アイドル二人に囲まれて硬直してしまう事情
「前も言ったと思うけど、私の声だったらいつでも録らせてあげるわよ」
放課後、俺は御咲を連れたまま帰宅し、御咲が好物のキリマンジャロコーヒーを淹れる。御咲が一人で店に来るときはいつものブレンドコーヒーか、このキリマンジャロであることが多い。やや攻撃してくるような強い酸味が御咲のお気に入りなんだそうだ。
「別にいらね〜よ。お前の声はこうして毎日聞いてるし」
「あら。もう聞き飽きてしまったってことかしら。それは君にとって、私の声が魅力的じゃないってことなのかな」
「そういうわけじゃねえって」
御咲の甘酸っぱい声。キリマンジャロコーヒーの香りと完全に同化していた。トップアイドルとしてステージの上に立つ深紗のそれとは完全に別物で、まるで俺がこの声を独り占めしているかのよう。特に求めているわけでもないのだが、そんな俺の微妙な反応を御咲は一人楽しんでいるかのようにも感じられる。
「で、わざわざ私をここに呼び出したってことは……」
「ああ。もうすぐ来るってよ」
僅かに下を向く御咲。やはり俺をからかっているというより、少しだけ怒っているようだ。だけどそれさえも素直に表へ出さずに、黙ったままコーヒーをもう一口だけ啜っている。俺はいつもこうして御咲を苦しめてばかりだ。
こんなんで彼氏と彼女の関係だなんて……。やはりあの時の選択は、不正解だったのかもしれない。
「ごめん遅くなって。……あ、御咲」
「…………」
喫茶店のカランというベルの音と同時に、愛花が勢いよくドアから入ってくる。愛花はすぐに御咲の姿に気がつくと、やや躊躇しながら、御咲のすぐ隣のカウンター席に座ったんだ。
「和歌山はいつものモカコーヒーでいいか?」
「うん。ありがと」
御咲の顔色が気になったのも事実だが、俺はそれを無視して、淡々と予め挽いておいたモカコーヒーの粉にお湯を染み込ませていく。その瞬間甘い香りが漂い始め、喫茶店のカウンターが優しい匂いに包み込まれていくのがわかった。愛花も入店直後は複雑な表情を浮かべていたが、今ではすっかり子供に戻ったような落ち着いた顔を取り戻している。
これではさすがに茶番かな。サーバーにコーヒーの雫が落ち切ったことを確認すると、ようやく俺は御咲の顔を見た。御咲もすぐに俺の視線にも気づいたようで、不気味な薄ら笑いを返してきていたんだ。
「なぁ和歌山。御咲に話があったんじゃないのか?」
「え…………あ、うん」
特に打ち合わせしていたわけでもない。だけど愛花は今朝、『御咲が無視してくる』と俺にSOSを求めてきていた。俺としてはその原因もそれとなくわかっているが、であるなら恐らく俺の方に理由があるわけで……。
「じゃあ俺、席外すから」
そう言って俺は、喫茶店の入口から外へ出ようと試みた。
「あ、待ってよ悠斗」
「俺がいない方が御咲と話しやすいだろ? コーヒーは奢るからごゆっくり」
「え、ちょっ……」
愛花にしてみたらここ最近ずっと無視されていた相手と二人きりになるのは、さすがにあんまりなのかもしれない。だけどここは二人に任せて正解だと思うんだ。御咲だってその方がいいはず……。
「…………」
「……え?」
が、外に出て行こうとした俺の服の裾をぎゅっと引っ張ってきたのは、御咲だった。じっと睨みつけて、俺に何かを訴えかけようとしている。
「またそうやって逃げるの? 黙ってここで見てなさいよこの卑怯者」
御咲は小さくそう呟く。まるでどこかで聞き覚えのある台詞だ。
「わかった。御咲がそう言うなら……」
「…………」
俺がそう言ってカウンター内に戻ると、御咲は頷く代わりに俺の顔をじっと見つめてきた。怒っているわけでも笑っているわけでもなく、だがその顔は俺の身体を硬直させるのに十分だった。
「それで和歌山、話というのは……?」
わかりきった質問を愛花に投げたのは、そんな御咲の顔から逃げ出すため。
「えっとね。今週末にライブツアーがあるでしょ? そのことだよ」
「…………」
「…………え、なんの話だって?」
だが愛花はというと、こんな複雑なやりとりも全く意に解していなかったのだろう。俺としては全くノーマークの話題を振ってきたんだ。思わず拍子抜けしてしまったのは俺だけではなかったらしく、ついさっきまで俺の顔をじっと睨んでいたはずの御咲の瞳は、その瞬間ただの点になってしまっていた。
てか御咲が無視してくるとかそういう話は、一体どこへ消えたんだ??
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