じごくにおちろ
言いようのない気持ち悪さに蓮花はガタガタと震えながら希うように吸血鬼の顔を見上げた。
「やめ……やめて、ください…………そんなこと、いわない、で……」
蓮花が気持ち悪いと思っているのは吸血鬼ではない、吸血鬼に愛されていると実感を持ち始めてしまった自分のことがどうしようもなく穢らわしくて低俗な存在に思えてしまって、とてもとても気持ち悪いのだ。
自分は、こんな美しく尊い存在を貶めてしまった。
そんなおこがましいにもほどがある罪悪感が蓮花の心を締め付ける。
一方拒絶された吸血鬼は一瞬だけ目を見開き絶望に似た表情を浮かべたが、すぐに蓮花の拒絶の言葉の真意を悟ったのか口元を吊り上げ、薄く笑った。
「やめない」
首を弱々しく横に振って拒絶の姿勢を見せる蓮花の額を片手で抑えて、吸血鬼はゆっくりと言い聞かせるようにそう言った。
「っ!?」
「愛してる。二番目だけどそこは妥協して欲しい、僕にとっての一番は絶対にかえてはいけない存在だから、そう決めてるからどうしたって君を一番にはできないけれど……それでもこの世に存在する誰よりも何よりも君を深く愛している自信があるよ」
不満だろうけど、と言いながら吸血鬼は蓮花の髪に触れ、指先で弄び始めた。
「ああ……そうだ、身体と血しか愛していないと思われるのも癪だからそれ以外に君の愛しいところを言ってあげる」
「い、言わなくていいですというかないでしょうそんなの」
やっと口を開けた蓮花に吸血鬼は笑う。
「あるよ」
「あるんですか?? いやまさか……」
どうせ何もないに決まっている、出まかせに違いないと蓮花はタカを括るが、そんな蓮花の顔を見て吸血鬼は笑みを浮かべる。
「こんな僕に縋ってくれる君が好きだ。どうしようもない悪夢に魘されて、それでも僕が宥めると安心してすっかり気を抜いてしまう君の愚かさが愛しくて仕方ない」
蓮花は不意打ちで毒を飲まされたような顔で目を見開いて黙り込む。
「僕みたいなどうしようもない化物に救われてくれて、慕ってくれて、死にたくてどうしようもないくせに生きてそばにいてくれた……ああ、そうか」
吸血鬼は何かに納得したような笑みを浮かべ、蓮花の頬に指先を添えた。
その顔は蓮花が初めて見るどこにでもいる年相応の少年のような笑顔だった。
「なんだ……僕はちゃんと君のことが好きだったんじゃないか」
くすくすと小さく微笑む吸血鬼とは正反対に、蓮花の顔色は悪い。
「なんで……なんでわたしなんですか……」
「たった今までそれを長々と話し続けたつもりだけど、まだ足りない?」
逆にそう問われて蓮花は押し黙る。
それは確かにその通りだった。
「君にとって僕のこの感情を受け入れるのは容易ではないだろうね。受け入れるどころかそういう感情を向けられていることすら認められないし、だから拒絶することすら出来ないんだ。これでも顔面引っ叩かれて二度とその面見せるなと怒鳴り散らされるようなことを言っている自覚はある……自分勝手で無茶苦茶なことを僕は言った。それでも君は拒絶すらできないんだ……だって君、自分のことが大嫌いなんだろう? 自分のことをこの世で一番悪いと思っているような子が他人からの愛をそう簡単に受け入れられるわけがない、それを認めてはいけないと、それが一番罪深いことだと思っている……言いたくなかったけど僕は一人そういう奴をよく知っているから……それはわかる」
静かにそう言って、吸血鬼は縋り付くように蓮花の両肩を掴んだ。
「それでも否定だけはしないでくれ。全てを理解しろとも言わない、ほんの少し、本当に少しだけでいい……頼むよ」
哀願するようなその声に蓮花は答えられなかった。
身体の一番奥の、何かとても大事なところを百足のような気持ちの悪い虫が何匹も何十匹も這い回っているような得体の知れない気持ち悪さを蓮花は感じていた。
脂汗がだらだらと蓮花の額を流れていく。
受け入れてしまえと蓮花の中に存在する醜悪な何かが囁く。
しかし蓮花はそれに反論する、いいや駄目だ、自分は人を殺した。
直接手にかけたわけではないけれど、確かに自分は自分の母親を死に追いやった。
愛なんてとっくになかったのに、それでも蓮花を一番に愛すべきだと自分を追い詰め続け、そして壊れてしまったひとを。
自分なんて害悪以外の何者だ、お前なんかと言われた時点で死んでいれば、もう一度愛されようだなんて思わなければあのひとは死なずに済んだのに。
こんな自分が、地獄に堕ちるべき人殺しが誰かに愛されて良いわけがない、誰かに大事にされてはいけないのだ。
こんなどうしようもない自分が誰かの『愛』という尊く大切な感情を受け取ってはいけない、それはもっとまともで善良な誰かに与えられるべきものだ、自分のような害悪が奪い取ってはいけないものだ。
だから、自分はもっと早くに死ぬべきだった。
そうすれば目の前にいるこの吸血鬼だって、こんなふうに追い詰められることはなかっただろう。
蓮花はやはり、最終的にそこに行きついてしまった。
それがただの思考放棄、逃げであることを理解しながら、最終的にどうしても『もっと早くに死んでしまえばよかった』という答えに行きついてしまう。
蓮花は本当は母親の死を知ったその瞬間に死んでいるはずだった。
背からただ綺麗なだけの石の翼をはやして、それでおしまいになるはずだった人生を他人によって無理矢理続けさせられてしまった。
何かの間違えでここまで生きてしまった蓮花は、その間違えによって自身が犯した罪に、一人の吸血鬼の心を狂わせてしまった事実に耐えきれない。
無理だった。
どうしても受け入れようがない。
そう答えようとする蓮花と、吸血鬼の目があった。
小さな子供が縋り付くような不安げな目だった。
迷子の子供のような、ほんの少しの力で死んでしまいそうな、弱々しい目。
「……正直言って、信じたくないんです」
蓮花の口が勝手に言葉を紡ぐ、言うべき言葉とは真反対の何かを吐こうとする。
「吸血鬼さんが言った通り、私は今、自分が気持ち悪くて仕方ない……あなたに愛されているだなんて自覚を持ち始めてしまっている自分自身が、気持ち悪くて仕方がない……だって私はこんなにも出来損ないで、人殺しで、どうしようもない人間だから……あなたみたいに綺麗な人が私なんかを好いているなんて……そんなふうに都合の良いことを考えてしまう自分が、とてもとても気持ちが悪い」
ほとんど衝動的に吐き出されたその言葉を止めるべきなのか、続けるべきなのか蓮花には判断がつかなかった。
きっと、止めるべきだったのだろう、そこから先はきっと本当のことではなくなってしまうだろうから。
しかし蓮花はそこで止まれなかった。
「それでも…………とても信じられるような話ではないけれど……あなたがそういうのなら……頑張って、信じます」
言ってしまった。
言い切ってしまった。
きっとこの言葉は嘘になる。
それでも言ってしまった。
だってそうとでも言わなければこの美しい吸血鬼の何もかもが壊れてしまうような気がしたのだ。
それが嫌で、そちらの方がよほど罪深いことであるような気がして、蓮花はどうしようもないほどの嫌悪感を殺してなんとかその嘘を口にしたのだった。
吸血鬼は何も言わずに蓮花の顔をじっと見て、そして笑った。
「ありがとう」
安堵したような気の抜けた笑みで、今まで一度も聞いたことがないくらい嬉しそうな声でそう礼を言われた蓮花は、罪悪感とそのほか様々な感情で心が押しつぶされそうになった。
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