吸血鬼の弟
渋い茶の匂いがする。
ぼんやりと少しずつ意識を取り戻していった蓮花は最初にそう思った。
嗅覚を意識した直後に聴覚が戻ってくる。
ゆっくりと目を開けると、見覚えのない天井が映った。
「……ここ、は」
ゆっくりと起き上がる、背中の痛みは何故かなかった。
あの吸血鬼の眷属にされたから、蓮花の身体は常人よりも傷の治りが早くなったようだとあの魔女は言っていた、だからもう傷が塞がったのかもしれない。
起き上がって、周囲を見る。
蓮花は畳敷きのそれほど広くない部屋に敷かれた白い布団に寝かせられていたようだ。
服装は元々着ていたブラウスから浴衣らしきものに変わっていた。
おそらくあのブラウスはもうダメになってしまったのだろう、だから着替えさせられた。
そんな推測を立てていると、視線を感じた。
「……!!?」
いつからいたのか、蓮花が寝かせられていた布団の枕元に小さな子供がちょこんと座っていた。
小学校低学年くらいの男の子だ。
硬直する蓮花の顔を少年は一度じいっと見つめた後、音もなく立ち上がって部屋の外に出ていってしまった。
「あ……」
言ってしまう前に何か聞ければよかったのだが、そんな隙もなく子供はいなくなってしまった。
どうしようかと蓮花が思っていると、複数の足音が聞こえてくる。
「目を覚ましたか」
開きっぱなしだった襖から、蓮花が気を失う前に出会ったあの金髪の少年が姿を表す。
ついでに見知らぬ男性と、それからその後ろに先程の子供がひょっこりと。
子供はどうやら蓮花が目を覚ましたことを彼らに伝えにいってくれたようである。
「はい……なんとか。あの、ここは……」
「ここは俺んちだよ」
そう言ったのは見知らぬ男性だった。
金髪の少年と子供は何も言わずに蓮花を見つめている。
「はあ……えっと……助けてくれたのはそちらの……」
「ここまで運んだのは僕だが、お前を治療したのはこっちだ……」
そう言って金髪の少年は子供の頭をぽんぽんと撫でる。
子供は何も言わずに無言で蓮花の顔を見続けている。
「ああ、着替えさせたのはここにはいないがこいつの嫁だ」
「あ、はい……その、いろいろとありがとうございます…………えっと、そのですね……見ました、よね……?」
男性を指差しながらぶっきらぼうにそう言った金髪の少年に蓮花がしどろもどろにそう問うと、金髪の少年が「これのことか」と蓮花に何かを差し出してくる。
黄色みの強い橙色の結晶だ。
長さは40センチよりも少し長い程度の、対の翼のような形状の石の塊。
「…………」
さて、どうしたものかと蓮花は少しだけ考える。
あの吸血鬼の弟であるのであれば、おそらくこの少年もおそらく吸血鬼なのだろう。
あの吸血鬼も確信は持てないがおそらくそうだと言っていた、少なくとも純粋な人でないことだけは確かだろう、と。
それならば、蓮花がこの身に抱え込んでいる呪いのような超能力を信じてくれるだろうか?
信じるも何も、目の前で見たのだから信じるしかないか。
そう結論付けた蓮花は一度深く呼吸をしてから口を開く。
「……ご覧になられた通り、私は超能力者です。強い感情を感じると背中からコランダム……サファイアとかルビーがはえてくる、っていう感じの……」
差し出された石の色を見て、素でこの色の石がはえたのは初めてだなと蓮花は思った。
クスリを打たれた時に何度か似たような色合いの石がはえた時もあったが、基本的に青や黒ばかりなので暖色の石がはえるのは珍しい。
「背中から、石が……それだけ、か?」
「ええ、基本的にそれだけです。感じた感情によって色が変わるのですが……はえてきた石も本当にただの石。綺麗なだけでなんの役にも立たない……ただの、鑑賞用の能力ですよ」
そう言って蓮花はうっすらと笑った。
「……能力の暴発を抑える薬を飲んではいたのですが、興奮して、つい……私、あなたのお兄さんに助けてもらって、それでずっと前から彼があなたを探してるって聞いてて……本当に大事な人だって言ってたから……ああ、ちゃんと生きていてよかったな、とか……あなたがここにいるから彼がここにきたのかなとか、いろいろと嬉しくなってしまって……」
「はあ……」
「……あ、えっと……彼の弟さんってことは、多分……その……あなたも吸血鬼、ですよね……この世界に超能力者とか、妖怪とか魔女とかそういうのが本当に存在しているのを、知ってる人……ですよね……?」
蓮花は今更のように認識のすり合わせを行った。
なんだか色々と話してしまったが、よく考えるとこの金髪の少年が何も知らない可能性だって多少はあるのだ。
「……ああ、そうだよ。僕は吸血鬼だしこっちの二人も異能力者だ」
「あ、そうですか……なら、よかった、です……」
ならば全く話が通じないということはないだろうと蓮花はひとまず安心する。
「それでお前は何者だ。超能力者だというのは分かったが……お前はあいつとどういう関係だ?」
「あ、はい……あの人は私を助けてくれた……恩人なんです。あの博物館から連れ出してもらって、それから……」
「博物館?」
「あ、えっとですね、博物館っていうのは超能力者が」
「ストップ」
唐突に、男性が口を挟んでくる。
「なんだ? お前何か知っているのか?」
「知ってる。だいぶ酷いところだよ。最近壊滅したって話だが……坊の前でするような話じゃないから、その辺でやめておいた方がいい」
坊、というのはおそらく子供のことなのだろう。
確かにこんな小さな子供に聞かせていいような話ではないなと蓮花は思った。
「わかった、ならそれはいい」
「は、はい、それではそこは省略して……そんな酷いところから連れ出してくれたのがあなたのお兄さんだったんです……元々、能力のせいで死にやすい私の治癒力の底上げのために、私を吸血鬼の眷属にしてほしい、って依頼されて博物館に来たらしいんですけど……私のこと助けてくれて……あそこから連れ出してくれて……」
蓮花の超能力は背中から石をはやすだけの能力だ。
肉を突き破りはえてきた石は誰かに抜いて貰わなければそのままだし、引き抜いてもらえたところで放置すれば出血により死ぬ。
毎度毎度のことなので多少は慣れてしまったが石がはえてくる時の痛みだってショック死してもおかしくないような激痛だ。
いいことなんて一つもないのだが、背から翼のような宝石をはやす少女という存在は観賞品としては需要が高かったらしく、簡単に死なれるわけにはいかなかったらしい。
だからあの吸血鬼は蓮花を死なせないためだけに呼ばれたのだという。
「あいつが……本当に?」
意外そうな顔の金髪の少年に、蓮花は一体何がおかしいのだろうかと思いながら答える。
「ええ……なんか、昔の自分達に重なって見てられなかった、って言ってましたよ……?」
「………………ああ、そうか」
深く納得したような顔で金髪の少年は小さく息をついた。
あの吸血鬼によると、吸血鬼とその弟、そして二人の幼馴染みは小学生の頃に誘拐され、監禁されていたそうだ。
そして、そこでとても酷い目にあったという。
だからもう見ていたくなかったとあの吸血鬼は蓮花に言っていた。
同情したわけでもなく、助けたいと思ったわけでもなく、ただ不快だったからだと。
――思い上がるな、誰がお前のことなんか。
――お前なんてどうなったっていい。誰に殺されようが誰に犯されようが、僕にはどうだって。
――それでも目の前で甚振られるのは癪だったから、ただそれだけだ。
そう言って、青い顔で自分を睨んだあの吸血鬼の顔を蓮花は思い出した。
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