど実際泣かすととても心臓に悪いからやっぱり一番は笑った顔、君は気の抜けるような柔らかい笑い方をするからその顔をされるとこっちまで気が抜けるし、なんて言ったらいいのかな? 陳腐だけど幸せな気分になるよ」

 ほんとうにどうしようもないくらいかわいよねと吸血鬼は砂糖と蜂蜜とミルクチョコレートを煮詰めたような甘ったるい声で囁いた。

 唐突な誉め殺しに蓮花の肌に一気に鳥肌が立つ、ぽつぽつと蕁麻疹まで出てきた。

「あと君ってチビで歩幅が狭いから油断するとすぐに引き離しちゃうし、隣にいないって慌てて探そうとすると少し離れたところで一生懸命僕に追いつこうとしているのが見えて、すごくかわいいなあと毎回のように」

「っ! …………っ!?」

 耐えきれなかった蓮花は否定と反論の言葉を吐こうとしたが、喋ろうとした気配を感じ取ったらしい吸血鬼が指先で蓮花の舌を撫でる。

「ふふ……その顔もかわいい。かわいいからいっぱいいじめたくなるんだよねえ……」

 酔っぱらったような、熱に浮かされたような声色でくすくすと笑いながら吸血鬼は蓮花の頬に触れ、思いっきりつねりあげる。

「やわらかい、あったかい、かわいい……かわいい……あはっ……おいしそう……」

 ひとくちだけ、そう呟いた吸血鬼が大口を開けて――

「君が余計なことを言うから話が脱線しちゃったじゃないか」

 蓮花の顔に齧り付く直前に正気にかえり、パッと離れてついでに蓮花の口から指を引き抜く。

 その顔からは先程までの陶酔したような笑みが消えている。

「ご……めんなさい」

 反射的に謝った蓮花だったが、これ別に私が謝る必要はそこまでないのではと思い直す。

 確かに余計な口を挟んだのは蓮花だったが、それで怒鳴られた後のくだりは別に必要なかったと思うのだ、勝手に始めたそちらが悪いとさえ思う。

 鳥肌と蕁麻疹がまだ治らない、あんな風に褒められっぱなしで治るわけがないので何か一つでもいいから蓮花は先程までの吸血鬼の言葉に一つでも反論しようとした。

 したのだが、吸血鬼がたった今蓮花の口から引き抜いたばかりの、蓮花の唾液に濡れててらてらと光るその指を舐り出したので何もかもが吹っ飛んだ。

「ちょっ……!? 吸血鬼さん何やって……!?」

「は? 今更なに? 体液舐められるのなんて慣れっこでしょ?」

「血とそれは違うというかなんというかですね……」

 というか体液とかそういうふうに言うのはやめてほしい、なんか生々しい、と蓮花は首をブンブンと横に振る。

「はあ? 僕、散々君の背の傷を直接舐めて血を啜ってたけど、それに比べると別にたいしたことなくない?」

「い、いや……それ、は……」

 今まで深く考えたことがなかったが、改めて言語化されると、なんだか非常にアブノーマルな気分になってきた蓮花だった。

 ついでに他にも色々と余計なことを思い出す、今の自分の格好だとか、今まで何度も背から血を啜われた時のこととか、色々と。

「なぁに? 顔赤いけど、何考えてんの?」

「え、あ……その……」

 口籠って何も言えない蓮花の顔を吸血鬼はニヤニヤと楽しそうに見つめた後、蓮花の耳元に顔を寄せて一言。

「えっち」

 蓮花の思考は一時的に完全に停止した。

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