涙の理由
アイドルたちがライブで観客を熱狂させる事情
名古屋の繁華街の中心部でもある栄と呼ばれる街の中に、今回のライブツアーのコンサートホールがあった。キャパシティはとりわけそれほど大きくもないが、五階席まであるという特徴的な座席の配置は、ステージの周囲を百八十度取り囲んでいるような印象さえあり、なんとも圧巻の一言である。昨日だって初めてこの舞台の上に立ちリハを行った時には、御咲も愛花もただ呆然とその光景を眺めていたっけ。夏乃だけは強心臓ぶりを発揮して、『さて、練習始めよっか』とリーダーらしく二人を力強く引っ張っていたりもした。
昨日の一日目と同様、今日も十七時になると観客席に人が集まり始めていた。深紗、真南、夏穂の順で、団扇の数の順番に恐らく今日も変動はない。深紗の団扇の数が一番多いという点だけは、名古屋へ来ても何一つ変わってなかった。だが、順位こそ変動ないものの、割合という意味では大きな変動がある。これまでのライブでは深紗の団扇が八割から九割ほどを占めていた印象だったが、その数は見た目およそ五割くらいにまで落ち込んでいる。そしたら夏穂の割合が……という話でもなく、夏穂の団扇は相変わらず一割ほど。いや、もう少しさらに減っているのではないかと思えるくらいだ。
深紗と書かれていたはずの残りの四割はどこへ消えたのか。言うまでもなく、その文字は真南へと変わっていたんだ。ゴールデンウィーク中に行われたライブで御咲が怪我してリタイアする中、御咲以上のパフォーマンスで観客を虜にしたのは紛れもなく愛花だった。もちろん愛花のパフォーマンスが突然良くなったわけでもない。これまで御咲の影に隠れていたその姿がやっと日の目を見たというか、注目が一気に愛花へと移ったわけだ。夏乃の仕掛けでライブ中には愛花の独唱もあり、それさえ大きな話題を呼んでいたのも事実だった。
そして、愛花のドラマ主演決定。しかも御咲を差し置いて。
その点では完全に立場が逆転してしまい、愛花への注目に拍車をかけている。
今日はそんな中でスケジュールされた名古屋ライブツアー二日目の土曜日。初日であった昨日は何事もなく予定通り無事に終了し、今日はその中日、明日が千秋楽といった具合だ。
「千尋さん、席ここです」
「おっ、悠斗くん。いろいろ案内ありがとね!」
今日の俺は観客席からライブを見学することにした。昨日は舞台袖で三人を見守っていたが、今日は愛花の姉の千尋さんが応援に駆けつけるということもあって、俺は千尋さんと同行することにしたんだ。
「本当にすごい熱気よね。まだデビューして一ヶ月だというのに」
「話題ばかり先行しちゃってますしね。『Green eyes monsters』って」
「そそ。御咲ちゃんに、夏乃ちゃん。どっちも行動が大胆だから……」
「夏乃はともかく、御咲は今必死ですから」
御咲と夏乃。夏乃はリーダーとして、御咲は巨大な怪物に追われる者として、どちらも必死に戦っている印象があった。夏乃だって、あいつは性格こそあんな調子で怖い者知らずという印象を抱かれがちだが、そんな大胆な行動に出るのは御咲と愛花のためだって、周囲はちゃんと気づいている。そのせいで返って自分の立場を危うくしていないか、社長からはそう心配されてるほどだ。
「必死か。私の頃はそこまででもなかったしな……」
「そんなことないじゃないですか。千尋さんと胡桃さんで、女優を休業したばかりの春日瑠海を引っ張ろうって」
「でも同時に、春日瑠海に甘えてたかもしれない。あの子さえいれば私たちはどうにかなるって。だから少なくとも私の場合は、御咲ちゃんと夏乃ちゃんほど、必死にはなってなかったかも」
「…………」
千尋さんは小さく笑いながらそんなことを零していた。今でもこうして隣に千尋さんが座ると、俺は少しだけ緊張してしまう。それは元アイドルとして、『BLUE WINGS』というアイドルグループでリーダーを務めていた頃の千尋さんの面影があるからだろう。元国民的女優の春日瑠海擁するアイドルグループの中で、千尋さんはリーダーとして三人を引っ張る立場にあった。ちょうど今の夏乃と同じ立場だ。
だけど今では千尋さんだけがアイドルを引退している。胡桃さんは別のアイドルグループの中で活動を続けているし、春日瑠海さんは未だにアイドル一筋で、『BLUE WINGS』の中心メンバーとして活動を続けている。そう考えるとさっきの千尋さんの笑みは、どこか物寂しそうな顔に思えてくるんだ。
「でもまぁ、愛花ほど適当にやってたつもりはないんだけどね……」
「そうですね。あいつは少し、例外ですよ」
「そうかも」
そんな姉に、『適当』とまで評されてしまう愛花。世間では千尋さんと愛花が実の姉妹であることも公表されてしまい、愛花は『青い鳥の妹』などというこれまた妙なキャッチーまで付けられてるくらいだ。それって一体空を飛んでるんだか、それともまだ羽を休めたままなのか、どっちなのだろうか?
「でもあいつは最近、ちゃんと張り切って頑張ってますよ」
「そうね。御咲ちゃんに頼ってばかりはいられないって、それだけは伝わってくるわ」
「ほんとですよ。つい最近まで人に頼ってばかりいたくせに……」
「……ねぇ、悠斗くん」
すると千尋さんは少し畏まった顔で、俺の顔色を伺ってきた。
「昨日愛花と、何かあったでしょ?」
俺の胸の中で、何かが弾け飛ぶような気配を感じた。そっか、さすがに千尋さんには見抜かれてしまうんだなって、今更のように考えてしまう。
開演間もなく三十分前。今頃三人はステージ衣装に着替え終わって、開演に向けて心を一つにしている頃だ。もちろん愛花も含めて。
そして今日だって昨日と同様、何事もなかったように見事なステージを創り上げるんだろうって。俺はそんな風にも考えていたんだ。
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