あの日のその後
「この先のことを話す前に、君が眠っていた間のことを話そうと思うのだけど、聞いてくれる?」
寝転がり、蓮花の身体をゆるく抱きしめた状態で吸血鬼はやけに優しげな声でそう問いかけてきた。
「……はい」
一方蓮花は罪悪感に呻きそうになる喉をなんとか落ち着かせて首を縦に振る。
「ありがと。……ところで君、あの時のことをどれくらい覚えている?」
「えっと……あの魔術師さんに胸を貫かれて……ああ、自分死ぬんだなって、そう思って…………吸血鬼さんが私のこと呼んでくれて……最後にあなたに抱きしめて欲しいってお願いして……それで抱きしめてもらって……その直後に背中が痛かったから多分石がはえて……それでも……」
それでも幸せだった、あれは贅沢すぎる結末だったと言いかけた蓮花は口を噤む。
「それでも?」
「いえ、それはいいんです……あの時、吸血鬼さんがとても辛そうな顔をしていて……それを謝らなければ、とおもって」
「……君が謝る必要はない。あれは君から目を離した僕が悪い……だから謝らないで」
「わかり、ました……覚えているのは、そこまでです……」
蓮花がそう答えると、吸血鬼は「そう」と言って少しの間黙り込む。
「君があの魔術師に胸を貫かれた時、僕は激昂してあの魔術師を殺そうとした……でもあの魔術師、規格外で……殺せなくて……あしらわれた上に正気に戻された……」
悔やむ、と言うよりも負け惜しむような声で蓮花はあの日のことを語り出す。
「君はどう見たって致命傷で……虫の息で……なんで生きてるのかわかんないような状態で……ああ、そうだよ畜生……あいつに正気に戻してもらっていなかったら僕は君の最期にさえ立ち会えなかった……あのままあの魔術師と殺し合っていれば、君は僕が知らないうちに死んでいた……!!」
その言葉の端々まで満ちる怒りに、蓮花の肌にぶわりと鳥肌が立つ。
「笑ってよ、本当なら千回殺しても足りないくらいの敵の慈悲がなければ、僕は君を一人で死なせていたんだ」
笑えるわけがない、蓮花はそう思ったが何も言えなかった。
「……正気に戻って、血塗れの君に、最後に抱きしめて欲しいと頼まれて……その通りにしたら、君、笑ったんだ……世界一の幸せ者みたいな、顔で……それで君は最期に背から石を……綺麗な、桜と橙が混じった、綺麗な石をはやして、目を閉じた」
「桜と、橙……」
その色の石がはえたことは今まで一度もなかった。
橙色ならあるが、桜色は一度もなかった、少なくとも蓮花は知らない。
それにしてもその色は、皮肉なことにきっと蓮花という名前の元となった石と同じ色をしていたのだろう。
「僕は君を生かそうとしたよ。致命傷だったけど、眷属にすればまだなんとかなりそうだったから……それなのに君、笑ってるんだ……痛くて仕方なかっただろうに、これが君にとって一番幸せな死に方だっていうのが、嫌でもわかるくらい……生かすのは酷だと、思うくらいに」
でも、と吸血鬼はその声をさらに翳らせた。
「追い討ちみたいにあの魔術師がこう言ったんだ……『貴様はこの少女を別にそこまで愛してなどおらんのだろう? 他に欲するものがある貴様が、彼女を愛してやれない貴様が、彼女を救えるとでも?』『死なせてやりなさい。彼女は笑って死を受け入れたのだ』『きっと、この死に方は彼女にとって最良の死に方であったのだから』……あの時はその通りだと思ったよ、今この瞬間に言われたら一部は完全に否定できたけど、それでもその通りだったんだ……」
確かにその通りだと蓮花は思った。
蓮花は笑って死を受け入れたし、あれは最良の、最良すぎる死に方だった。
「だって僕には弟がいる……同じ時に生まれ、同じ苦痛を受けた弟を……弟がどこかで生きている、それにすがってあの日からなんとか生きてきた……だから弟を、一番の席からどかすわけにはいかなかったんだ……それだけは無理だった……それだけは代えられなかた……兄として生きてきた僕にそれはできなかった……君を、一番には想えない。……でも同時に気付いたんだ……君の代わりにできる誰かも、いないんだって…………だから僕は君を生かすことにした。魔術師はいつの間にか姿を消していた……どうして君の死を見届けずにあいつが消えたのかは、今でも理由がわからない……」
それは単純に見逃してくれたのか、吸血鬼では蓮花を生かせないと判断したのか、最期の時を二人きりで過ごさせてやろうという慈悲のつもりだったのか。
超能力者を救済するために殺し続けているというあの狂った聖人がどういった意図であの場から姿を消したのか、その理由は結局わからずじまいだった。
「でも消えてくれていてよかった……そのおかげで僕はなんとか君を眷属にすることができた……傷が完全に塞がって、冷たかった身体にぬくもりが戻って……少し、泣いた」
泣いた、という言葉に蓮花は大きく目を見開いた。
どうして、という言葉を蓮花は飲み込んだ。
それは聞いてはいけない気がしたのだ。
「でも、どうしても君を目覚めさせることはできなかった……君が死にたがっていたのも、あの死に方が君にとって幸福なものであったこともわかっていたから……目を覚ました君が、何を思いどうするのかを考えると、どうしても無理だった」
目を覚ました蓮花が何を思い、どう思ったのか。
その答えを蓮花は知っている、魔女に起こされたあの時蓮花は死ねなかったという絶望と今すぐ死んでしまいたいという衝動に支配された。
それでも自分を生かした吸血鬼の真意が知りたくて、蓮花は死ぬのを我慢して博物館から出て古都行きの新幹線に飛び乗ったのだ。
吸血鬼の真意を知って、後腐れなく死ぬために。
「吸血鬼は自分が作った眷属をある程度支配できる。僕はその力で君を深い眠りにつかせたんだ……君を生かすべきか、それとも殺すべきか、その答えが出るまで君の目覚めを先延ばしにすることにした……どうするのが正解だったのか僕にはもうわからなかったんだ。生きている君にそばにいてほしかったし、同じくらい死なせてあげたかった……」
迷子のような暗い声で語り続けた吸血鬼は、そこで深く呼吸をした。
「君を僕の眷属にしたあと……どこから嗅ぎつけてきたのか博物館の奴らが来てね……普段の僕なら問題なかったんだけど、あの時はあの魔術師とやりあったのと君を眷属にするので一度心臓を駄目にしてたから、回復が間に合っていなかった」
「…………え? 心臓をダメに、ってどういう?」
なんだか聞き流せない物騒な話をされたので、おとなしく話を聞いていた蓮花は思わず声を上げた。
「ああ、ちゃんと教えてなかったっけ? 吸血鬼の眷属の作り方」
「血を飲ませるだけなんじゃ」
蓮花はそのような話をあの博物館で聞かされた。
伝説や物語とは違って血を吸われるのではないのか、と思った覚えがある。
「血は血でも心臓のじゃないと駄目なんだよ。心臓以外の血を飲ませたとしても一時的に治癒力が高まるだけで眷属にはできない。力が強い吸血鬼だとどこの血を使っても眷属にできるらしいけど、僕はそこまで強くないから心臓のを使わないと無理」
「……じゃあ私を生かすためだけに、心臓を」
「そうだよ。ナイフで胸を突いて心臓を裂いてその血を君に無理矢理飲ませた」
「そんな……」
蓮花はそれを想像した、自ら胸を突くその痛みを。
そんなことをさせてしまったのかと顔を青ざめさせた蓮花の頭を吸血鬼は優しい手つきで撫でた。
「ああ、別に大して痛くなかったから気にしないで。僕は人間とは違う生物だ、だから人間よりもずっとずっと痛みには鈍い」
だからといっても、それで気にせずにいられるわけがない。
そう言おうとした蓮花だったが、吸血鬼の方が先に話し始めてしまったので黙り込む。
「とはいってもはじめてのことだったから流石に君を守りつつ戦えるような状態でもなかった……満身創痍というほどでもなかったけど、抵抗し切れるほど体力は残っていないのは自分でもわかってた。だからおとなしく従うことにしたんだ……わざと満身創痍を装って、それでも君を絶対に手放さないように抱きしめて、なんでもするからこの子の傍にいさせてくれと涙ながらに命乞いした……我ながら、大した演技力だと思ったよ」
悪戯が成功したような笑顔で吸血鬼は楽しげにそう言う。
「まあ、博物館に着く頃には体力回復したからそこで反撃して、君を傷付けたりそれを楽しんでた奴は軒並み殺しちゃったけど」
「……え?」
やけにあっさりと言い放たれたその言葉に蓮花は目を丸くする。
「ああ、でもその時は客までは手が回ってなかった。職員の方は大方仕留められたんだけど、その場にいない奴は流石に無理だった」
いやいや、ちょっと待ってほしいと蓮花は突っ込みの言葉を入れたかったのだが、吸血鬼はそんな蓮花の様子に気付かず一方的に話を進める。
「君にご執心だった奴等はあの博物館の中でも特に頭のおかしいキチガイだったらしくてね、そいつらが死んだだけでそこそこまとも……というか元々はまともだった奴らが残った……僕はその生き残りを脅したんだ、僕に従え、さもなくば殺すって。とはいっても僕もそれほど鬼じゃないから、君と僕に関わること以外には何も口を出さなかったよ」
そう言って吸血鬼は神様みたいな顔で笑った。
蓮花はその笑顔に何も言えなかった、ただ呆然と見ていることしかできなかった。
「客も最終的にはほとんど殺せたはずだから安心して? 君が戻ってきたと、君を使った見世物をするという嘘の知らせを出させたら簡単に群がってきたから、全員一網打尽に……ああ、死体は博物館の奴らに処理させたから、君以外の誰かを喰ったりはしてない、そこは誤解しないでほしい」
浮気を疑われた亭主のような顔で吸血鬼は慌てて最後にそう付け加えた。
信じてくれるだろうかとでも言いたげな不安げな瞳で蓮花を見詰め、ようやく口を閉じてくれた彼の顔を見つめながら蓮花は恐る恐る問いかける。
「ま……待ってください……人を、殺してしまったのですか?」
「そうだよ?」
それが一体どうしたとでも言い出しそうな声色で、吸血鬼はやけにあっさりと答えた。
「なんで……」
「なんでって、君に触れるどころか傷をつけて血を流させたような奴らを生かしておく理由なんてある? 君が痛めつけられる姿を見て興奮してるような外道をなんで生かしておかなきゃならないの?」
きょとんとした顔で吸血鬼はそう言った。
そして不思議そうな顔でこう問いかけてくる。
「なんでそんな顔するの?」
なんでもなにもない、この吸血鬼はたった今、蓮花を理由に人を殺したと言ったのだ、それも大勢。
「だって、私のせいで」
「はあ? なんでそうなるの? 僕が気に食わなかったから殺しただけだよ? だから別に君のせいではない」
「でもその人達を気に食わないと思ったのは、私が理由、なのでしょう?」
「そりゃあそうだけど……でも別に大したことじゃないじゃん、外道がいくら死んだところで……君だってゴキブリ……いやそれは無理っぽいな……それでも蠅や蚊くらいなら叩き潰して殺すだろう? それと何が変わるっていうの?」
流石にそれは違うだろうと蓮花は思った。
人と虫では大違いだ、命ある生物であることは変わりないが、とにかく違うと蓮花は思った。
ちなみに余談でしかないが蓮花が母親と住んでいたアパートには割とゴキブリが出たので蓮花はゴキブリ程度なら普通に叩き潰せる、流石に素手では触りたくないがどうしようもなければ素手でも冷静に処理できる、なんなら鼠もいける。
というか蓮花の母親が害虫害獣の類を見るとたとえどんな状態でも蓮花に「なんとかして」と悲鳴を上げて泣きついてくるような人だったので、そういう生物の処理は普通の人に比べると格段に上手い、と蓮花は自覚している。
そんなふうに虫や小動物の命くらいなら平然と奪える蓮花でも、流石にそれとこれとは話が別だと強く思った。
「違う、って言いたげな顔だね。確かに君にとってはいくら外道だろうがクズだろうが同じ生物だから気になっちゃうか……でもあんまり深く考えないでほしいな」
「そういわれても……」
「んー……ちょっと失敗したな、これも黙っとけばよかった……まあいいや、ここで倫理観とかそういう話をしてもどうしようもないし、こんなところで時間かけても仕方ないから、話を進めるね」
少し面倒くさそうな顔で吸血鬼はそう言った。
蓮花としてはもう少し考えたいというか考えるべき事であると思ったのだが、吸血鬼は蓮花の唇に人差し指を突きつけて無言で黙らせた。
「邪魔な奴を処理した後、どうしようかと思ったけど……もうしばらくはこの国に留まることにした。君を連れて英国に戻ってもいいけど、しばらく音信不通にしてたのと博物館側が僕の所業……ああこれは君を連れ出した時の所業をチクってたらしくて、色々と面倒だなあって思って……といっても、上の連中もどこまで把握していたのやら……僕は死にかけの超能力者を救ってほしいと指示されただけだったし……あいつらのことだから僕がここまでするのも見越して、ここを潰させようとしてたっていう可能性もなくはないし、いやでも結局あいつら金さえ手に入ればどうでもいいような奴らばかりだし…………というか吸血鬼は本当はその程度で人間を眷属にするような生物じゃないんだけどね……ただ僕は弟以外を愛さない自信があったし……法外な報酬を払われたから別にいいかって……」
と、話している途中で吸血鬼が小さく首を横に振る。
「ごめん、ちょっと脱線した。……とにかく僕は君を連れて英国に戻るかどうか迷って、英国でのあれこれが面倒だったからしばらくこの国にとどまることにしたんだ。博物館に長居する理由は特になかったんだけど、利用できるものは利用した方が楽だと思ったからしばらくあそこに留まることにした」
それから彼は数週間程度あの博物館で特に何もせずにぼうっと過ごし続けたこと、ある日思い立って気晴らしに旅行に行くことにした、という経緯を語った。
「君を連れて行っても良かったけど……昏睡状態の君を抱えての移動は不便だし怪しまれるし……それと一度君から物理的に距離をとって色々と考えたかったんだ。……そばにいるだけで、気が狂いそうになったこともあるし……僕のいないところに君を放置するのは心苦しかったけど、博物館の連中は散々脅してやったし色々と小細工もしたから数日程度なら問題ないと判断した…………それで二泊くらいの予定で遠出をすることにしたんだ。行き先を古都にしたのは、前に君が行きたがっていたことを思い出したからだった」
「そうなんですか……弟さんがいるという情報を掴んだのか、と」
蓮花がそう問いかけると、吸血鬼は小さく首を横に振った。
「いや、違う。……というか僕は弟が国内にいるとは思ってなかったんだ……国内よりも英国とかそれ以外の国の方がいる可能性高いと思っていたし……弟を見つけてしまったのは……ただの偶然だった」
「そう、だったんですか……」
「うん、本当に偶然。まさか弟を見つけるだなんて思っていなかった……だってあの旅は君と物理的に離れて、頭を冷やして整理するためだけの旅だったのに、といっても結局君のことばかり考えてた気がする……色んなところを一人で見たよ、君が見たらどういう反応するかなとか思いながら……ちょうど紅葉が綺麗な時期で、落ち葉が雪みたいに振ってきて……君がこれを見たらどんな顔をするかなと思っていた時だった」
そう言って、吸血鬼は言葉を止めた。
それから少しして、小さな声でこう続けた。
「……少し離れたところに、弟がいることに気付いたんだ。弟は僕には気付いていなくて……それで、その隣にあいつがいた」
「あいつ、って……」
「僕と弟の幼馴染、僕等と一緒についでで誘拐された、僕達……いや、弟の心を追い詰めるためだけに誘拐された、その女が」
そう言った吸血鬼の顔にははっきりとした嫌悪と、それから嫉妬の色が見えた。
「その瞬間、僕の中から君が消えた。ただあの女への怒りしかなかった」
暗く憎悪に満ち溢れた、それなのにとても静かな声色で吸血鬼はそう言った。
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