名古屋のテレビ塔がアイドルを照らさない事情
「ねぇ悠斗……?」
「だからなんだよ?」
「……ごめん。やっぱしいいや」
「…………」
三度目。名古屋駅構内で『悠斗にひとつ聞いていいかな』と言われてから、ずっとこんなやりとりを繰り返している。地下鉄の中でも、そして名古屋駅から二つ目の駅で降りた今になっても。
栄駅の改札を出た俺と愛花は、ホテルへ向かって歩こうとした。だが愛花の足取りは異様なほど重く、一向に前へ進む気配がない。ライブツアーも二日目を終えてさすがに疲れてきているのだろうかとも思ったが、そういう類の雰囲気ではなく、二、三歩足を進めては、また数秒間立ち止まってしまう。愛花はそれをただ繰り返していたんだ。前を歩く俺が振り返るのを待っているかのようで、何も言わず、駄々をこねるように。
やむなく俺は、目の前にあった自販機で缶コーヒーを二つ買うと、久屋大通公園のベンチに腰掛けた。相変わらず黙ったままの愛花が俺の隣にちょこんと座る。案の定というべきか相変わらずというべきか、愛花は俺に何かを言いたそうで、それを確認するまでホテルに帰る気はないようだ。
ライトアップされたテレビ塔が、俺と愛花の影を映し出している。愛花はコーヒーを少しずつ飲み、肩を小さくむずむず震わせながら、俺の次の言葉を待っているかのようだった。
本当に一体、何だというのだろう。
「なぁ和歌山……?」
「だから愛花って呼んでよ!」
ほんとめんどくさいやつだな……。
「なぁ愛花?」
「なによ?」
「さっきから、俺に何か聞きたいことがあったんじゃないのか?」
愛花は俺に何か聞きたいのだろうけど、それを躊躇していることだけはすぐにわかった。だがその理由についてはそもそも聞きたいことが何であるのかわからない以上、俺にわかるはずもない。
愛花がようやく観念したのは、俺が尋ねてからおよそ一分後のことだった。はぁと大きく溜息をついたかと思えば、同時に吐いた息をを飲み込むように声を出したんだ。
「悠斗はさ、いつからわたしのことが好きだったの?」
「………………さぁ?」
意を決した質問だったのだろう。だが俺の回答も必然として曖昧になる。なぜならそれが本音で、それ以上に答えようがなかったからだ。
「って何それ? 全然回答になってないじゃん!!」
「仕方ないだろ。実際にわからないんだから」
「せっかくわたしが勇気を出して聞いたのに、何だかわたしがバカみたいじゃん」
「そんなこと言われたって俺が知るかよ!!」
いや、自分で言っておきながら恐らく責任は俺の方にあることはわかっていた。だがそれ以上に売り言葉に買い言葉となってしまい、さっきと同様すぐに喧嘩になってしまったんだ。
愛花にはどっと疲れが押し寄せてしまったのか、肩が脱力したかのようにがくんと下へ落ちてしまっていた。放心状態で、顔が死んでて、夜の華やかな繁華街も愛花の座る場所だけ暗い影に覆われてしまっている。愛花はいつも浴びているはずのスポットライトを、今は完全に見失いかけているようだった。
「それなら、なんでわたしのことが好きになっちゃったのよ?」
「そんなことも知るかよ!」
「……は? 今のはさすがに無責任ってやつじゃないの? わたしのことが好きだったとか言っておきながら、自分でその理由がわからないとか」
「知らないものは知らないんだ。そもそもそこに明快な理由なんているのか?」
「……………………」
今度はじっと睨んでくる。当然睨まれたところで俺は返しようがないわけだから、むしろしらばっくれるしかない。そのまま再び一分間ほど無言の睨み合いが続き、今度は俺の方が先に疲れてくる。言い訳に無理があることには気づいていたから、俺が根負けしてしまったということか。
「でもさ。そんなのでも、恋っていうのかな?」
「…………んん?」
だが愛花は、負けを認めた俺の顔を見届けると、急にしおらしい表情を見せてきた。
「いつからとか、理由とか、そんなはっきりとしたものがわからなくても、悠斗はわたしのことが好きだと思ったんだよね?」
「ああ……」
それは否定のしようがない、事実だ。
「わたしのことが好きだっていう自覚があったの?」
「それは……あった……」
「それって……その自覚って、どういうものなのかな?」
「…………さぁ?」
「それはわからないんだ……?」
「ああ……」
というより、さっきからなんていう会話をしているのだろうか? こんな繁華街のど真ん中で、いくら夜とはいえ、そこそこ人通りはある場所なのだが。
「てゆか、お前はそういうのってないのか?」
「う〜ん……………………」
そこは否定しないんだ……? てっきり愛花のことだから、いつものように『どうせわたしは鈍感だもん』とか言いながら否定してくるものだとばかり思っていた。というより、愛花がこの質問を否定しないということは、愛花にも好きな相手がいるということか。
だけど愛花のいつもの口癖と言えば……。
「ねぇ悠斗……?」
「ん?」
「結局、わたしの『白馬に乗った王子様』って、誰のことなんだろ?」
「誰って……」
誰と言われたところで、そんな抽象的な人物が具体性を伴うことなんて、本当にあるのだろうか? 愛花は事あるごとにその言葉を口に出し、常に夢の中で眠っていたんじゃないかって、そう思えていたくらいだ。眠りの森の美女って言うか、もっとも御咲ならともかく、愛花はお姫様とか美女とか、そういう柄とも少し違うのだけどな。
「わたしの王子様って、本当は悠斗のことだったんじゃないかな……って」
だが愛花の次の言葉は、俺の意表を完全に突いたそれだったんだ。
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