妄言と嫉妬
「君は本当に何もかもが勘に触る。呑気で能天気で無神経で頭も悪いし空気も読まないし…………ああ、でも一番許せなかったのは……一番最悪だったのはよりにもよってこんな君が、誰かに愛されてみたいとか言い出した時だ」
「……?」
蓮花は小さく首を傾げた、そんな事を言ったことがあっただろうかと蓮花は記憶を探る。
「誰かに一番に愛されてみたかった、大事にされてみたかったと諦めたように笑いながらそう言うその舌を引っこ抜いて、口を縫い付けて二度と口をきけないようにしてやろうかと思ったよ……」
「えっ……と」
確かに蓮花はそういうありえない妄想を何度か抱いた事がある、しかしそれをこの吸血鬼に話したことがあったかどうかは思い出せなかった。
蓮花は自分がこんなことを吸血鬼に話すとは思えなかった。
困惑する蓮花の様子に気付いていないのか、気付いた上であえて無視しているのか吸血鬼は言葉を続ける。
「君みたいな自己嫌悪の塊みたいな最悪な女が、誰かに愛されたいだって? 大事にされたいだって? それでそれがありえないだって? よくもそんな口を堂々と僕の前できけたものものだといっそ感心したよ……無知も鈍感も過ぎれば罪だ。そりゃあ僕だって君に面と向かって愛しているだとか言ったことはなかったし……むしろ否定していたけど……それでも酷いと思わない? 愛している素振りは見せないようにはしていたけど、これでも大事にはしていたつもりだったんだよ?」
「きゅうけつきさん、ちょっと……」
蓮花は待ったをかけようとしたが、吸血鬼はそれを完全に無視して話を続ける。
「ああ、でも君の理想は『誰かにとっての一番』か。それじゃあ君のことを一番には思わない化物がいくら君を大事に扱おうと君にとってはどうでもいいってことか」
「いえ、それはちが」
「違わないね、でなけりゃこんな無神経なことをわざわざ言う訳がない。愛されたいという理想を言うことはあるかもしれないけど、絶対にありえないとまで言い切るか?」
そう言われた蓮花は押し黙る。
そう言った記憶はまだ思い出せないが、もしも蓮花が本当にそんな言動をしていたというのであればそれは自分を救ってそばに置いてくれたこの人に対してとても失礼なことだ。
しかし、そんなことを本当に自分は言っただろうか?
ほんとうに心当たりがない。
蓮香が必死に記憶を探しているうちに吸血鬼は再び口を開く。
「君にとっての一番は、いもしない君を一番に愛してくれる誰かなんだ。それさえいれば君はそれ以外の何もかもがきっとどうでもよくなる……仮にその誰かが現れて、そいつに一番に愛されれば、君は僕のことなんて簡単に忘れて幸せになるんだ……そう考えるだけでいもしないその誰かを八つ裂きにしてやりたくなる」
簡単に忘れる、と言い切られた蓮花は思わず口を挟んだ。
「それはありません、忘れたりしない……それだけはないです。だってあなたは私の」
「恩人、だからだろう? 君にとって僕はたったそれだけの存在に過ぎないんだ」
そう言いながら吸血鬼は蓮花の喉にその白い掌を向ける。
ゆっくりと近付いてくるそれを見ながら、蓮花はようやく本題を切り出した。
「というか、ですね……そのですね…………私、そんなこと言いましたっけ?」
蓮香がやっとそう言えたその瞬間の吸血鬼の顔はあまりにも酷いものだった。
吸血鬼の指先が蓮花の喉にかかる寸前で止まっている。
まるで時が止まったかのように黙り込んでしまった吸血鬼の顔を見て、蓮花は必死に記憶を探る。
「ま、待ってください今ちゃんと思い出すので………」
探って探って、蓮花はやっと心当たりのある記憶に辿り着いた。
「………あ、言いましたね、思い出しました……すみません」
あの逃避行のいつの頃だったかは忘れたが、何気なくそんなようなことを言ったことを蓮花は辛うじて思い出す。
確か石がはえた直後で、意識が非常に曖昧だった時にぽつりぽつりとそんなことを言ったような気がしてきた。
蓮花にとっては宝くじを買うたびに必ず一等賞が当たればいいと思うくらいありえない夢物語だったし、こんな自分がなんであんなことを口にしてしまったのだろうかとすぐに自己嫌悪に陥って意図的に忘れようとして、実際たった今指摘されるまで忘れていたのだった。
「………………は?」
吸血鬼は呆気に取られたような顔で蓮花の顔を見下ろしている。
蓮花にとっては意識が朦朧としている時に何気なく呟いたどうでもよくてすぐに忘れてしまいたい恥だったが、吸血鬼にとっては違ったらしい。
一番許せなかったと言うくらい心に深く残るものだったようだ。
互いの認識の差があまりにも乖離していたため二人は互いの顔を呆然と見た。
「……あれは君にとって言った事すら忘れるくらいどうでもいい事だったの?」
「ええ、まあ……はい……」
蓮花は正直に首を縦に振った。
「あと、あの時意識が朦朧としてて……本当はあんなこと言うつもりはなかったんです……その、大変無神経なことを言ってしまってごめんなさい……」
吸血鬼は言葉を失ってしまったのか、何も言わずにただただ目を大きく見開いて蓮花の顔を凝視し続けるだけだった。
「えっと、ですね……あれは本当に頭が働いていない時にうっかり言ってしまった夢物語というか戯言だったので……その、あんまり気にしないでいてくれると…………今更、ですけど」
それを言った日の翌朝にでも蓮花が一言謝罪の言葉を言っていれば済んだ話だったのだろうが、蓮花は翌朝にはすっかり自分が言ったことを忘れていたのである。
「ぼくは、きみの戯言にただ馬鹿みたいに振り回されていただけだったってこと?」
申し訳ないけどその通りでしかなかったので蓮花は小さく首を縦に振った。
だってあんな戯言をまさかこの人がこんなにも間に受けるだなんて蓮花は夢にも思ってもいなかったのである。
小さく首を縦に振った蓮花の顔を見て、吸血鬼は蓮花の喉から手を引っ込めた。
そしてその手で自らの顔を覆って、大声で笑い始めた。
「きゅ、吸血鬼さん……!?」
蓮花の声は吸血鬼の笑い声によって掻き消えた。
吸血鬼は、ただただ笑う。
声だけ聞いていればそれは非常に楽しげだ。
それでも片手だけでは隠し切れていないその顔は大きく歪んでいて、今にも泣き出しそうに見えた。
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