ティータイム

酒匂右近

第1話

 電子世界から帰還して、事件解決から数日後。

 IDA全体での帰還者聞き取り調査が一通り終わった。健康診断など怒涛の業務量をこなし一息ついたころだった。 

 IDEAでも後処理にも目途がついた。

 やっと通常業務にもどれると肩の荷をおろした、その時。


 それは起こった。


 はじまりはヒスメナだった。

 様子がおかしいのだ。

 IDEAメンバーが話しかければ、普通に応対するものの。

 イスカが話しかけると事務的な口調で、業務外の話をしようとすればそそくさと姿を消すのだ。

「今日は自室に仕事を持ち帰りだそうです」

 明らかにイスカは避けられていた。

 ここ数日ヒスメナは作戦室に姿を見せていない。

 オペレーターが心配そうにイスカを見やる。

「事件の全貌は報告書で知った程度ですけど。あの切迫した状況では何があっても仕方ないと思います」

「そうだね……」

 背もたれに深く体を預けた。心当たりがないわけではない。

 むしろありすぎて言葉に詰まってしまう。

 中でもその最有力候補は。

 閉ざされた夢意識外に出るのはイスカだと思っていたが、土壇場でそれはヒスメナだと知らされたこと。

 ひとりだけ現実世界に強制復帰、解決に尽力させられたこと。

「…………」

 それは怒るだろう。

 相談なしに計画変更、孤軍奮闘させられたのだ。

 むしろ今まで怒らなかったのが不思議だ。

 電子世界内で再会したときは平静のように見えた。

 都合の良い夢に捕らわれていると、目を覚まさせてくれた。

(あの時は頑張り屋さんで、照れ隠しベタで、ヒスメナかわいいな、って思ってたんだったね)

 さすがに怒るかな、と覚悟していても何も言わなかった。

 それだけ事態が切迫していたせいだろうか。

 非常時であり、マザーとの対決を控えていたから。

 ヒスメナがイスカの所業を問いただす時間もなかった。

「まさか、今になってこじれるとはね……」















 +++ 


 ヒスメナは感情をどう処理するか迷っていた。

 仮住まいの寮の自室を引き払わないまま利用している。

 私物が増えた部屋も見るともなく、伸びをした。

 後処理がもうすぐ終わる。

 それは事件を振り返る余裕ができてしまったことでもある。

 IDEAでは及ばない交渉でルナブライトの威光を使う。

 確かにイスカではできないことだった。

 解決に尽力している最中、その選択が悔しいほど理解できた。

 けれど感情が納得していたかは別だ。

 電子世界の箱庭に閉じ込められることになったとしても。

 そこにイスカがいるなら、と考えてしまったことも。

 ルナブライト家にまつわる面倒ごとも、もう考えなくても済むとなげやりになったことさえも。

 すべて見透かされていたようで恥ずかしくなる。

 ひとり現実で目が覚めた時は横っ面を叩かれたような心地がした。『まだあきらめるには早いだろう?』とイスカの声が聞こえた気さえした。

 

 昏睡して目覚めない仲間を見た時の絶望を、ひとりぼっちになってしまった、あの怖さとさみしさを。

 再会した時、本当はイスカにぶつけてしまいたかった。

 ぶつけられなかった憤りを、代わりに自室のクッションにぶつけた。手ごたえのない感触が返ってくるばかり。

 嘆息する。それで気持ちが晴れるようなら苦労はしていない。

 体を倒しクッションに頭をのせた。

『よくもわたしだけ外に出して、楽隠居を決め込んでくれたわね? 前もって言ってくれたらよかったじゃない?』

 笑顔で問い詰めるつもりだったのに。

 できなくなってしまった。

 イスカの見ていた「夢」を知ってしまったから。

 IDEA会長ではなく、ひとりの一般生徒として学生生活を謳歌する。それがイスカの望みだった。

 理想の世界から出たくないと、イスカでさえ捕らわれていた。

『イスカにとってIDEA会長は望ましいものではない?』


 そんな疑念が湧いて、何も言えなくなってしまった。

 

 電子世界崩壊時でさえも。 

 マザーと心中するマナへと手を伸ばした。けれどイスカに制されて無理やり連れ出された。

 アルドも同様にクロードに連れ出されていた。

 ふたりは戦局を俯瞰する視点があった。

 自分だけでなく、仲間の身を守る余裕すらあった。

 ルナブライトを継ぐならば、人の上に立つのであればその視点はヒスメナに必要であったものだ。

 だがヒスメナはその資質に欠けている。

 唇を噛んだ。

 それどころか感情を優先して、自身の身の安全よりも、誰かを案じ状況把握を疎かにしてしまった。

 結果イスカに守られることになってしまった。

 一番槍が最後方の会長に守られるなんて。

 自分が腹立たしくて仕方ない。 

 イスカの指揮官として、人の上に立つものとしての資質は疑いようもない。

 けれど、イスカが望んで得たものではないとしたら?


「…………感情が追い付かないわ」

 夢意識で得たものは、たくさんありすぎて。

 溶けるようにクッションに顔をうずめた。


「ヒスメナ、いるかい?」


 インターホンが鳴り、イスカの声がした。

「いないわ」

 堂々とした居留守に苦笑が返ってくる。

「IDEAメンバーから差し入れだよ」

 大量のお菓子が入った袋がカメラに映った。

 オペレーターたちが案じているのはわかっている。

 深く深く嘆息した。もう立ち会うしかないらしい。

 ロックを解除してイスカを自室に招き入れる。 

「……………………あがってちょうだい」

「お邪魔するよ」 

 物珍しそうに部屋を見回しているイスカを尻目に、カップとお茶を用意する。

「散らかってるけど、適当にくつろいでちょうだい」

「ヒスメナの部屋に来るのは初めてかな」

「しばらく実家から通学だったもの」

 寮生の気分を味わえるのは楽しくて、いろいろやりすぎたのを覚えている。手ぶらで部屋を行き来したり、フカヒレちゃんと徹夜でゲームしたときとか。

「アルドたちの部屋にも遊びに行ってるでしょ?」

 部屋のつくりは同じだから、そう変わりはないはずだけれど。

「ヒスメナたちのように、何かのついでに遊びに行くというのは難しいからね。そう頻繁ではないから」

 みんながうらやましい、と顔に書いてある。

「あなたの部屋はセキュリティ検査が多いから」

 イスカの研究成果を産業スパイが狙うのだから仕方ない。


『仕方ない』なんて。


 その言葉はイスカの周りにあふれすぎではないだろうか。

「イスカは満足しているの?」

 現状に、自身に、その能力に。 


 単刀直入に切り込んだ。

 前置き抜きで目を丸くしている。

 まわりくどいのが苦手なのは、あなたも知っているでしょう。

 IDEAの一番槍はまっすぐに最短距離を行くのだから。

「IDEA会長をしていていいの? ほかにやりたいことがあるんじゃないの?」

 能力適性があるからといって本当にそれをやるかどうかは、また別の問題だから。やりたくないなら無理にやらずに、ほかの誰かに任せてしまえばいい。

 イスカだってIDEA会長を辞めて別のことをしてもいい。

 その選択肢はあるはずだ。

 私の決死の追及に、イスカは。


「ふふっ」

「なんで今、吹き出したの!?」


「それを言ってくれたのは、ヒスメナで二人目だから」

 イスカがそんなにも嬉しそうに笑うものだから。

 それ以上怒るに怒れなくなってしまった。

 しばらくしてイスカが目元を拭っているのが見えた。

 気を取り直すようにお茶を口に含んだ。


「確かに、会長職が重荷に感じることもあるね」

 私宛ではなく限りなく本音に近い独白に聞こえた。

「イスカの適性が高すぎるのよ。もう少し手を抜いてデータをごまかしたって誰も怒りはしないのに」

「ヒスメナが怒ってくれるからいいよ」

 イスカは自分のことには、あまりに無頓着すぎる。

「そもそも私はあなたに怒ってたんだから、それを忘れないでちょうだい?」

「あの時は面倒ごとを丸投げしてすまなかったね」

「謝罪が今更で雑過ぎるわ。本当に怖かったのよ?」

 腕を組んで、顔をしかめて怒っているポーズを取る。

 目覚めない仲間をひとり見るのが、どれほど怖かったか。 

「ごめんね、わたしではダメだったから」

「私もごめんなさい。わかってはいるの」

 イスカ1人では早期解決できなかっただろうことも。

 あの時点で選べる方法はそう多くなかったことも。

 説明する時間すらなかったことも。

 ただ、感情が追い付かなかった。

「だから、この件はこれでおしまいよ。オペレーターたちに心配かけたことを謝っておかなくちゃ」

 見守るだけに留めてくれていたのはありがたい。

『小学生のケンカでも、もっとわかりやすいですよ!』

『ケンカするでもなく避けるだけでじれったかったです!』

『もっとおふたりはぶつかってください!』

 後日、そう言われてしまったのは別の話。

「わたしの悪いクセだね。誰かの気持ちを疎かにしてしまう」

「前は合理主義の鬼だって言われてたわね」

「殊勝になっただけマシだって言ってくれないかい?」

 クスクス笑い合った。

「でもヒスメナの夢意識、わたしも見たかったかな」

「それは絶対やめてちょうだい? イスカのは迷宮みたいになってそうだけど」

「万が一でも、わたしの夢意識は見ない方がいいよ」

 悲しそうな顔で苦笑を浮かべている。

 もしイスカの夢意識に入れたとしたら、見てみたかったかもしれない。そこには一般制服のイスカがいるだろうから。

「でもね、わたしにだってやりたいことはあるよ」

 ぽつりと。湯気の立つ紅茶を見下ろして口を開いた。


「会って叱ってあげなくちゃいけない子がいるんだ。 

 だけど、わたしには力が足りなかった。犯罪組織は一枚岩ではないし、ただの学生であるわたしとあの子への道を阻むものはあまりにも多かった。他人は能力が高くて何でもできてすごい、って言うけれど。わたしひとりでは何もできなかった」

「だからわたしの言葉は届けることさえできなかった」 

 それはイスカの手痛い悔恨の記録。

「ひとりでなんでもできるからって思いあがって、わたしには協力者がいなかった。事件も起きて被害は広がってしまっていた。だからあの子を探すためにも、事件を未然に防ぐ意味でも、今は地固めの最中でもある」

 私を見返した瞳は、強い光が宿っていた。壁は多くても諦めないことを示していた。


「それに、一般生徒に戻る夢も諦めていないんだ」

 知ってる。

 夢に捕らわれてしまうほど切望しているんだって。

 

「ヒスメナにはわたしの夢をかなえるために手伝ってほしい」

「そう、いいわよ」

 面食らっている。珍しい顔をしていた。

 イスカとしては重大告白だったのだろうけど。

 前に言っていたでしょう? IDEAメンバーが私を助けたいと思ってくれているように、私もあなたを助けたいんだと。

「だったら私のことも手伝ってちょうだい。重すぎる家名を襲名するかどうか、猶予期間を得るために」

 イスカにあって私にないもの。

 人の上に立つ資質とカリスマ。その頭脳も。

 それは今後身に着けられるものか、わからないけれど。

 イスカといることで見えるようになるものは増える。


 対して、イスカには不得手とするもの。

 目標への最短距離を見つけ、突破口を作ること。

 合理主義を優先しすぎて感情への理解が薄いこと。

 そして、権力。

 自治組織のIDEA会長だけでは及ばないこと。

 天涯孤独という立場では得難いものも、私を介せば届く可能性がある。

 

 手を伸ばし、固く握手する。

 交換条件は成立した。

「これからもよろしくね、ヒスメナ」

「ええ、こちらこそよろしくね、イスカ」

 私は猪突猛進に突破口を見つけるのが得意とわかっている。

 イスカは鋭利な頭脳で考えることが得意だとわかっている。

 得意分野は得意分野として、考えることはイスカに任せるとしよう。

 私たちの道をひたすら行くのみだ。 

 私たちが手を組めば、きっとうまくいく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ティータイム 酒匂右近 @sakou763

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ