アイドルたちが高級焼肉屋で打ち上げをする事情

 ここは、東京都港区にある焼肉屋。今日『Green eyes monsters』CD発売記念ライブツアー三日目を都内の劇場で無事に終えると、この店で打ち上げという流れになった。とはいえ、俺のような高校生のお小遣い程度で入れる焼肉屋とはやはり違い、肉の霜降りの模様がどこからどう見たって高級感漂うそれだ。そもそも俺は部外者なのだから打ち上げには遠慮させてもらい、一人で鎌倉に帰ろうとしたもののそれを有理紗先生に止められ、今ここに至っている。

 港区の高層ビルというロケーション。ぼんやり窓に映る美しい夜景が、俺の胸の内に幻想感さえ描きされつつあった。


「遠慮なくどんどん食べちゃいなさい。それとも、売れっ子作家様には安い肉だったかしら」

「いやお……自分は売れっ子でも何でもないので滅相もないです!」


 有理紗先生はそう言うが、一口ではとても食べ切れるものではない。じわりと焼かれていく牛肉。鉄板から零れ落ちる牛脂の香りも、十分なほどに食欲を誘ってくる。だが俺はどこから手をつけていいのか、いや、それ以前に同じテーブルについた顔ぶれのせいで、緊張感だけが俺の背筋を凍りつかせていた。

 あっちのテーブルでは、御咲と愛花、そして夏乃が三人で楽しそうに焼肉を食べている。こちらの四人掛けのテーブルには、俺の隣に有理紗先生、そして目の前にはお初にお目にかかる、見た目三十代後半くらいの女性が座っている。有理紗先生もやり手のビジネスウーマンという印象を感じていたが、むしろそれ以上の風格がその女性にはあった。芸能人とは違うオーラというか、それでいてさっき御咲がその女性に挨拶に来ると、優しく包み込むような笑みで、まるで母親のような応対を見せていた。


「やはり『Green eyes monsters』の演出台本は、今後夏乃に書いてもらうのが正解ですかね?」

「ん〜……、特に異論はないけど、夏乃ちゃん一人で書いてもらうのは少し不安かな。昨日の一件だって、やっぱしお咎めなしというわけにはいかないしね」

「確かに。愛花の才能を引き出すためとはいえ、やり方が不器用すぎますね」


 不器用。言われてみると有理紗先生の言う通りか。

 昨日のライブの一曲目、御咲が怪我で不在という中、愛花は本来のポテンシャルを発揮できず、歌の中に空白を作り出してしまうミスをやらかしていた。だがその状況を救ったのが夏乃の機転だった。まるで観客と愛花を導くようなアドリブで、見事なまでにライブを立ち直らせ、いや想定以上の伝説のライブを作り上げてしまったんだ。

 というのも、愛花はこれまで聴かせたことがないような歌声を奏でてきたから。以前有理紗先生は『愛花には何も教えたことはない』と言っていたが、どうやらそれは本当だったようで、ただただ愛花の歌声を前に、目が点になるほど見つめていただけだった。夏乃の持つ力強さ、御咲の持つ華やかさのいずれも凌駕しており、きらきら光り輝く愛花の歌声は、これまでの評価を一変させるのに十分な力を兼ね備えていたんだ。

 愛花の真の実力を引き出したのが夏乃。確かにそれはその通りなのだが、愛花の評価とは裏腹に、夏乃の評価については賛否両論だった。原因は伝説の所以ともなった『グーのゲンコツ事件』。歌えなくなった愛花になぜゲンコツ? およそアイドルらしからぬその対応は、ある意味男性ファンを凍りつかせるのに十分すぎるほどだったようだ。間違えなく、荒療治すぎる。

 まぁそのおかげで今日三日目のライブも無事に夏乃と愛花の二人だけで乗り切れたので、『Green eyes monsters』リーダーとしては正解の対応だったかもしれないが。


「夏乃ちゃんはリーダーとして、十分すぎるほど頑張ってくれてるわ。それは私もちゃんと評価してる。でも、このまま続けていたら、最後には夏乃ちゃん自身が潰れてしまう。それだけは何としても避けたいの」

「ええ。社長の意見に賛同します。だからこそ、ここにいる彼の力が必要ってことですね」

「そういうこと」


 ん、ちょっと待てよ。有理紗先生、今『社長』と言ったのか??

 とするとここにいる人はひょっとして……。


「君が、人気ラノベ作家の、月島遥斗くんと言ったかしら?」

「あ、いや……こちらの世界では、月山遥の名前を使わせてほしいのですが」

「ああ、そうだったわね。人気ラノベ作家の月山遥くんね」

「…………」


 いやだから、月山遥というのは純文学作家としての名前で……という反論は、もはや諦めることにした。もっとも俺がどんなに純文学を書きたくても、発行部数の方は副業のつもりで書いてるラノベの方が断然上で、担当編集の廣川さんには『とっととラノベ作家へ転職しちゃいなさいよ』などと言われてしまうほどだ。挙げ句の果てにそんなラノベがドラマ化され、愛花がその主役を演じるのだという。立場が逆転して俺が芸能事務所社長であっても、やはりラノベ作家として売り出したいと思うだろう。

 つまり、この女性というのは……。


「自己紹介が遅れて申し訳なかったわ。私は芸能事務所『デネブ』の社長をしている、大山文香と申します。君の新しい雇い主となるわけね」

「はぁ……あ、いや、よろしくお願いします!」


 差し出してきた手に、俺も慌てて手を伸ばす。その手は冷たくて、温かい感触もした。


「早速だけど、君にお仕事を頼みたいのだけど……」

「……は、はい。なんでしょう?」

「今月末から『Green eyes monsters』の名古屋遠征ツアーが始まるわ。彼女たちの最初の遠征ライブで、とっくに演出台本も出来上がっているのだけど、恐らく今のままの台本ではうまく回らなくなる気がするのよ」

「はぁ……」

「今回のツアーで、三人の立ち位置が変わりつつある。今までは御咲ちゃんメインで回すのが一番だったかもしれないけど、愛花ちゃんのドラマ主演も決まったし、『Green eyes monsters』としてもそれを後押ししたいしね。君だってあのドラマの原作作者として、成功してほしいと願ってるでしょ?」

「も、もちろんです」

「そのプロモーションを含めた形に、夏乃ちゃんと台本を見直してほしいのよ」

「夏乃と?」

「そう。あのまま行くと夏乃ちゃん、本当に自分を潰しかねないから……」


 社長は三人の中で、もっとも夏乃を気にかけているようだった。三人の中で一番前向きで、俺さえも彼女の本当の弱音を一度だって聞いたことがない。だからこそなのだろうか、夏乃の見せる笑顔は実は諸刃の剣で、今回のツアーも結果的には愛花の才能を引き出しつつ、夏乃自身を追いやってしまっている。


「あの子だって『Green eyes monsters』の一員なのよ。だから今回みたいなことはあってはいけないのよ」

「そう……ですね」

「だから君の力で、夏乃ちゃんを救ってほしいの」

「はい、わかりました」


 俺はそう答えると、焼き上がった牛肉を口の中に頬張った。とろみを帯びた感覚が、口の中で広がっていく。やはりこんな牛肉食べたことない。俺が売れない作家であるばかりに……いや、今はそんなことあまりどうでもよくて。

 社長の言うように、確かに夏乃の暴走を今後は監視しておく必要がありそうだ。だがそれ以上に俺の内側に引っ掛かることもあった。


『そんなの時間の問題よ。私はいつか追い抜かれる。それもあっという間に』


 あっちのテーブルを見ると三人はまだ談笑しながら、牛肉を口の中へ次々頬張っている。無邪気に笑う愛花、次々と他の二人の皿に焼き上がった牛肉をのせていく夏乃、そして黙々と牛肉を食べ続ける御咲。いくら事務所の経費だからって食べ過ぎるとダメなんじゃないかって、そう心配させられるほどに。


 三人の立ち位置は変わりつつある。俺はあいつの言葉を胸にしまいながら、三人をどう導くべきなのか、改めて頭の中を整理していたんだ。

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