パパラチアサファイア

 蓮花という名は、パパラチアサファイアという石の名から取ったのだとかつて彼女の母親は語った。

 何故その石から彼女の名前が名付けられたのかというと、結婚記念日に彼女の父親が彼女の母親にその石を贈ったからであったらしい。

 二人でその名を考えたその翌日の朝に、彼女の父親は交通事故によって息を引き取った。

 彼女の母親は、生まれた我が子をたった一人で育てた。

 駆け落ち同然に結婚したから誰にも頼れない状況で、必死に。

 最初の数年はただひたすらに努力すれば良かっただけだったが、数年経ってほんの少しの余裕が出てきたところで、彼女の母親は自分の人生に疑問を抱き始める。

 どうして自分だけがこんなに辛いのだろう。

 どうして誰も助けてくれないのだろう。

 この子さえ、いなければ、と。

 貧困による貧しい生活により、母親の心はどんどん荒み、愛しかったはずの我が子が憎たらしくて仕方が無くなってくる。

 彼女が中学に上がる頃の母親の口癖は『あんたさえいなければ』と『金さえあれば』の二つだった。

 それでも蓮花は母親のことを大事に思っていた、彼女には母親しかいなかったからだ。

 だから蓮花は、ある日盗みを働いた。

 金が足りない、何もかも足りないという母親のために、蓮花は馬鹿げた罪を働いた。

 お前さえいなければと囁かれ続けた彼女の心もどこかがおかしくなってしまっていて、正気ではなかったからそんな事をしてしまったのだ。

 罪はすぐさま暴かれた、それによって元から精神的な限界を迎えていた彼女の母親はその日の深夜、首を吊った。

 朝になって、自分の母親の遺体を目の当たりにした蓮花は自分の罪の重さを知った。

 蓮花は辛うじて救急車と警察を呼んで、その場に崩れ落ちた。

 母親を、死に追いやってしまった。

 その事実は彼女の心を一瞬で砕き、そして同時に彼女は自らの死を望んだ。

 その瞬間、彼女の背に青と黒の美しい石の翼が開いた。


 自分が母親を殺し、超能力者として覚醒したその瞬間の夢を見た蓮花は飛び起きた。

「…………」

 心臓が早鐘を打つ、誰かを求めるように彷徨った右手が掴むのは毛布ばかりで、求めたぬくもりには届かない。

 右手を左手で掴んで抑え、小さく深呼吸した蓮花は顔を上げた。

「ここ、は……ああ、そうだった」

 蓮花が眠っていたのは栫井と名乗った男の屋敷の一室だ。

 まだ暗いのでおそらく夜明け前、ひょっとしたら真夜中かもしれない。

 あの吸血鬼を待つと言った蓮花に、彼らはこの部屋を貸し与えてくれたのだ。

 理由はいくつかあるが、中でも特に大きい理由は二つ。

 不安定な超能力者を放置するわけにはいかないというのと、蓮花があの吸血鬼の人質として利用できるのではないか、というものだった。

 人質としては全く役に立たないはずだと蓮花は言ったが、あちらは万が一ということもある、と。

 あの吸血鬼は彼の弟に殺されるためにここにやってくるだろう。

 だがその時それ以外の事をやらかさない保障はない、彼の弟の大事な人を再び殺そうとするかもしれない。

 だから、その時のための人質として使える見込みのある人間は保険としてこちらで抑えておきたい、とあの少年は言った。

 それと同時に不適な笑みを浮かべながら、挑発するような口調でこう続けた。

『あいつがお前の言うような奴だったらお前は人質としてはなんの役にも立たない。それならお前があいつの邪魔になることはないだろう。……なら、お前は素直に僕らを利用してあいつを待てばいいだけの話だ』

 そう言われてしまうと確かにその通りだと蓮花は思ったので、この立場を利用させてもらうことにした。

 本当は適当な宿に泊まりつつ彼の弟に張り付いて彼の到着を待とうと思っていたのだが、そちらよりもずっと確実で楽だった。

 わざわざこちらにとってのやりやすい環境を与えてくれるというのであれば、甘んじてそれを受けよう。

 蓮花は単純にそう考えて、この屋敷の世話になることにしたのだ。

 そこまで思い出して、蓮花はもそもそとした動作で布団の中に潜り込む。

 もう一度眠れるだろうかと目を閉じてみたが、一向に眠気は襲ってこなかった。

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