アイドルが漠然とした孤独に悩む事情

 俺は、気づくと愛花に告白していた。

 夏乃の前で、そして、御咲の前で。


 御咲はと言えば、特段怒っている様子は全くない。淡々とした表情で、俺と愛花の様子をじっと見守っている。どちらかと言えば御咲にとってそんな話は今更でしかなく、お茶の間でワイドショーを観るような感覚で今この状況を内心楽しんでいるのかもしれない。それは恐らく、夏乃とて同じことだろう。夏乃に至っては次のMCのネタで愛花をどう弄ってやろうか、そんなことを頭の中で考えているんじゃないだろうか。


 だったら愛花は……?

 その顔の表情からは、愛花の心が全く読み取れなかった。別に無表情とかそういう具合でもない。笑っているわけでも、泣いているわけでも、怒っているわけでもないという、ただそれら全てが半音下がったフラットな顔をしているというだけのこと。俺はその顔を覗き込むと身体中から恐怖心ばかりが湧いてきてしまい、何に怯えているのかもわからないまま、ただただ漠然とした不安に襲われてしまう。

 女優の顔。そう表現するのがもっとも正しいかもしれない。幼い頃からいつも愛花の側にいたはずなのに、こいつはこんな顔もできるんだって、だからドラマの主役に選ばれたんだって、そう思えて仕方なかった。まるで俺自身がテレビドラマの役者の一人になったかのような、愛花の放つ空気感に押し潰されそうになっている。


「ねぇ悠斗? 言いたいことは、それだけなのかな??」


 あれから何秒、沈黙が続いたのだろうか。次の時計の針を進めたのは、相変わらずの愛花の重みのある声だった。


「あ、ああ。俺の話は多分、今ので全部だと思う」

「そっか……」


 愛花は下を向いてしまった。ぐちゃぐちゃに絡み合ってしまった細い糸を、一本一本紐解いているかのようにも見えた。やはり俺に対して怒ってるわけではないらしく、とはいえ何かを俺と確認しておきたくて仕方ないような、いやそもそもその何かってなんなんだって……。


「和歌山……?」


 だから俺の方から愛花に、そう声をかけることにしたんだ。


「……だって、さっきのってつまり、過去形なんだよね?」

「え……?」


 過去形? 俺は一瞬、どの話のことかわからないでいた。が、もう一度状況を整理して、すぐに愛花の言いたかったことの正解に辿り着く。


「悠斗がわたしのことを好きだったのって、もう過去のことなんだよね?」

「…………」

「だったら、このままでいいんじゃないかな?」

「…………?」


 ……そう……なのか……??


「悠斗はわたしのことが好きだった。だけどわたしがこんなだから、御咲と付き合い始めた。御咲は元々悠斗のこと好きだってわたしも知ってたし、それでみんな幸せなんだよね?」


 みんな幸せ……? 愛花はそう言うが、頭にもやっとするものが残るのも事実だ。


「でもよかった。これって、わたしだけ仲間外れにされてたわけじゃないってことだよね?」

「別にそんなことはないが……」


 愛花はもう一度俺にそう笑みを溢してくる。だけどその笑顔も愛花の素顔などではなく、女優の作り出す笑顔であることはなんとなく理解できた。


「わたしね、御咲の言う通り馬鹿でお調子者で無神経だから、御咲のことも悠斗のことも、ずっと傷つけているってことには気づいてた。だからそのせいで、わたしだけず〜っと蚊帳の外に置かれてしまって、いつまでもこうして『Green eyes monsters』にいていいのかな?って、それが心配だったんだよ」

「なわけないでしょ! あんたがいなかったら『Green eyes monsters』は成り立つわけないわ」


 そう間髪入れずに反論を返したのは御咲だった。本人が気づいている以上に愛花をライバル視しているわけで、当然と言えば当然かもしれない。


「だからそれを聞いて安心したの。今日からのライブだって、半人前のわたしが半分以上の曲でセンターを任されちゃうし、それってわたしがただ夏乃と御咲に踊らされてるだけで、実はわたしをグループから追い出すための算段か何かなんじゃないかって……」

「あんた、本当に馬鹿じゃないの!!!?」


 馬鹿でお調子者で無神経……ってさっき自分で言っていた気がするが、そういう発言が御咲の怒りを買ってることにそろそろ気づいてあげた方がいいんじゃないかって、俺はそう思っていたりもする。


「ちょっと愛花ちゃ〜ん? 今日の本番前にこれ以上御咲ちゃんと仲悪くならないでくれるかな〜?」

「え、わたし今御咲に何か言った?」

「消えて。本当に今すぐ私の前からいなくなって!!」


 無神経というか無自覚。夏乃の御咲を宥めようとした発言も、いとも簡単に打ち返してホームランにしてしまうのが愛花というやつだ。御咲は御咲でさっきまでの会話は何もなかったように、怒りに身を任せて……とりあえず今の怒りの矛先は俺じゃないということだけは唯一の救いだが。


 これが、愛花の本音。つまり俺は、愛花も苦しめていたわけでは……?


「ねぇ悠斗。だったらお願いがあるんだけど、いいかな?」

「え……」


 御咲の怒りもまだ完全に収まったわけではないけれど、愛花は唐突に俺の方へと声をかけてきた。意表をつかれた俺は、また無愛想な返事をしてしまう。


「わたしのこと、『愛花』って呼んでほしいの」

「は……?」


 だがそのお願いというものもどこか素っ頓狂で、想像さえしていなかったものだ。


「だって、御咲のことは『御咲』って呼んでるし、夏乃ちゃんのこともいつの間にか『夏乃』って呼んでたし、だったらなんでわたしだけ『和歌山』なのかなって。それってわたしだけ仲間外れってやつじゃないかな?」

「あ、ああ……」


 だってお前はずっと昔からの、俺のクラスメイトの女子で……


「わたしはわたしで、御咲ちゃんと同じ土俵に立ってみたいなって」

「…………」


 ……だけど愛花にとっての、俺という存在は……


「わかったよ、和歌山」

「違〜う!! わたしのこと、愛花って呼んでってさっきから言ってるでしょ?」

「あ、ごめん。愛花……?」

「なんでそこ最後に疑問形???」


 それでも愛花は『よくできました〜』と俺の姉にでもなったような顔で、どこか怖い笑みを溢していた。そもそもなんで疑問形になってしまったのかやはりよくわかっていないが、とりあえず愛花を愛花と呼ぶことに若干の抵抗感を覚えてしまう。俺はつまり結局……。

 ……とりあえず今は御咲の顔を見るのはやめておこう。そもそも見なくてもおよそどんな顔をしているのか想像つくしな。


 そうして俺は、手元のきしめんをもう一度ずずっと口に運んだんだ。口の中で程よい酸味が染み渡ってきて、ほろ苦さまで感じるほどだったけど。

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